定例会での気づき

ホーム  »  定例会での気づき

2020年9月5日(土) 「恩着せがましい」

今日の親の会でテーマになったことに、親から子供に対して無償の愛情が大切なのだということがありました。

その話題の中で出た発言を紹介します。

「私は娘の言う通りに過食の買い物もしてやっているのに、娘はどんどん無理難題をおしつけてきます」

…○○してやったのに…

という言葉に隠された親御さんの本当の気持ちには何があるのでしょうか?

果たして、この言葉が出ることに無償の愛情があると言えるのでしょうか?

この言葉の裏には、「恩着せ」があるように感じています。回復するという「見返り」を求めているように感じます。

今、目の前で苦しんでいる子供の為に、親として出来ること、子供が望むならその買い物を心からしてあげたいと思っての行動なのでしょうか?

子供に寄り添うには言う通りに買い物をしてこなければならない。という頭で考えての行動なのではないでしょうか?

そんな親の気持ちは子供に見抜かれてしまいます。

「本当にこんな私を親は愛してくれているのだろうか?良い子の私しか受け入れてくれないのではないだろうか?こんな私は何をやってもダメだ。全てがうまくいかない」

そんな気持ちで自己否定で一杯になっていることもあります。

親御さんが大変な中にいるのもわかります。わかった上で提議させてもらいました。

参加されているお母さん方も、各々の家庭で起きている事柄を通して、親の恩着せや見返りについて、そして無償の愛について、自分の中でどんな気持ちが動くのかを知るきっかけになりました。

2020年8月15日(土) 「親から子供への関わり方」

今まで何の手もかからない子供が摂食障害になったとき、親としてどうやって子供に接していいか戸惑いで一杯になります。

それは、今までとはまったく違う子供が、したことも言ったことも無いようなことをしてくるからです。

親の言うことをきいてきた子供達ですから、やる方も半端なことはしてきません。

物を言うにしても、反抗したことが無いのですから、勢いをつけないと言えないのです。ですから、語気も強くなるし、暴言にもなるのです。

そんなときに、親の関わり方はどうされていますか?

「何て言い方するの!」「親に向かって言う言葉か!」

「そんなこと言うもんじゃないよ」

と諭し、言い含めてきていませんか?

それは、摂食障害になる前から、十分すぎるほど子供達に言ってきているはずです。

子供は分かっているのです。分かっていても、自分の中で何だかわからないモヤモヤを抱えながら、やっとの思いで言葉にしているのですから、出てくる言葉には勢いが必要なのです。

この時期は必ず通りすぎます。十分に暴言を吐いたり怒鳴ったりすることをやり終えると、自然にその状態もなくなっていきます。

親として子供に関わるときに、今、目の前にいるその子をまるごと受け入れてあげる気持ちがあれば、自然とどんなときも関わっていけるものです。

親も心の底から子供のことを、あなたはあなたのままでいい。と思えていますか?

親が子供に対して、こうあるべきだ。と思う気持ちは、繊細で人の心を察知しやすい子供達に見抜かれています。

親も子供を通して、己をみる。そして、己を知る。

親自身も自分を振り返るチャンスを貰っているのです。

2020年8月1日(土) 「まず親が変わる」

摂食障害は本人だけの問題ではありません。
摂食障害になった子供との関わりを通して、親自身が己の生き方や、考え方を振り返る時がやってきたと感じて欲しいと思います。
とかく、子供が回復するためには子供はどうやっていけばいいのか?
規則正しく食べれば良いのか?気持ちの持ち方を変えれば良いのか?自分の考えを言えるようになれば良いのか?…等々、どうやって子供を回復させれば良いのかというところだけに力が入ってしまいがちです。
それは勿論当然そうなるに決まっています。決まっているのですが、そこのところに力が入りすぎてばかりでは回復に時間がかかります。
子供のことばかりを見るのでは無く、親も自分自身のことをよく見つめて欲しいのです。
子供に対して、いつも指示や命令、管理しているような言葉や態度で接していないか?
そして、親自身も世間体や一般常識に雁字搦めにされて、自分の気持ちや考えを見失っていないか?
親自身も、自分の存在価値を認めてほしい気持ちが隠されているのではないか?等々…
そんなことを振り返りながら、親自身が変わっていくと、自然にその波動や雰囲気が子供に伝わっていき、自然と子供にも変化が見られてきます。
会で語られたお母さんの話をお伝えします。
「娘を変えるのではなく、自分を変えようと思いました。娘が摂食障害になるまで、親として接してきた自分の関わりを変えようと決め、自分自身の在り方を変えてきました。
我が娘の摂食障害克服のために親の私が向き合うべきもの、それは、自分自身でした。
今までと同じように子供を変えたいと思っているうちは、ずっと同じ状況が続きました。
摂食障害を通して、少しずつ大人になろうとしている娘の心の成長を信じて待てる自分になること。
子供に任せることができること。
それが親が我が子のためにできるとても大切なことなのだと思える自分になりました」
お母さんご自身がそう心から感じられた時から、娘さんも少しずつ変わってきています。
日常生活で起こる様々なことを通して、親子の関わりを構築し直し、信頼関係が生まれ、子供も安心感に満たされていきます。
安心感が生まれると、自己肯定感が生まれ自信に繋がります。
回復に必要な通り道です。

2020年7月18日(土) 「子供の望みを叶えてきた」のでしょうか?

摂食障害になる子供にわりと多い生き方があります。
小さい頃から親の顔色を気にしてきている。
人からの評価を自分の価値にして生きてきている。
人に合わせることばかりをしてきて、自分の気持ちや考えは押し殺している。
ずっとこうやってきていると、思春期、自立期に差し掛かったときに、自分で自分がわからなくなってきます。
自分の価値や評価をどんどん下げてきてしまいます。こんな自分はダメだ、生きる価値もない。
と苦しさや辛さで押し潰されそうになるのです。
会での相談で、大多数の親御さんが言われるのは
「親として、子供が望むこと、やりたいこと、欲しいこと、出来る限りのことはやってきた。我慢させるようなことはしてこなかった。親の顔色を見てなんてあり得ない」というお話です。
「そうだったのですね。親御さんの目からはそう見えていたのですね。では、お子さん本人からはどう感じていたのでしょうか?」と問い直させてもらっています。
例えば買い物に行った時に、300円、600円、1000円の品物があったとします。
親御さんは、「好きなのを選んでいいよ」とお子さんに言います。
好きなものを迷わずに遠慮せずに選ぶ子供の心は健康です。
心が健康でない子供は、本当は1000円の品物が欲しいのに、親はこっちを選んだ方が喜ぶだろう、安心するだろう、と推し量って600円のものを、ともすると300円の方を、これが欲しいと選ぶのです。
本当は1000円の方を選びたいのに…
子供が欲しいと言ってるのだから、親御さんは欲しい物を買ってあげたと思い込んでいます。
「子供の望みを叶えてきた」と思い込んできているのです。
摂食障害になる子供の心は繊細です。
その繊細な心が傷ついているのです。
その1つ1つをひもときながら、心の奥底に隠された気持ちを吐き出していくことが回復には必要になってきます。
親としても、自分のことを振り返ってみる必要が生じてくるのです。
摂食障害はお子さんだけの問題ではありません。
家族皆の問題であり、課題なのです。

2020年7月4日(土) 「子供が病むということ」

摂食障害の回復までには様々な出来事が起きてきます。

今まで何の手もかからなかった子供が、ある日、全く別人になったかのように症状を出してきます。

拒食や過食の症状だったり、暴言や暴力、物品の破壊や、自傷行為、薬の大量摂取、買い物に対する要求のエスカレート、万引き、昼夜逆転…

子供自身の中では、行き場の無い、どうしていいかわからない気持ちがあり、四六時中苦しくて辛くて切なくて、生きていることや存在することを否定して押し潰されそうになっているのです。

その我が子に寄り添いながら支えていくには、お母さん自身が関わり続けていく中で、並大抵の気持ちでは越えられない大変な現実がやってきます。

自分の育て方が悪かったから子供がこうなったのではないかと、自分を責めたりもします。

でも、それは違います。一生懸命に子育てしてきたこと、お母さん自身も一生懸命に生きてきたことには間違いはありません。

ただ1つ言えることは、お母さん自身も生きづらさを抱えて生きてきた節があるのではないかということです。

世間一般常識に縛られ、世間体を気にしながら、家庭の中でも、こうあるべき、こうならなければならないという考えにがんじがらめになり、自分の気持ちは後回しにして、その気持ちすら無いものにしてきたのではないでしょうか?

摂食障害になった子供に寄り添い続けるには、その今まで持ち続けてきた考え方や生き方を見つめ直しすことが必要になってきます。

子供が回復していくことに関わりながら、実はお母さん自身の心の中も知っていくことになるのです。

そのお母さんを支えていくのはお父さんの一番大事な役目になります。

子供が辛く苦しい中にいるのは勿論ですが、側にいるお母さん自身も辛くて苦しいのです。

お母さんが弱音や本音を吐き出すことができるのは、お父さんの所なのです。

これは、子供の摂食障害を通して夫婦の在り方にも課題を投げ掛けてきていることに繋がります。

摂食障害は本人だけの問題ではありません。

その子が病んでまで、家族の生き方や家庭の在り方を問い直していると言っても過言ではないと思います。

2020年6月20日(土) 「親からの無償の愛」

今日、4ヶ月振りに、向日葵の会を再開することができました。
コロナウィルスの拡大感染防止等を考慮して休止していましたが、様々なことに気をつけながら開催することができるようになりました。
4ヶ月振りの会で、お母さん方からも色々な話がでました。
その中で1つのテーマが出てきました。

「親から子供への無償の愛」です。
摂食障害になる子供に多いのは、良い子に生きてきた子供が多いです。
人の顔色を見ながら、自分の気持は押し殺して人に合わせて生きてきています。
何でも頑張って、成果をだして、責任感も強く、真面目です。

そんな自分でいなければならない、そんな自分しか親は認めてくれない、愛してくれない、必要としてくれない…といつの間にか感じて生きてきています。
自信に満ちあふれていた子供が、自信をなくし、自己肯定感をどんどん無くし、自己否定で一杯になってしまうのです。
「こんな私はダメだ。こんな私は生きている価値も存在する意味もない。お父さんもお母さんも、私のことなんかお荷物で迷惑で厄介者なんだ」という思いに支配されてしまっています。
そしてそのやり場のない気持が摂食障害の症状として拒食や過食、過食嘔吐で現れてきているのです。

会では皆さんに常々お話させてもらっていることがあります。
回復するには、気持が先です。
気持が回復してくると症状はいつの間にか自然に消えていきます。

とかく、目の前で起こる症状だけにとらわれがちですが、症状を見るよりも子供の気持に寄り添い、気持ちを聴き、気持ちをしっかりと受け入れる親になることがとても大切です。
そうやって子供に向き合い続けると、子供が自ずと感じていきます。
「こんな自分でも、どんな自分でも親はきちんと見放さずにいてくれる。この私でいて良いのだ」この瞬間に、親からのかけがえのない無償の愛を、無条件の愛を受けとることができるのです。
自己否定感から自己肯定感に変わっていき、自信をなくしていた心が、少しずつ自信を取り戻してきます。
子供を愛する親の心がしっかりと子供に伝わるには、毎日毎日家庭で起きている事柄に、親がどうやって向き合っていくかがとても大事になってきます。
今回の向日葵の会では、お母さん方一人一人の話は違っても、その根底にある親の無償の愛について改めて想いを巡らせることになりました。
母として、どんな時でも、どんな子供でいても、子供の心をきちんと見つめて愛することができているでしょうか…?

2020年6月6日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Gさんより

娘は拒食から過食嘔吐になりました。
高校生の時でした。
あの当時の娘が泣きじゃくりながらやっと言った言葉が、今でも私の頭から無くなることはありません。
「 苦しくて、辛くて、この世に存在していることが罪なんだ。死んだ方がいいっていつも思っている。何もかもうまくいかないことだらけ、何が正しいかもわからない。周囲の目や評価ばかりを気にして、自分をダメな人間だと思う。悪く思われないように見せるので精一杯だ。自分の心の声なんて聞く暇も無いし、聞いてはいけない。親にすら甘えることも、頼ることも相談することもできない。もう1人で苦しむのは疲れた。どうしていいかわからない。誰か助けて。助けて。もう嫌だ。もう嫌だ。助けて… 」
娘がこんなに苦しんでいるのに、助けてやることも出来ない、代わってやることもできない。
代われるものならどんなに代わってやりたいか。
母である自分の力の無さ、情けなさに涙したものでした。
そして私自身を責めました。娘をここまで追い詰めたのは私だと。
あの当時、どん底でした。どんなにもがいてももがいても先が見えない状況の中にいました。
医療機関にもかかりましたが、親の私すら毎日家庭で摂食障害の娘が起こす事柄にどう関わっていいのか全くわかりませんでした。
そんな時でした。親の会の存在を知ったのは。
親の会に通いながら、私自身も色々なことを知り、色々なことに気づいてきました。
もがき続けていた娘も私も、少しずつ明かりが見えてきて回復の道を歩くことが出来ました。
今、摂食障害の真っ只中で苦しんでいる人達に伝えたいのは、乗り越えることの出来る人の所に、乗り越えられる試練がやってくる。
摂食障害は簡単に乗り越えられる試練ではないけれど、必ず乗り越えられる。
そう信じて、摂食障害に向き合って欲しいということです。

2020年5月16日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Fさんより

現在、娘は摂食障害を乗り越えて自分の家庭を持っています。
子供もいます。
仕事もしています。
何も知らない人から見ても、娘に摂食障害の10年余りの日々があったことを感じさせることは微塵も無いと思います。
あの当時のことを思い出すと、出口の無いトンネルに入った思いで一杯でした。出口なんか無いのだと思っていました。
でも、出口は必ずある。
その出口に向かうためには、親の関わり方や、物事に対する捉え方や考え方、それを振り返りながら親自身も自分を見ること、知ることが必要なのだと教えてくれたのは親の会でした。

子供を治すために動くよりも、親自身が治っていくことをした方が自然に子供の回復に繋がるとも言われました (親子の関わり方、親の価値観、親が出す指示や管理や命令をなおす) 相手を変えることは出来ない。
変えることが出来るのは自分自身のことだ。
自分が変われば相手も自然に変わってくる。
そんなことを会では度々話題に出ていました。
10年間、少しずつ少しずつやってきました。
失敗を繰り返しながら、そしてまたそのことを糧にしてやってみて、子供の気持ちを知ることや自分の考え方や長年染み付いてきた物事の捉え方の癖に気づきながら、行動に移してきました。
娘の摂食障害を通して、色々なことを知り、学んだと思える今の私です。

2020年5月2日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Eさんより

娘が摂食障害だとハッキリと分かったのは高校2年生の4月の頃でした。
今思うと、食べ方に関しては高校1年の秋頃から始まっていたのだと思います。
アイスクリームを我慢したり、フライや天ぷらの衣をはいだり、ご飯の量を少なくしたり…そんなことが目につき始めたのを覚えています。
私は娘のその様子をダイエットなんだろうくらいにしか感じていませんでした。
それが冬位には買い置きのお菓子が毎日すぐになくなるし、チョコレートも半端ない量のものがなくなっていくのです。
食べ物のことでとやかく言うのは嫌な私がいたので、せっせと買っては補充していました。
文武両道の高校でしたので、娘も疲れていて甘いのが欲しいのだろうと勝手に考えていました。
娘に聞くこともせずに… そんなある日、高校2年になってから間もない時のことです。娘の部屋を掃除していた私がふと目にしたのは、机の上に広げられている本に書いてあった「摂食障害」という文字でした。
私は、まさかという思いでそのページを読みながら、娘の症状にピッタリだと感じながらも、違う、絶対に違う、そんなはずはない、と思い込もうとしていました。 娘が高校から帰宅するのを待って、娘に問いただしました。娘は本に書いてある通りだと答えました。その答えに私が返した言葉は、「お母さんが絶対に治してあげる。3ヶ月で治してあげる」でした。
娘が回復して思うことは、私のこの言葉、この態度が全てを物語っているような気がしています。
私はそういう生き方や接し方、考え方、物事の捉え方をしてきていたのだなぁと思います。
今だからこそ言えるのは、私自身がその何だかわからない枠に縛られて、その中で自分の気持ちを押し殺して、こうあるべきでこうあらなければならないとがんじがらめにされて生きてきたということです。
そんな中で娘は高校へ通うことが出来なくなってきました。
出席不足で単位を落とせば留年ということを心配して、片道30分かけて車で送っていましたが、頻繁に担任から登校していないと電話がくるようになりました。
それでも娘に言い聞かせては高校へ送る日々を重ねていました。
世間一般の進むべき道から降りることは、娘の将来の為にもさせたくない、そんなことはあってはならないという親心のつもりでした。
そんな葛藤を繰り返しながら、秋にはとうとう出席日数不足で留年が確定しました。
それを受けて休学したのが9月のことでした。
そこでやっと母である私が、高校くらい普通に卒業しなければというレールから降りることを受け入れることができたのです。
その後、復学するはずの高校には行きたくないという娘の気持ちを知り、新年度には娘が行きたいという単位制高校に転入しましたが、摂食障害を抱えての通学は並大抵のことではなく、そこも退学することになりました。
それからしばらく引きこもり生活をして過ごした後、高校卒業認定試験を受け、高卒資格を得ることができて専門学校へ進学し卒業することができました。
今になって思うことは、何故あの時に、娘が苦しくて苦しくて高校へ通えなくなっていたのに、母である私がいつまでも「せめて高卒くらいは」ということにしがみついていたのだろうかということです。
一旦乗ったレールから降りる怖さや不安は本人が一番感じているのに、その本人よりも母である私が怖さや不安で一杯になっていたのだと思っています。
あの時、「どんな道もある。休むときも人生にはあってもいいのだよ。必ず何かが見つかるから安心して大丈夫だよ」と言ってあげることができていたら、どんなに娘も安心できただろうにと思います。
それからの私自身は、娘のことを通して一旦レールから降りてしまえば、縛られていた所から解放されたわけですから、怖いものなんか何もありませんでした。
やっと心から「何とかなる」と思って進めるようになりました。
もし、娘さんの学校のことで悩んだり心配したりしているお母さんがいられたら、少しでもこの私の経験で何かを感じていただけたらと思っています。

2020年4月18日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Dさんより

娘が摂食障害だったあの頃のことを思い出してみて、自分の気持ちの中に沢山の辛さや苦しさ、切なさがありました。
あの当時は、こう言いたい私、言いたいけど言えない私、言ってはいけないと思う私、周囲の考えに合わせなければならない私、色々な自分がいました。
娘が病んでいるけど、母親である私自身も病んでいることと同じ気持ちがあったのだなぁとつくづく思っています。
そんな私の気持ちを吐き出すことが出来る場所は親の会でした。
そこで日常の家庭内で起こることや、家族とのこと、職場でのこと、自分自身の育ってきた家庭でのこと、様々なことを素直に話すことが出来たし、会でもしっかりも聴いてもらえました。
聴いてもらいながら、経験談やアドバイス等から、私が私の考えでやれることを行動にしてみました。
あの頃に背中を押してもらった言葉があります。
「母親も一人の人間なんだから、色々な感情があって当然なのです。それで良いのです。立派な完璧な姿を見せなければならないと思わず、親も間違うし失敗もすることもあるという有りのままの自分でいて良いのです」
これを心に刻み、娘にしっかりと向き合い関わってきました。
その私をしっかりと支えてくれたのは主人です。
母である私を家族の中でやっている私の気持ちを、どんな時も受け入れてくれました。
主人は仕事から帰宅すると、「今日は○○の様子はどうだった?」から始まり、私が色々話すことを聴いてくれました。そして、私の話を否定することもなく、こうしたらと指示したり命令したり怒ったりすることもなく、「おまえも1日大変だったな。疲れただろう?」と言ってくれました。
私は、主人から娘の父としてのアドバイスをもらうよりも、夫婦として私の気持ちをしっかりと聴いてもらい、受け入れてもらうだけで満足して安心できたのだなぁと思っています。
たまに主人が、「コーヒー飲むか?」といれてくれました。普段家事は何もしない主人が、私の為にいれてくれるということがとても嬉しかったのを覚えています。
娘の回復に至るまで、私自身も様々なことを通して自分を知ることができ、自分自身を自分で労ったり認めたり誉めたりできる自分になれたと思います。色々ありますが、自分の気持ちも伝えることができるようになったのもあります。
今は、昔の自分より今の自分の方が楽に生きられていると感じています。
そして娘とも摂食障害だった頃の話をしながら、お互いに色々なことを言葉にすることができています。

2020年4月4日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Cさんより

会で必ず言われることは、子供の話を聴くことと共感することの大切さでした。
聴くときは、やっている家事や何をしていても手を止めて、娘の側に行ってしっかりと聴くようにしました。
頷いたり、相づちを打ったり、たまにその話に突っ込んで聞いてみたり、とにかく娘の話だけに集中するようにして聴いていました。
私が苦手だったのは、共感するという方のことでした。
娘が面白いと言えば、共感しなければならないと思い、面白いねと答える。
美味しいと言えば美味しいねと返す。
果たしてこれでいいのかなと思っていたら、娘に「オウム返しすればいいと思っているのか!」とキレられてしまいました。
どうしていいのか分からなかった時に、たまたま娘に付き合って見ていたテレビドラマにはまりました(笑)
それは、嵐の松本潤主演の花より男子の再放送でした。
その頃の娘は高校も中退し、拒食から過食に移行した時だったので太っていく一方で、誰とも会えず外出することも出来ずに家に閉じこもっていました。
そんな娘と2人で見るそのドラマに、2人で本当に笑い、2人で本当にカッコいいとか好きだとか、色々な気持ちを言い合いながら、私は心から共感するということがこういうことなのだと知ることが出来たのです。
夜中でも2人で嵐の番組を見たり、CDを予約したり、来るのを楽しみに待ったり、一緒に聞いたり、これが本当に共感するということなのだなぁとつくづく思いました。
共感しなければという思いで発する言葉は、すぐに見破られてしまいます。
心から共感する言葉は物凄く力を持っていて、娘の心にもしっかりと届いたのでした。
娘が回復した今は、娘も私もあの頃一緒に夢中になった「嵐」にとても助けられた、救われた思いがしています。

2020年3月21日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Bさんより

向日葵の会に初めて参加した時に、過食にかかるお金のことを話されたのがとても強烈に私の心に響きました。
「過食にかかる買い物代金に出し惜しみしはしない方がいい。どうせ買うなら気持ちよく買ってあげて欲しい。買い渋ったりしているといつまでもズルズルと過食の買い物が続く可能性もある」
「回復までには家を一軒建てるくらいのお金がかかることもある」
と話がありました。
1つ目の、出し惜しみしていたらということについては、私もそうだなと府に落ちました。
どうせ買ってあげるなら嫌な顔しないで、娘の回復の為には必要な治療費だと思うことにしました。
食べて吐くのに、毎日スーパーで5000円~15000円くらい使う訳ですから、親の私も考え方を変えて、過食嘔吐に使うのは事実だが治療費なんだと思えば自然と覚悟も決まってきました。
2つ目の、家を一軒建てるくらいのお金については、正直なところ「大袈裟だなぁ、誇大表現だな」と思いました。
現実は、摂食障害を克服するまでにはお金がかかりました。
本当にかかりました。
過食の費用の他にも、学校を転々としたり、欲しくて欲しくてたまらない欲求を満たす為の買い物が高額だったり、とにかくお金はかかりました。
家を一軒という話は大袈裟でも誇大表現でもありませんでした。
それと、あえて3つ目と言わせてもらうならば、お金の心配をしていた頃、摂食障害をテーマにした講演会が親の会で開かれました。
その時に参加した本人の声で訴えた話があります。
「私のお母さんは、お兄ちゃんが大学に行くのに必要なお金は何も言わずに出すのに、私がスーパーで買うお金は出すときに嫌な顔をする。同じ子供なのに何で違うの!」
と涙ながらの声が会場に響き渡りました。
私は本人のこの言葉を聞いて、大学の費用は良くて過食の費用は悪いのか?と自分にも問いかけました。
私はこの子の言う通りだと思いました。
子供にかかるお金に、これは良い、これは悪いは無いのだと。全て、その子その子にとっての必要なお金があることに間違いはないと。
これが私の根底に届いた3つのことです。
娘が回復するまでには色々なことがありました。
最初に気づいたこの3つがあったから、摂食障害を乗り越えてこれた1つの理由かもしれません。

2020年3月7日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Aさんより

娘は高校1年生の終わり頃から症状を出し始めました。
娘から「摂食障害かもしれない」と本を渡された私は、「そんなことあるわけないでしょ!」と突っぱねてしまいました。
「3ヶ月でお母さんが治してやる!」とも言い放ちました。
この時は回復までの長い年月を想像することすらできませんでした。
でも、運が良かったことに、娘の発症から2ヶ月足らずで親の会に繋がることができました。
過食嘔吐の娘との関わり方や、その時の娘の気持ちや更に母親自身の気持ちにまで話を深く深くしてもらって、様々なことに気付くことができました。
世間一般常識に縛られ、人の目を気にして生きてきた私は一体何だったのだろうと涙が止まらなかったことを思い出します。
「過食嘔吐してもいいんだよ。それが今は必要だから起きているんだよ。無駄なことは一切ないよ」
と頂いたアドバイスに、丸ごと娘の全部を受け入れることが出来た私がいました。
回復までには、日常生活で起こる色々な事柄がありました。それを1つ1つ娘と一緒に、家族と一緒に乗り越えてきたからこそ、今の家族の形があると思います。
娘の摂食障害は10年に及びましたが、その年月が私と娘の信頼関係を構築し直してくれたと思っています。
今は娘も結婚して仕事をしながら子育てをしています。
「子供って好きなときに泣けて、言いたいときに言いたいことが言えていいよね。私も子供の頃、もっともっと自分の気持ちを言えば良かったなぁ」と、摂食障害を回復した娘は言っています。
この言葉を聞いて、言わせないようにしてきた私の子育てを痛感しました。
回復した今だからこそ、摂食障害が私達に教えてくれたことの大切さがよくわかります。

2020年2月15日(土) 「1人で抱えてきているということ」

今、過食嘔吐の最中にいる娘さんが、ご自分のお母さんのことについて聞いてこられました。
「私の母は人に相談したり愚痴をこぼしたりすることがありません。母の親であるお祖母ちゃんにも言うことはありません。母も人に話を聴いてもらったりしたら、私の摂食障害のことで母自身も辛い気持ちを持っているはずですから、少しは助かるのではないでしょうか?」
この言葉を聞いて、私もそうだと感じられるお母さんも多いのではないかと思います。
お母さん自身も様々な気持ちや考えや思いを、誰にも打ち明けず、相談もせず、話を聴いてもらうこともなく、1人で抱えてきていることがあるのです。
お母さん自身も生きてくるなかで、自分に厳しく、誰にも頼らず、自分の母にさえ心配させたり迷惑かけてはいけないと思い込み、1人で悩み苦しみながら解決しようと一生懸命にやってこられているはずです。
ですから、ご自分のお子さんが摂食障害になってもなかなか誰かに相談したりだとか、人を頼って聴いてもらうとかが出来ないのです。
お母さんご自身も、生きづらい道を歩いてこられていると思います。
そんなお母さんを見て育っていますから、摂食障害になった娘さんもそういう傾向があります。
摂食障害は、そんなお母さんに問題を提起しています。
「人を頼っていいのではないですか?」
「人を信用していいのではないですか?」
「人から支えてもらっていいのではないですか?」
「自分の弱さも辛さも苦しみも、聴いてもらっていいのではないですか?」
どうか、お母さん自身もご自分の抱える課題を見つめてみて欲しいと思います。
相談してこられた娘さんは、お母さんより先を歩き出していられます。
「私はこうやって人にも話せるし聴いてももらえるし、相談したりもしています。そうすると少しでも心が軽くなる感じがしています」と話してくれました。

2020年2月1日(土) 「家庭は休息の場所」

子供が心を病んでいる時には、子供自身も今までの生活が出来なくなっていることに不安と心配で押し潰されそうになっています。
親もその気持ちに変わりがないのは確かなところです。
この時に、「人生だものどんなときもあるさ。おまえが一生懸命頑張ってきたことは、お母さんが一番わかっているよ。今は休む時なんだと、お母さんは思っている。ゆっくり休んでいいと思うよ」と、子供に伝えてあげられたら、どんなに子供は救われるでしょうか?
休んでいる自分を否定されることなく、むしろ頑張っていたことを認められ、そして今の状態を肯定されるということで、安心感を持つことができます。その家庭の雰囲気があってこそ、やっと家庭は休息の場所になることができるのです。
では、逆の言葉を考えてみましょう。
「今のままでいて、この先どうしようと考えているの?誰だって苦しい時や辛い時だってあるんだよ。それを、抱えて皆頑張っているのに!このままじゃ、留年するよ!単位が足りなくなるよ!いったいどうしようと思っているの?いつから学校へ行くの?」…これは、高校生の子供に対して言ってしまいがちな親の言葉です。
勿論、子供の将来を心配するが故に出ているのには間違いないのですが、深く考えてみると、親自身も心配と不安で一杯で、その気持ちがそういった言葉になっているのも否めないはずです。
家庭の雰囲気がそうならば、子供は家庭の中で休めているのでしょうか?休息したい場所なのに、反対にビクビクしながら休むことも出来ずに過ごしていることになりかねません。
休息の場所になっていないのです。
摂食障害の子供は、底力をしっかりと持っています。
人よりも世間の目を気にしているし、一般常識を持ちながら生きてきています。
人一倍頑張りやさんです。
その子供が、十分家庭で休息できれば必ず動き出す日が来ます。その動き出す日は、子供に任せる、信じきることです。
動くのは子供本人なのですから。
向日葵の会では、そこの所を、ご家庭で起こっている事柄を通して1つ1つ丁寧にお話を聴きながら、アドバイスや助言をさせてもらっています。
参加されるお母さん方も皆さんが通ってこられている道です。
一緒にこの親の会に参加されて、お母さん自身も心の内を吐き出してみませんか?必ず何かが変わってきます。

2020年1月18日(土) 「育児は育自」

お母さんは子供が生まれて一生懸命に子育てに励みます。
たっぷりの愛情と手間ひまをかけて育てます。
赤ちゃんの世話をして養育していくのです。
それが「育児」です。
では親として初めてスタートしたお母さん自身のことを思ってみましょう。
親も赤ちゃんも初めて一緒にスタートなのに、親は当然わかるもの、正しいことをするもの、きちんと何をもできていて当たり前という思いにとらわれていないでしょうか?
ここで気付いてほしいのが、親も子も同時にスタートしているのです。
親は親をスタートし、子は子をスタートしているのです。
親も何もかもが初めてですから分からなくて当然なのです。
「育児」は「育自」とも置き換えられると思います。
親も子育てを通して、自分自身を育てていくのです。
摂食障害のお子さんをお持ちのお母さんは、何事につけても真面目で几帳面で、一生懸命に生きてこられた方がほとんどです。
世間体や世間一般常識を気にされて、みんなに合わせよう、自分は黙っても皆の和を大切にしよう。
とされる方が大多数です。
そんな中で、ある日突然子供が摂食障害になり、お母さん自身も当惑し苦しみ、辛く切ない中に入っていきます。
「私の育て方が悪かった。私の子供への接し方が悪かった」と自分を責める方もほとんどです。
でも、会でいつもお話しさせてもらうのは、「お母さんが一生懸命に子供に接してきたこと、関わってきたことに間違いはないはずです。一生懸命にやってきた事実に間違っていたということは1つもありません」ということです。
子供が摂食障害になった時に、オギャーと生まれたと思って欲しいのです。
そこから新たにスタートを切って、今度は「育児」よりも「育自」に視点を置いて、お母さん自身の気持ちを見つめてみて欲しいと思います。
お母さん自身も日常に起こる事柄を通して、自分はどうしたいのか?どういう気持ちがあるのか?どう感じて考えているのか?しっかりと自分を見つめるチャンスがスタートしているのですから。

2019年12月21日(土) 「母の手」

幼子が母親と一緒に手を繋いで歩く姿はよく目にしますよね。
子供は母の手から安心感を得ていると思います。
繋いだ手を通して、自分の全てを丸ごと包み込まれている温かさを感じているでしょう。
赤ちゃんが泣いている時には、母親はまず抱っこしますよね?抱き締められて赤ちゃんは母の温もりを感じて少しずつ落ち着いてきますね。
そしてオムツを交換したりミルクをやったりします。

母親の手の温もりはどんなに子供に必要なのか、生まれてからずっと大切なことなのだと思います。
摂食障害の子供が拒食や過食、過食嘔吐で症状を出してきますが、日常に起きていることで、他のことも色々あります。
そのことについての事例を紹介します。
例えば、リストカットがあります。
本人も辛く苦しい中で、何が起こっているのかわからなくなってもがいています。そんな時にリストカットに向かう子供もいます。
あるお母さんからの声です。
「娘がリストカットをした傷を見た時はショックでした。自分の心臓がえぐられるくらいの思いでした。初めはその傷を見つけては、やめようね。とか、傷が残るよ。とか、もうしないでね。くらいしか言えませんでした。でも、会に参加してリストカットする意味を知ってから、手首を切ることよりも、そうせざるを得ない娘の心の辛さを見つめるようになりました。ある時その傷を私はそっと撫でていました。娘は撫でられたままに手をだしていました。もうやめようねという言葉はでてきませんでした。その撫でるということは、その後もリストカットの度にごく自然にしていました。それから暫くしてリストカットはなくなりました」
このお話の中にもあるように、母親の手の温もりは何事にも変えがたいものがあるのでしょう。
娘さんは、お母さんからの無償の愛と一緒に安心感を貰ったと思います。
もう1つの例ですが、パニックになって泣き叫んだり大声をだしたりすることがあります。
お母さんからの声をお伝えします。
「キッチンで過食する娘に主人が何気無く言ったのです。
ほら!シャツから肉が出ているぞ!と、着ている服から腰が出ていたのですが、主人もついそんな風に言ってしまったのでした。娘は、肉?肉?やっぱり太ってるんだ!と叫び声をあげて、もういやー!死ぬー!だめだー!死にたい!と大声で繰り返してその叫び声は止まりませんでした。
でも私が側に行き娘の肩を抱き寄せて背中をさすり続けたら、しばらくしておさまりました」
このお話からも、お母さんからの手を通して伝わる全てを包み込む優しさと温かさがあったと言えると思います。
お母さんから安心感を貰っているのです。
母親の手はいつまでたっても、いくつになっても、子供にとっては安心を与えてくれるものだと思います。
病んでいる子供に寄り添うとき、そっと頭を撫でる。手を握る。背中や肩をさする。
ほっぺをさわる。
等々、手の温もりは必ず子供の心に届きます。
母の手は子供にとって、安心や安らぎを得ることができる大事な手なのです。

2019年12月7日(土) 「摂食障害」

摂食障害の子供たちは、何事に対しても100%か0%で評価しています。
「少しくらい構わない」
「まぁ、いいか」
「このくらい仕方ないな」
「こんな場合もあるよな」
「適当でいいか」
などと言う考えは持てないのです。
持ってはいけないと自分に課して生きてきたのです。
これは家庭環境がそうさせたり、子供自身がそう思い込んできていることもあります。
摂食障害のお子さんを見ると、そのお母さんもご自分に厳しかったり、嫁ぎ先やお母さん自身が育った家庭もそうだったりしていることも多々あります。
お母さん自身も生きづらさを抱えていられるのです。
子供達は物事に対して、完璧でなければならないのですから、努力家で真面目で一生懸命なわけです。そして、結果を出して評価されることをしてきているお子さん達ですから、自然に思考が100%か0%になってしまうのです。
それが、あるときに自尊心を傷つけられたり100%でいられなくなってきたときに、行き場のない気持ちが拒食や過食に向かっていくのです。
自己否定、自己不在、自己嫌悪に支配されてしまいます。
「こんな自分はダメだ」
「自分がどうしたいか、どうしていいかもわからない」
「自分が悪いのだ。自分なんて何の価値もない」
という思考に縛られてしまいます。
自信が無くなり不安と心配で一杯になっていくのです。
そんな行き場のない気持ちが拒食や過食に拍車をかけていきます。
まずご家庭でできることは何だと思われますか?
前述したことを踏まえて、お母さんご自身の心で感じてみてほしいと思います。
拒食や過食を止めようとする前に、一番大切なのはお子さんの心を知ることです。気持ちを十分聴いて寄り添っていくことです。
そうやりながら、お子さんの無くなった自信を少しずつ増やし、心配や不安を満足と安心に変えてあげることです。
頭の中で考えたり、人の受け売りや本から読みとった行動や接し方ではお子さんに伝わりません。
必要なのは、お母さんが自分の心で感じたことを、言葉にしたり行動したり、お子さんと一緒に歩んでいかれることです。
ご家庭で毎日起こる事柄を通して、少しずつ少しずつ丁寧にやっていかれれば必ず、色々なことが変わってきます。
向日葵の会では、その1つ1つの事柄を聴きながら、参加されている皆さんと一緒に考えたり話したりしながらやっています。
専門職の方々からもご参加頂き、貴重なアドバイスも頂いています。
もし、このホームページに繋がって読んで頂けたならば、1人で悩まずに一緒に話をしてみませんか?何かが必ず変わるはずです。

2019年11月16日(土) 「私を認めて欲しい」

人はいつのときでも、何歳になっても、自分のことを認めて欲しいものだと思います。
特に摂食障害になった子供は、自分のことを認めてもらった感覚がほとんどありません。
自分で何か行動しようとすると、必ず親が意見してくるために、いつの間にか親の敷いたレールを走っている。
何かにつけて、自分のやろうとすることには反対される。
しまいには、やろうとする前に、親から先にこうした方が良いとか当然だとか言われている。
こんな環境の中で育ってくると、いつの間にか自分の意見や気持ちや考えは、何がなんだかわからなくなってきます。
親は勿論子供のために良かれと思ってやっていることなのですが、それは本当に子供のためになっていることなのでしょうか?
思春期になって、押し殺してきた自分の気持ちがどうしようもなくなって拒食、過食という形で出てきているのも、こういった環境が摂食障害の背景にある要因の1つです。
子供たちは、自分の気持ちややろうとしていることを認めて欲しいのです。
やってみて失敗したり、つまずいたりしたら、その時に学べばいいのです。気付けばいいのです。
その経験は必ず人生においてプラスになります。
子供の心を成長させます。

まずは、子供の気持ちを、言葉を受け入れその子をまるごと認めてあげてください。
大人になっても誰もが経験しているはずです。
自分のことを、気持ちを認めて欲しいということを。

2019年11月2日(土) 「そのままの気持ちで」

摂食障害になった子供は不安と心配、自己否定、自信喪失…の状態で一杯になっています。
そんなときに頻繁に子供がよく色々なことを聞いてきます。
容姿のことから体型のことや、将来の不安や今の状況のこと、自分の症状のことや友達や家族との出来事、ありとあらゆることを聞いてきます。
さて、母親としてどう答えていますか?
会で参加される皆さんが口々に言われることは、「教え導こうとして、摂食障害になっている我が子に対して良い答えを出してあげようと、頭の中でぐるぐる考えて、考え抜いて答えている」
可愛い我が子が摂食障害で苦しんでいる中で、せめて悩んでいることを少しでも楽にさせてあげたくて、良い答えをかけようとする母親の気持ちはよくわかります。
でも、果たしてそれは子供が本当に待っている答えでしょうか?
言葉で飾られた返答より、摂食障害の子供への答え、として考えるのではなく、親も頭の中を真っ白にしてから、そのままの子供にそのままの自分で関わってあげて欲しいと思います。
頭で考えた答えではなく、親自身の心で感じたことを心から出てくる言葉で答えてあげてください。
その言葉は必ず子供の心に届きます。心に響くはずです。
そういった、日常の1つ1つの関わりが親子の信頼関係を構築し直していくのです。
心の言葉を大切にして欲しいと思います。

2019年10月26日(土)「公開講座に続いて」

第一回公開講座 [摂食障害を語る] 第二回公開講座 [聴こう、話そう、摂食障害] を一昨年、昨年と開催させていただき、県内各地から多数の方々から足を運んでもらいました。
今年はいつもの定例会において、新潟青陵大学 看護学部 看護学科 斎藤まさ子教授からご参加頂き、様々な話やお考えを聴かせてもらう機会を頂戴しました。
また、私達参加している母親からも、心の底からわき出てくる生の声をそのまま聴いて頂くことが出来て、新たな気付きを得ることが出来ました。
斎藤教授には、ご自身も勉強させてもらうと言って下さってご参加頂き、本当に心から感謝しています。
摂食障害の子供が回復していく中で、関わっている家族の気持ちを支え合ったり分かち合ったり、共感しながら親自身も安心していくことができる会の存在の必要性もお話下さいました。
私達向日葵の会では、摂食障害の子供の回復を通して、親自身の気付きも考えたり話し合ったりしています。
もし、このホームページに繋がって下さった方がいらしたら、是非私達の会をのぞいてみて欲しいと思っています。

2019年10月19日(土) 「寄り添う」

子供が摂食障害になって、日々日常で起こる事柄にどう対応していいか分からずに混乱してしまうのも母親の本音です。
今まで、何の手もかからず親に心配かけることもなく、どちらかといえばクラスの中でも優秀で明朗活発だった我が子が、ある日突然に人が変わったようになってしまい、どう対応していいのか?どう関わっていいのか?と、母親も分からなくなってしまうのです。
では、当の本人の心の中はどうでしょうか?
言うまでもなく、摂食障害になった本人自身も自分はどうなっているのか、どうしたいのか、何がしたいのか、訳がわからない状態になっています。
そんなときは、とにかく目の前にいるその子供だけを見て欲しいと思います。
子供の言うことにしっかりと耳を傾けて聴いてあげて欲しいのです。
そして、その子供の心に、気持ちに寄り添ってあげてください。
子供の心と気持ちを、お母さんが抱き締めてあげることが出来れば、子供は安心して満足します。
このことを繰り返し繰り返し日々積み重ねていき、親子関係を構築し直していくのです。
お互いに、親も子も思いや考えはきちんと言葉にして伝えましょう。
黙っていても分かるわけがありません。
「私はこう思う」 「こう考える」と、自分の気持ちを伝えましょう。
相手を主語にすると、相手のことを批判したり、指示、管理、命令したりする言葉になりがちです。
子供の気持ちに寄り添いながら、子供の心をしっかりと受け入れて十分話を聴きましょう。
摂食障害は気持ちを押し殺し、気持ちを封じ込め、自分の気持ちすらわからなくさせています。
その気持ちをを吐き出すことが回復には必要です。
子供にしっかりと寄り添って欲しいと思います。

2019年10月5日(土) 「摂食障害を振り返って」

思春期に摂食障害を発症して回復された今は、家事、育児、仕事にと奮闘されている方からのお話を聴くことができました。
皆さんからも読んで頂けたらと思っています。

現在、摂食障害とは離れた生活をしていますが、摂食障害は自分というものが分からなかった私に、自分の気持ちと向き合うことの大切さを教えてくれたものだと思っています。
渦中にいる時はとにかく辛くて苦しいだけでしたが、今は本当にそうだったと分かりました。
私は19歳で拒食症になり、その後過食嘔吐に移行して27歳まで渦中にいました。
今になれば、19年間は自分であって中身は自分でなかったのだから、19歳からの8年間で、自分を見つけ出せたことはラッキーだったと思えます。
でも渦中にいる時はトイレで吐いて疲れてそのまま寝て、起きては普通の生活が送れない自分に涙が出て、本当に辛かったです。
やっぱり世間一般の普通が羨ましくて、その差に苦しんでいたんだと思います。
でも、今なら8年間の私の普通は過食嘔吐がある生活だったし、他の人とは違うかもだけれど、ただそれだけの話だったなと思えるんです。
渦中にいる時は、苦しい辛いで、絶対にそんな考えにはなりませんでしたけど(笑)

一言一言に重みがあると感じています。
摂食障害を通ってきた娘さんだからこそ言えるお話だと思います。
どうか、今、摂食障害で渦中にいるあなた、そして産み育ててきたお母さん、このメッセージを信じて、改めて摂食障害を考えてみてはいかがでしょうか?

2019年9月21日(土) 「昼夜逆転」

いつもの定例会に、精神科医の鈴木先生をお呼びしたときのことです。
あるお母さんが先生に質問されました。
「娘は昼夜逆転しています。どうやって直したらいいでしょうか?」
先生のご返答は
「昼夜逆転しているといけませんか?」
でした。
お母さんは、自分の中で混乱して返事ができない様子でした。
私自身も、そのやりとりを聞いていて、目から鱗とはこのことだと思いました。
「昼夜逆転しているといけませんか?」
確かにそうだなぁと思いました。
親は、摂食障害になり引きこもったり、学校へいけなくなっている娘に対して、せめて規則正しい生活くらいはさせたいと思うのも無理はありません。
このまま昼夜逆転していたら、堕落した生活を過ごすに決まっていると思いもするでしょう。
この昼夜逆転についての考え方1つをとっても、世間一般常識、一般価値観にとらわれているのがよくわかると思います。
昼夜逆転していたら、何が悪いのでしょうか?
私も規則正しい生活くらいはして欲しいと思う母でしたが、この時にハッとしました。
娘に任せよう。娘の生活リズムは娘が決めることだと思いました。
その後、娘は昼夜逆転の生活をしていましたが、専門学校へ進むことが決まってからは、自分からリズムを直してきました。
必要に迫られれば、娘自身が考え気付き、行動していくのだと、親自身も気付いたのです。
昼夜逆転を直す方法を期待して聞いた精神科医から、「昼夜逆転しているといけませんか?」と逆に聞かれて、向日葵の会に参加されていたお母さん達も、各々に様々な思いや考えを持たれた1つの話です。
皆さんは、お子さんの昼夜逆転についてどう考えていられますか?

2019年9月7日(土) 「誉めること」

最近の子育ては、誉めて育てるというのが当たり前になっています。
しかし、ついこの前まではそれはなかなか難しいことでした。
あるエピソードをご紹介します。
お母さんが、摂食障害を回復した娘さんに聞いた時の話です。
「小学生の時にこのホールでピアノの発表会にでたこと覚えている?
あなたが弾いた夕焼けこやけに感動したんだよ」
娘さんの返答は「覚えているよ!友達と最後の記念撮影でふざけていたら、写真撮り終わったらすぐにお母さんが皆の前で私のことを怒鳴った!普通、よく頑張ったねって誉めるでしょ!」だったそうです。
お母さんには感動した覚えはあっても、叱ったというその覚えが全くありませんでした。
摂食障害を通り越してきた今になって、やっと娘さんもその時の気持ちをお母さんにぶつけたそうです。
その時を回顧して、親の会でお母さんが話されたことは
「あの当時は、私自身が人の評価や人の目を気にして生きていました。

自分の子供を悪く見せたくないばかりに、人前できつく叱ったのだと思います。
娘の言う通り、誉めることもしてなかったのだと思います。
娘が摂食障害になって、人の価値観に縛られている、こんな生き方は違うと教えてくれたのだと感じています。
今は、娘のことを真っ先に誉めることができるようになった私です」と話をされていました。
誉められないで、指示、管理、命令のもとで生きてきた子供たちは自分に自信がなくなってきています。
不安が膨らむばかりになってきています。
心が悲鳴をあげて摂食障害になってきているのです。
自信がない子供たちに、自信や安心を持たせてあげられるのは身近にいるお母さんです。
毎日の関わりの中で、1つ1つのことを大切にして、様々な場面で子供のことを誉めて認めてあげることをしてみて下さい。
その積み重ねが、子供の自信を回復させ、安心を得てくるのです。
安心で満たされれば、必ず摂食障害の症状も変わってくるし、何よりも心が回復してきます。
日常の関わりを大切にして欲しいと思います。

2019年8月17日(土) 「言葉にするということ」

親子だから、夫婦だから、といってわかり合えているとは限りません。
言葉にしないと、気持ちや考えていること、想いは伝わりにくいということです。
ともすれば、誤解や勘違いのまま伝わっていることもあります。
だから言葉にするのです。
言葉が必要なのです。
会での一例ですが、厳格な家庭環境で育った摂食障害の子供さんが、ずっと抱いていた気持ちを初めて語ってくれました。
「自分は母親に注意されたり怒られたりばかりしている。自分は嫌われている。だから自分も母親には甘えてはいけない。母親のことを好きになってはいけない。一人で頑張らなければならない。誰にも頼ってはいけない。」
一方の母親は「子供の成長を願うばかりに、子供がしたいことにも全てにおいて、親として意見を言ってそれに従わせてきた。親の言うことを聞いていれば確実に歩めると思ったし、間違いはないと思ってやってきた。子供も親の言うことをよく聞いたし、その通りに結果をだしてきた。厳しくしたのは我が子可愛さが故にしてきたことだった。子供は可愛い、可愛くて仕方がない。ただそれを言葉に出したことはなかったが、当然子供もわかっていてくれると思っていた。」
と語ってくれました。
この親子の言葉からもわかるように、わかってくれているはずという考えが、お互いの気持ちのすれ違いを生じさせているのです。
気付いた時がスタートです。
そこから始めれば良いのです。
親も子も、言葉で気持ちを伝えましょう。
気持ちを押し殺して生きてきたのも、摂食障害になった1つの理由でもあります。
いざ気持ちを言おうとしても、今まで言ってきていないのだから、戸惑ったり、自分の気持ちさえも何がなんだかわからなくなっている子供達です。
焦らず少しずつ、自分の気持ちを言いながら、自分自身を見ること、見つめることをしていきましょう。
これは子供達ばかりではありません。
母親も同じです。
自分自身のことを振り返るチャンスでもあるのです。

019年7月20日(土) 「アイメッセージ」

「私は(I~アイ)こう思う。私はこう考える」というように、主語を私にして話すと自然に自分の考えや気持ちを話すことが出来ます。
逆に主語を「あなたは(⚪️⚪️子は)」にすると、指示、命令、管理の言葉が出てしまいがちになります。
会話の基本は、「私は」から始められることをおすすめします。これが、アイメッセージです。
親も子も個々の人格を持った人間です。
皆が各々に、色々な思いや考えや感情があって当然で、それでいいのです。
ご家庭で、まずは、お互いにお互いを認め合いながら、自分の気持ちや考えを言い合えることを大切にして欲しいと思っています。
摂食障害になった子供は、小さい時から、親や周りの顔色を気にしながら、自分自身の気持ちを圧し殺して周囲に合わせて生きてきている子が多いのです。
そうやって生きてきたからこそ、自分で自分の気持ちが分からなくなっていることもあります。
自分の気持ちや心がどうにもならなくなり、摂食障害の症状が出ているのです。
親が関われることに、会話があります。
その時に、親もアイメッセージを使って話すようにしてみると、段々子供も自分の気持ちや考えを言えるようになってきます。
まずは、家庭の中で、安心して気兼ねなく、自分の気持ちや考えを言い合えることがとても大切なのです。

2019年7月6日(土) 「先取り」

子供がやろうとしていることや考えていることを、親が勝手な思い込みで先にやってしまうことをしていませんか?
子供のことを思いやってしている行動が、実は子供の考える力、行動する力を奪っていることにお気付きでしょうか?
子供が、困らないように失敗しないように、スムーズに事が運ぶようにと知らず知らずのうちにやっていることが、子供に何か事が起きたときに、子供自身がどうしていいか、考える力も行動する力も出せなくさせています。
小さい頃から、自分の意思をハッキリと言えて自分で考えて行動できる子供は(そうできる家庭環境にあった子供)、例え困難がやってきても、そこで失敗したとしても自分で解決していく力があります。
それが自己肯定感と、自信に繋がっています。
逆に、小さい頃から人の顔色ばかりを気にして、親の顔色をも伺いながら、自分の考えや意思も伝えられず親の言う通りにしてきた子供には(家庭環境において俗に言う、親のことをよく聞くいい子)、いつの間にか、自分の考えすらわからなくなってきていています。
このことが、自己不在、自己否定、自信喪失に繋がってきていることも否めません。
家庭において、まずは各々皆が自分の考えや意思を言えること。それを聞いている方も否定することなく、皆がお互いにお互いの考えを認め合いながら自分の考えをしっかりと主張できることが大切なことなのです。
子供は親の持ち物ではありません。子供も人格を持った立派な一人の人間なのです。

2019年6月15日(土) 「母親の気持ち」

娘が摂食障害になったときに、お母さんの心の中に出てくる気持ちにはどんなことがあるでしょうか?
勿論、子供の拒食や過食、過食嘔吐という症状をみて、子供のことを可哀想だとか辛そうだとか苦しいだろうとか、色々な気持ちがあると思います。
では、お母さん自身のことについてはどんな思いがわき出てきているでしょうか?
「私は今まで世間一般の人よりも真面目に一生懸命に生きてきた。
人や親に迷惑かけることもせず、したいことは我慢して、できるだけ自身の力でやってきた。
弱味も見せず、弱音もはかず、誰に頼ることもせず頑張って生きてきた。
結婚して、妻として嫁として、母として一生懸命にやってきた。
それなのに、何故、この自分の所に娘が摂食障害になるという、想像すらできない出来事が起こるの!
私の何がダメなの!
何がいけないの!
私のまわりには、気楽にやっている母親ばかりなのに、何でそこの家庭の子供は摂食障害にならないの!
真面目に一生懸命やってきた私の所に何で!」
という気持ちが渦巻いていませんか?
お母さんも一人の人間です。
色々な感情があって当然なのです。
母親には優しくて正しい人物像を求めてしまいがちですが、お母さん自身も生きてきた中で、内面にはもっと怒りや苦しみや悲しみ辛さ、抱えてきたものを一杯持っているはずです。
子供が摂食障害になったときに、子供を治してあげたい。
と願って子供に関わっていくお母さんなのですが、関わっていくうちに自分自身のことも振り返るスタートにもなってきます。
摂食障害は、家族、家庭を代表してその子が病んでくれている。と言ってもいいと思います。
「生きづらい」お母さん自身もそんなことを、心の奥底に押し隠してきて、今その気持ちにやっと気付き始めてきているのです。
子供が病んで教えてくれていると言ってもいいのかもしれません。
お母さん自身も、自分の気持ちをしっかりと見つめて欲しいと思います。
お母さん自身が助かっていくこと、楽になっていくこと、とても大切で必要なことなのです。

2019年6月1日(土) 「認めるということ」

摂食障害本人の言葉です。『誰かに認めてもらえない私よりも自分に認めてもらえない私の方が、ずっとかわいそう』
この言葉には本当に深い心の奥底からの叫びがあります。
「自分に認めてもらえない」という通りに、摂食障害本人は、実に厳しい規制を自分自身に課しています。
物事の結果を100%できたという〇か、0%も出来なかったという✖にしか当てはめることができないのです。
途中の半々位できたというような中途半端な評価は許せないのです。
まぁまぁこのくらいで良しにしようという妥協もできません。
日常生活の何事においても、100か0だけで生きていますから生きづらいのです。
この考え方は、生まれ持った本人の気質にもありますが、それにプラスされた家庭の空気や考え方、育ってきた中での様々な関わりや出来事が拍車をかけてきていると思います。
摂食障害の症状が出始めた時は、尚更この考え方が増幅されてのしかかってきて本人を苦しめます。
常に100%出来る自分、完璧な自分のことしか認められないのです。
いくら回りが、少しくらいオッケーだよ。大丈夫だよ。と言葉をかけても認められません。
自分自身に本当に厳しい本人達なのです。
自分でも許したくても(寛容に受け入れる)、自分のことを許せない(寛容なんて有り得ない)ものなのです。
それが、冒頭の言葉に表現されているのです。
「誰かに認めてもらえない自分よりも、自分に認めてもらえない自分の方がかわいそう」苦しいと思います。
辛いと思います。
そんな考え方にがんじがらめにされて過食、過食嘔吐、拒食という症状が出てきているのです。

2019年5月18日(土)「公開講座を振り返って」

摂食障害だったご本人から寄せていただいたメッセージをご紹介します。
高校一年生の時に拒食気味で、二年生の春に過食嘔吐が始まって、10年近くそこを経験してきた方の生の声です。

(全文)
過食の始まりは高校二年生の時です。
テスト期間中にふとお菓子を食べたら止まらなくなり、あれよあれよと食べてしまいました。
食べている最中は無我夢中で何も考えずにただお腹を満たす感覚でした。
お腹がパンパンに苦しくなった後は、何とも言えない後悔と罪悪感に襲われました。
そして次の日は、自分の食に対するルールを決めて軽食か絶食かを繰り返していました。
自分で吐くことも覚え、更に下剤も乱用していました。
親や周りには絶対にバレたくないと思い、ゴミを隠したり、コンビニのゴミ箱に捨てたりもしていました。
体重が少しでも増えたらバツ。
0,1g増えるのが許せなくて、自分が醜い塊にしか思えませんでした。
周りの目がとても気になり、でも過食は止めたくても止められず、自分だけではどうしようもできませんでした。
本当に毎日が辛くて毎日泣いていて、とにかく今を生きていくのがやっとでした。
そんな時、母が向日葵の会に参加してくれて、荒川さんや同じ子の悩みを持つ方々にサポートして頂きました。
それまでは、
食べちゃダメ、吐いちゃダメ、ちゃんと学校に行きなさい。
と言っていた母も、
食べていいんだよ。休みたかったら休んでいいんだよ。
と言ってくれました。
今の私を認めてくれるような気がしてとても救われました。
そして学校も思い切って休学しました。
とことん食べました。
とことん吐きました。
とことん休みました。
むしろ一緒に過食と共存共栄する感覚でいました。
それまでは勉強や部活動、常に上を目指して一生懸命頑張ってきました。
そのため、あまり母との時間はなかったのですが、休学期間中は一緒にスーパーへ行ったり犬の散歩をしたり、とてもゆっくりと時を過ごしました。
勿論、今まですべてに全力で走ってきたので、ずっと家にいる何もいていない自分が惨めに思える時もありました。
そんな時は休む決断をした自分を褒めてあげることにしました。
そんな毎日を長い間送っていました。
気持ちに余裕が出来たら美容学校へも通いました。
現在思うことは、たとえ今過食嘔吐したとしても、今の自分を認めることが出来ます。
大丈夫です。
今暗闇にいても必ず抜け出せます。
当時は本当に辛くて辛くて、周りが大丈夫と言っても、お先真っ暗としか思えませんでした。
明日なんか来なければいい。一生、過食に振り回される。
将来が絶望的でした。
でも大丈夫なんです。
何年も引きこもって、毎日何回も過食して、暴言を吐いたり暴れたりした私も、今では二人の子供がいます。
美容師もしています。
友達とランチにも行きます。
子供たちと毎日笑って過ごしています。
親身に話を聞いてくれた向日葵の会の皆さん、私と向き合ってくれた親にはとても感謝しています。
今、私はここにこうやっていることが出来て本当に良かったです。

2019年5月4日(土) 「過食嘔吐にかかるお金」

食べ物を沢山食べて吐くことを繰り返す症状が出ている過食嘔吐の時期に、付いて回るのがそれにかかるお金の問題です。
症状が酷い場合には、1日に何回もやっているわけですから、お金がかかってくるのは明らかです。
家庭の生活費まで圧迫してくるのです。
親も子も、そこに焦点をあてがちになりますが、少し考えて欲しいと思います。
食べて吐くのは、言葉に出せないモヤモヤした気持ち、怒りの気持ちや、不満やどうしようもない気持ち、何がなんだかわからなくなっている気持ちを吐き出しているのです。
吐くという行為に隠された心の奥底の叫びがあるのです。
会において発言された摂食障害の娘さんからの言葉があります。
「お母さんは、お兄ちゃんの大学の費用はすぐに出すのに、私の過食のお金はイヤイヤ出している!同じ子供なのに、大学の費用は良くて、過食の費用はダメなの!」
この言葉を聞いて、過食の費用について親も子も直面している課題だと感じています。
会では、そこを通ってきたお母さんからこんな言葉がでました。
「私は娘の過食費用は治療費だと思っています。カウンセリングや入院したと思えば何の違いもありません。」
またこんな声も出ました。
「確かに過食のお金はかかります。勿体ないと思います。でも、今の娘が気持ちを吐き出すために必要なことだと思うと不思議に私の腹もすわってきます。」
家庭其々に、考え方ややり方があります。
色々な考えを会で聴きながらご自分のものにして、娘さんに関わっていくことが大切なのです。
気持ちが言えるようになってくると、必ず症状は変わってきます。
子供の気持ちをしっかりと聴くことをして欲しいのです。

2019年4月20日(土) 「家族の関わり」

摂食障害になった子供の回復に必要なこと。
それは、医師の処方した薬やカウンセリングよりも、もっともっと大切なこと、大事にしなければならないことがあると考えています。
それは、「家族の関わり」です。
家族、特にまずは母親の関わりと言ってもいいと思います。
育ってきた環境や様々な関わりの中で、色々なことを感じながらも自分の気持ちを圧し殺して、人に合わせることを常にしてきている子供達です。
その子供達が思春期を迎えた頃に、どうしていいかわからなくなり、自分の気持ちを出す表現の代わりに食べ物への症状として出てきているのが摂食障害なのです。
家族、母親、父親は、この摂食障害になったことを通して自分達をも様々なことに気付いていきます。
過去のこと、今までのこと、その時々の子供との関わりがどうだったか…
そんなとき、お母さんは自分の関わり方が悪かったからと自責の念にかられがちですが、決してその様なことはありません。
お母さんはお母さんなりに一生懸命にやってこられたはずです。
子供が摂食障害になったことで、これから新たにスタートすればよいのです。
子供との関わりを大切にして、気付いたことをやっていく、関わりながら、失敗してもそれを糧にまたやっていけばいいのです。
子供の気持ちを聴くことを通して、大切に関わっていって欲しいと思います。
お母さんも、自分の気持ちは言葉にしないと伝わらないし誤解されることもあります。
親も子も、言葉にして伝えることをやってみましょう。

2019年4月6日(土) 母親に必要なゆとり

お母さんと子供との関わりの中で、まずは子供の言うことをしっかりと聴くことが大切です。

では、しっかりと聴く為にお母さんに必要なことは何でしょうか?

それは、お母さん自身の心のゆとり(余裕)と、時間のゆとり(余裕)です。

これは多分どなたも経験があると思いますが、例えば子供が学校での事を話をし始めたとします。

時間のゆとりがないお母さんは、頭の中は夕飯しなきゃ、買い物行かなきゃ、明日の準備しなきゃ、あれもこれもやらなきゃ、…ということで一杯なのです。
子供の話を聴くどころではなく、聞き流してしまうことがあるのです。

心のゆとりがないお母さんは、頭の中は人の顔色を伺ってばかりの不安や心配で一杯になっています。お嫁さんの立場なら、義父母とのこと、嫁姑とのこと、妻としてではご主人との関係、仕事をしていれば職場での関係や出来事、心の中に余裕がなくなり子供の話を聴くどころではなくなっているのです。

お母さん自身が目一杯になっていると、なかなか子供の全てを聴く姿勢が保てないのです。

では、そのお母さんの気持ちを助けてあげられるのは誰でしょうか?

それは、他でもないご主人なのです。

お母さんを支えてあげられるのはお父さんの役目です。お母さんが抱えている不安や心配を聴いてあげることが出来るのはお父さんしかいないのです。

解決策や助言や、世間一般の概念などは要りません。ただ聴いてあげるだけでいいのです。

お母さんが楽になれば、ゆとり(余裕)が持てて、しっかりと子供に関わっていけるのです。

どうか、お父さんからはお母さんを支えることを充分にしてあげて欲しいと思います。

「コーヒーいれようか?」「お茶いれたよ」

と、是非お父さんからお母さんに言ってあげてください。

お母さんが助かっていくこと。楽になっていくこと。
そこを大切にされてみると、その雰囲気(家庭の波動)が病んでいる子供に伝わっていき、自然に色々なことが変わってきます。

2019年3月16日(土) 「自分がどうしたいかわからない」

摂食障害の子供達は、自分がどうしたいかという自分自身の気持ちでさえわからなくなってきています。

選ぶことができないのです。
選ぶことにも、物凄いエネルギーを使います。時間がかかります。

どうしてかというと、小さい頃から人の顔色をみて、自分の気持ちや考えは後回しにしてきたからです。
人に合わせる生き方をしてきたからです。

極端に言えば、カラスは黒いのに周囲が白だと言えば、自分は「違う!黒だ!」と言いたいのに「白です」と言いながら、心の中では違う、違う、と思って生きてきているのです。

毎日の生活の中でこんなふうに生きてきていると、自分は本当にどうしたいかというのがわからなくなってくるのです。

「自己不在」ということです。

こうしたいと子供は訴えているのに、ことごとく親の意見や考えを押し付けてこられれば、言えなくなってくるのは当然であり、気持ちでさえわからなくなってきても不思議なことではありません。

自己不在ということについて、子供が摂食障害になって、初めて親も子も気づいていくのです。

親の会では、まず気づくことからだと考えています。

気づいたら、そこからスタートすればいいのです。

具体例をあげるならば、買い物1つにしてもそうです。
どちらの服を買うかとても迷います。

子供が選ぶのをじっと待つ姿勢が親には必要です。

「早く決めなさい」とか「こっちがいいよ」とか、言わないことです。

子供が選ぶのを待つのです。選んだら、親の意見を押し付けずに子供の決めたことを「わかったよ」と受け入れてあげるだけでいいのです。

それを繰り返し繰り返しやっていけば、必ず変化が起きてきます。

2019年3月2日(土) 「人の目を気にする子供達」

摂食障害の子供達は、周囲からの評価をとても気にします。
そして、それを元に自分を評価してしまうのです。
人の目が気になって仕方ないのです。

これは、自分自身に自信がなくなってきているからです。

1つの例ですが、A子さんは小さい時から活発で、勉強もスポーツも頑張って成果を出している子供でした。
家族からは勿論のこと、学校でも先生や友達からも認められている存在でした。
周りの評価が高かった中で生きてきて、常に自分をそこに置いておくことができていたのです。

そんな頑張りにも結果が出せなくなって来る時がやってきたのです。

周囲からの評価で、自分の価値を決めて生きてきた中で、突然起こってくる現実に心はズタズタになってきます。

こんな時に、A子さんの苦しい心の中を話せる母親がいて(誰でもいいのですが、一番は母親といってもいいでしょう)、とことん聴いてもらえることができていたら、A子さんの気持ちも助かっていくのですが、A子さん自身もいい子にしてきていますから、母親に弱音を吐く自分は見せられないし、話せないで平静を装い一人で辛い思いをしていることが多いのです。

そして、手っ取り早くその気持ちを処理できる手段として、拒食であり過食、過食嘔吐という形が現れてくるのです。

「食べ物は裏切らない」と言う子供もいます。

食べ物は何も言いません。
どんな顔色も出しません。

周囲からの目を気にする子供達が、安心して頼ることができるのが食べ物なのです。

心が丈夫な子供は、つまずいても、挫折しても、立ち直り前を向くことができます。
何故なら、ダメな自分も許せるし、それも自分だと受け入れられるからです。

摂食障害になる子供達は、とことん自分をダメと評価します。
こんな自分は生きている価値がないとまで言います。
自信がないのです。

この傷ついた心を温かく優しく包み込んで、安心させてあげるのが、まずは母親ができることであり必要なことなのです。
これは、父親にもお願いしたいことなのですが、更にお父さんからはお母さんを支えてもらいたいということです。

24時間、休みなく毎日子供に関わっているお母さんも辛く苦しく切ないのです。
お母さんを支えてあげるお父さんの存在が家庭には大切なのです。

2019年2月16日(土) 「共感する」

 

話を聴くことの次にして欲しいことは、共感、です。 

 

子供の話を十分聴く姿勢で、頷きながら聴いていると共感されている感じがあります。 

 

頷くという動作も、首を大きく振ったり小さくふったり、その時の聴き手の共感具合によって違ってきますよね? また、時折、「そうだよね」「そう思ったんだね」「そう思う気持ちも当然だと思うよ」などと言葉を挟んであげると、共感されている感じが増します。 

 

ただ、ここで気をつけて欲しいのは、聴き手(母であったり、父であったり)が、共感もしていないのに取り敢えず共感しておこうとするのは好ましくありません。
これは、直ぐに子供から見破られてしまっています。 

 

親は思ってもいないのに、摂食障害の自分に合わせているだけだ!と… 同じ物をみて同じことを感じて共感できるときに初めてお互いの心が通じ合うと思います。 

 

感じていないのに、合わせて同じことを言おうとするのは直ぐにわかってしまうものなのです。 

 

例えば、子供が好きなアーティストの歌を聞きながら「この歌、いいよねー」と子供が言ってきた時に、お母さんも本当にその歌をいいと思っていたら、「いいよね。お母さんは、この部分好きだよ」と会話も弾むことでしょう。
子供は共感された感じで包まれます。 

 

もし、お母さんがその歌を知らない時は正直に「へえ、この歌が好きなんだ?どんな歌なの?お母さんも聞いてみたいな」と、無理に共感しようとせずに、正直にお母さんの気持ちを伝えた方が、子供も楽だし嬉しいはずです。 

 

「共感する」という気持ちを大切にして欲しいと思います。 

  

2019年2月2日(土) 「気持ちを家庭内で自由に言えていますか?」

ストレス社会と言われる現代です。

子供も学校や習い事、スポーツクラブ、有りとあらゆる場所で様々な人間関係や出来事で、色々なことが起きています。

そこでは楽しいこともあり、嫌なこともあり、心配したり不安になったり、悩んだり切なくなったりすることもあります。

それは成長の過程では必要なことなのです。

ここで気づかなければならないのは、心が健康な子供は糧にしていく力を持っているということ、心が繊細で弱っている子供はそのことが重くのしかかってきて

辛くて苦しいということです。

そんなときに休める居場所が家庭であるのが一番大切なことなのです。

疲れて傷ついて帰ってきたこどもには、特にお母さんがしっかりとその子の話を聴いてあげることが必要です。

待ち構えて、さぁ話してごらん、何があった?では、とても子供は話せません。
また、せっかく話したのに、とかく解決策を親がねってしまい、こうしたらいいとか、こうなるからこうだとか、言ってしまいがちですが、これでは子供も話したくなくなります。

子供の側で、子供の心に寄り添い、子供が話してくれるのを待ちます。

話してくれたら、そうか、そうだったのか、そんなことがあったんだね、と聴いてあげるだけでいいのです。
子供が自分の気持ちをしっかり言える家庭であること、父であること、母であることが大切です。

子供は、親に十分聴いてもらうことができると安心がうまれます。安心で満たされていけば自信がうまれます。自信がうまれれば行動することができます。

家庭は心身共に休める場所、安心できる場所であってほしいものです。

2019年1月19日(土) 「聴くということ」

子供と会話をするとき、一番大切にして欲しいことは「しっかりと聴く」ということです。

長年に渡り親の会をやってきていますが、毎回話題に出てくることの1つに「聴く」というテーマがあります。

子供が今日あったことや、困ったこと、どうしていいか悩んでいること、等々話してくれると、とかく親御さんの側からすると、子供に正しいことを教え導かなければならないと反応してしまいがちなものです。

それも必要なことなのかもしれませんが、子供にとってもっともっとして欲しいことは、「聴いて欲しい」だけのことなのです。
もっとハッキリと言わせてもらえれば「親の意見なんか聞きたくない」のです。
子供は、自分自身の心の内を聴いて欲しいのです。

十分聴いてあげると、子供は子供なりに自分で解決していけるものなのです。
また、その力がつくものなのです。

子供が話をしてきたら、忙しい中でもその手をとめて、しっかりと子供に向き合って話を聴いてみて下さい。

「そうだったんだね」「そう思ったんだね」「へぇ、そんなことがあったんだ?」「へぇ、それからどうしたの?」「それでどう思ったの?」… と、子供が話をしながら子供自身の気持ちも話せるように、親が十分聴く姿勢が大切なのです。

会に参加されるお母さんも「わかっているつもりなのについ私自身の考えや意見を子供より先に話をしてしまいます」と意見が出ますが、そうすると子供はもう話をやめてしまうのです。
「私が話すと説明や言い訳みたいなことが多くなって、しまいに何が言いたいか伝わらないこともあります」と話をされます。

どのお母さんも心当たりがあると思います。

今日から少しずつ、「聴く」という姿勢を心がけてみて下さい。
必ず、子供から話をしてくれます。
子供が心の内を話してきます。
それを全て聴いてあげるだけでいいのです。

聴いてもらうと、心が満足します。
満足できれば安心します。
安心すれば、自信も生まれます。

「聴く」ということは本当に大切なことなのです。

2019年1月5日(土) 「有りのまま、全てを受け入れる」

摂食障害は日常目の前で過食嘔吐や拒食という症状が現れてきています。
これは症状であり、その根底にはそこに隠された気持ちがあるのです。

その気持ちを聴いてあげること、親子共々気付くこと、その気持ちや感じたことをお互いに認め合えることが回復には大変必要なことになってきます。

では、有りのまま、そのまま全てを受け入れるとはどういうことだと思われますか? 摂食障害になる前までは、手のかからないお利口さんタイプの優しい子供だったのに…と大多数のお母さん達がそう言われます。
反抗期もなく、親に口答えすることもなく、思いやりもあり、本当にいい子でした…とも言われます。

…にはお母さんの心の中にどんな気持ちがあるのでしょうか? こんなはずじゃない!こんなことする子供に育てたはずじゃない! と目の前にいる子供をそんなふうに感じる心があるのも確かだと思います。
お母さんも様々な感情が出てきます。

勿論、苦しんでいる我が子が可哀想で、代われるものなら代わりたいと思う程、お母さん自身も切ないのは確かです。

そんな色々な気持ちを見つめたうえで、「目の前にいる有りのままの我が子をそのまま全て受け入れる」ということが大切です。

どんなことをしても、どんなことを言われても、どんな時であっても、我が子にかわりはないのです。

お母さんのそんな姿勢が子供達の病んでいる心を包み込んでいきます。
必ず子供に届きます。
お母さんの限りない愛情を子供たちは求めているのです。

お母さんと表現しましたが、言うまでもなくこれはお父さんでもあり、ご家庭でもありということです。

子供の摂食障害を通して、様々な事柄が起きてきます。色々な気持ちも出てきます。

子供の症状だけに着眼するのではなく、そこに隠された気持ちを聴いてあげましょう。

2018.12.15 (土) 「安心できるということ」

子供が摂食障害になり、今までとはかけ離れた事柄がおこってくるわけですから、親も子も不安と心配で一杯になるのは当然です。

そこに、拒食の症状や過食の症状が出ているのですから、苦しさや辛さ、切なさで押し潰されそうになるのが現実です。

この中で欲しいのが「安心」という気持ちであり心です。

摂食障害の本人である子供が不安で一杯なのに、それより先に親が不安の塊でガチガチになっている状態で子供に関わっても不安は増幅するばかりです。

まずは、親が安心できる心を持てるようになること。そうすると、その安心の空気が子供に伝わっていき、自然と安心で満たされてくるのです。

そうなる為に必要な早道は、今起きている事柄をまるごと受けとめることです。

摂食障害の我が子も、摂食障害になる前の我が子も、どちらも我が子には変わりありません。

お母さんの心配や不安はお父さんに(ご主人)受け止めてもらい、安心して子供に向き合って行きましょう。子供が安心できるようになると、必ず回復への道を進んでいきます

2018年12月1日(土) 「窓を開けて風を入れましょう」

閉め切った部屋の中は空気が流れません。
どんどん汚れた空気がたまっていきます。
家庭の中も同じです。
摂食障害になった子供が「家庭に居場所がない」と、よく口にします。
いくら大きい家でも、自分の部屋があっても″居場所がない”のです。
「そのままのあなたでいいんだよ」と言う心からの想いで子供に向き合ってあげて下さい。
今まで閉め切った家の窓を開けて新しい風を入れてみませんか?
新しい風が吹けば、きっと家庭の中も変化が起きてくるはずです。
子供の摂食障害を治そうとして子供をを変えようとする前に、お母さん、お父さん、ご家族の皆さん、ご自身のことを見つめなおしてみることも大切だと思います。

2018年11月17日(土) 「お母さんが助かることの大切さ」

摂食障害の子供に、常に関わることになるのは主にお母さんです。
摂食障害の本人が辛く苦しい中にいるのは言うまでもありませんが、お母さん自身も本当に辛く苦しいのです。
自分が産んだ我が子の病んでいる姿を見て切なくない訳がありません。
向日葵の会では、そんなお母さんをサポートしています。
お母さんも日々、不安や心配で一杯なのです。
その不安や心配が安心に変わっていくことが、お母さんが助かっていく一歩になるのです。
お母さんの心が安心で一杯になれば、自然と子供にも安心が伝わっていくのです。

2018年10月20日(土)「娘の摂食障害を通して、娘から色々なことを教えてもらいました」

摂食障害の娘さんを抱え、5年の間、家庭内で起こる様々な出来事に途方に暮れていた矢先、去年開催した公開講座「摂食障害を語る」をきっかけに向日葵の会に参加されて1年が経ったご家庭のお父さんの言葉です。
この1年の間に過去5年間の事を「空回りしていた」と表現されたお母さん。
どんなに辛く、苦しく、切ない5年間だったのかと思うと、経験してきた私達母親は誰もが涙します。
通ってきた道だからこそ、お母さんの気持ちが手に取るように分かるのです。
そのご夫婦が、この1年間に向日葵の会に通われることを土台にして娘さんとの関係に様々な変化が起こり、そして回復への道を確実に歩み始められています。
お父さんが振り返って見ていわれた言葉です。
「娘の摂食障害を通して、娘から色々なことを教えてもらいました」
摂食障害は本人だけの問題ではありません。
本人に症状は過食・拒食と言う形で表れていますが、ご家庭やご家族にも課題を投げかけているのです・・・・・

2018年11月3日(土)「子供にとって一番のカウンセラーはお母さん」

拒食で入退院を繰り返しているお子さんを持つお母さんが、娘さんの体重が減ってきている様子を見て、娘さんに言ったそうです。
「○○子、担当のお医者さんにあなたの心配な事や不安なことを話した方がいいのでは? お医者さんでなくてもカウンセラーの方に話を聞いてもらったら?」と・・・
その言葉に娘さんが返したことは、「私が聴いて欲しい相手は医者でもカウンセラーでもない!お母さんに聴いてもらいたいんだ!」
娘さんの言葉は心の叫びです。
幼少期、子供が、「ねえねえ、お母さん・・・」と、話をして来る時、無条件に話を聴いていましたよね? 同じなんです。
いくつになっても子供はお母さんから全てを受け入れてもらいたいのです。
ページの先頭へ