2024年11月16日(土) 「初めての家族会で」
娘が摂食障害になった時、途方に暮れて過ごしていた私を救ってくれたのは家族会の存在でした。
たまたま知った家族会に初めて参加した時に、あるお母さんが娘さんの結婚写真を持って来られていました。
その写真を初対面の私にも見せてくださりながら、
「大丈夫、貴女の娘さんにもこんな日が必ず来るよ」
と言ってもらえました。
その言葉を心の支えに、家族会に参加しながら、私1人じゃない。同じ気持ちで同じ所を通ってきている人達がいる。必ず回復の道に繋がっていくのだと信じながら娘と向き合っていくことができました。
家族会のある日は参加したくて参加したくて、行かないでいられない私がいました。
とにかく行って私の話を聴いてもらったり、他の方の話を聴かせてもらったりしたくなったものでした。
家族会で私が安心をもらいながら、色々ことを吐き出して心が軽くなっていたのです。
それがまた娘に向き合う力になっていたのだと思います。
今、娘は結婚して子供も授かり生活しています。
あの時に私が貰った言葉の通りになりました。
今度は私が苦しんで辛い中にいるお母さんに声をかけてあげたいと思っています。
「大丈夫、きっと貴女の娘さんにもこんな日が必ず来ます」
これは参加されたお母さんのお話です。
このお話の通り、向日葵の会では助かっていった人が今度は助ける側にまわり、また次の人が助かっていく。そしてその助かった人が助ける側に…と繋がっています。
ここに繋がってくださった皆様、1人で抱えずにどうか一歩を踏み出して欲しいと思っています。
向日葵の会で皆で支え合いながら助かっていきましょう。
2024年11月2日(土) 「母の心」
摂食障害の娘さんが出している症状は、日常生活の中で一番近くで関わっているお母さんにとっては並々ならぬことであることは事実です。
でも、摂食障害について知らない最初の頃に抱いたお母さんの気持ちは、家族会に参加しながら、そして家庭の中で起きる、娘を通しての色々な出来事を経験しながら動いてくるのです。
そのことを参加されたお母さんがお話ししてくださいました。
「娘が摂食障害だとわかったとき、何で私の娘が摂食障害に!何で私のところに摂食障害ということが!何も悪いことしてないのに!今まで誰にも迷惑かけずに誰にも頼らず一生懸命にやってきた私のところに何で!
私も娘も人よりも真面目に生きてきたのに!という気持ちで一杯になり涙で明け暮れたものでした。
目の前で起きる娘の豹変した様子に、自分の気持ちも追い付いていかずに毎日が辛くて苦しくて、自分を責めたり娘のことまでも心の中で責めたり、こんなになったのは家庭のせいだと家族のことを責める気持ちも出てきました。
しかし、そんなぐちゃぐちゃな毎日の中を過ごしてきて、私の考え方や捉え方、感じ方、価値観が変わってきたら今までと同じことがあってもさほど苦にもならなくなってきました。
嫌だな…こんな生活いつまで続くの?と思う時もそれはあります。
でも娘の笑顔をみたら嫌だな、よりも娘とこうしてる時が幸せと思います。
ちょっとの事で機嫌がころっと変わるので大変なこともあります。
でも言い訳はしないで、『そう思ったんだね、(そのことに対して)貴女のことをわかってあげられないお母さんだったね』と言うと娘もわかってくれます。
それは、私が心から娘のことをわかりたいと思って自然に出る言葉でした。
私の気持ちがこんな風に変わってきたら、娘を腫れ物扱いしていた自分に気付きました。
それが無くなってきて、私も楽になったし多分娘も楽になったのだろうと思っています」
お母さんの気持ちがこんな風に動いてくると家庭の中に流れる空気も変わってきます。
やっと娘さんも安心できる家庭という居場所でゆっくりと心を休めていけるようになるのです。
2024年10月19日(土) 「謝る」
摂食障害になって、やっと心の中に溜め込んで蓋をしてきた気持ちを吐き出すことをし始める子供達…
「あの時、こう言ったよね!」
「他の兄弟にはこうだったけど、私だけにはこういう態度だったよね!」
「いつも私の話には反対ばかりだったよね!」
「私がしたいことは全てダメだったよね!」
小さい時に感じていたことや言えなかったこと、できなかったこと…どんどん吹き出してきます。
それを母親にぶつける時は怒鳴り声だったり暴言だったり、母を罵るような言葉だったりします。
心の底からの叫びですから、勢いをつけないと言えないのです。
ですからどうしても激しい口調になるのです。
そんな時、お母さん方はどのようにお子さんに答えていますか?
「あの時はこういう状況で仕方なかった」
「そんなつもりで言ったんじゃない」
「昔のことを引っ張り出して今更どうなるの」
「あなたが勝手にひねくれて取り違えているだけだ」
「お母さんはそんなこと一言も言っていない」
ついついそんな風に言ってしまっているお心当たりはありませんか?
子供には親が言い訳をしているだけにしか聞こえません。
それどころか、やっと言えた気持ちを更に否定され、非難された気持ちになってしまうものです。
かといって、簡単に「ごめんね」と謝っても子供の心には届きません。
どのように親の気持ちを伝えたらいいのでしょうか?
「そうだったんだね。○○の辛い気持ちに気付かないでいてごめんね」
言っていることを、「そうだったんだね」と認めて、それからその時の気持ちに気付かないでいたことを「ごめんね」と謝るのです。
子供に対しても丁寧に向き合っていくことを大切にして欲しいと思っています。
2024年10月5日(土) 「母への暴言」
摂食障害の最中にいる時に、暴言を吐く子供達がいます。
特に母親に対しての暴言です。
今までそんな乱暴な言葉や口調を聞いてきていない親にとって、初めて浴びせられた時のショックは計り知れないものでしょう。
暴言を吐くときの顔つきまで、全く別人のような子供がそこにいます。
でも冷静に考えてみると、誰しも怒りを出す時に優しい顔でいるわけがありません。
いま、目の前にいる子供もそうなんです。
そして暴言を吐けるのは、唯一無二、お母さんしかいないのです。
例えお母さんのことを罵ったとしても、そこにはお母さんだけにしかぶつけられない、お母さんにしか受け止めてもらえない、そんな思いがあるからです。
罵った言葉の裏には、先々の心配や不安、今の状況の中にいる辛さ苦しさ、人との関わりの中でのストレス、自分の症状に対してのイライラ、自己嫌悪、自己否定…色々なことが含まれています。
回復へ繋がるには避けては通れない時期にいると思ってください。
子供が母親に向ける暴言には色々な気持ちが隠されているのですから。
2024年9月21日(土) 「とんぼのめがね」
向日葵の会は新潟県の中央にある長岡市に拠点を置いています。
上越新幹線が乗り入れている長岡駅のすぐ近くです。
そして何と言っても越後平野のど真ん中になります。
秋には稲穂をつけて辺り一面黄金色に輝きます。
青空や夕焼け空を背にしての美しさは言葉になりません。
その空を飛ぶ幾数ものとんぼを見ていると浮かんでくるのは童謡「とんぼのめがね」です。
とんぼのめがねは みずいろめがね あおいおそらを とんだから とんだから
とんぼのめがねは ぴかぴかめがね おてんとさまを みてたから みてたから
とんぼのめがねは あかいろめがね ゆうやけぐもを とんだから とんだから
見るもの、見えるものでめがねの色が変わる。
子供をみて感じることや見えてくることを、どう親が受け止めるかにより、親がかけているめがねもクリアであったり曇ったり、色々なカラーであったりするのではないでしょうか?
見るもの、見えるものでめがねの色が変わる。
逆も然りだと思います。
親が子を見るときに、親の立ち位置や視点、考え方という一方通行で向き合うと、見えてくるものや感じてくることが固まってくるように思います。
親がかけるめがねによっても、親のめがねのかけ方によっても、随分違ってくるはずです。
子供を通して、親も己自身を振り返るチャンスをもらっているのかもしません。
2024年9月7日(土) 「晴耕雨読」
「私、この言葉が好きなんです。
詳しくはわからないけど、きっと晴れた日は田畑を耕して、雨の日は家で好きな本を読んで過ごしましょう。
という感じの意味を持っているのだと思います。
『悠々自適』という意味らしいこともききましたが、私はそれだけではないように勝手に解釈しています。
『晴耕雨読』
私の娘もそうなのだと思いますし、私もそうなのではないかと思えているのです。
娘の摂食障害は、今までとにかく走ってきた人生に少しブレーキをかけてくれているのではないかと思っています。
娘も私も、自分の力以上のペースで色々なことをこなそうとして来ていた、そしてこなして来ていたのではないかと…
だから今、摂食障害という事柄を通して振り返るチャンスを貰ったのかもしれないと…
ここは、ゆっくりと丁寧に、そしてじっくりと大切に、起きてくる様々な事柄に向き合いながらやっていく時なのかもしれない。
人生は晴れの日も雨の日もあるし、あって当然。
ならば、その晴れも雨も楽しもう。
そんなふうに思っています」
出席されたお母さんからの言葉です。
娘さんは進学校に進みましたが、摂食障害を発症して休学から退学、今は家庭の中で過ごしていられます。
敷かれたレールの上を、母娘二人三脚でまっしぐらに走ってきた所から降りる決断に至るまでは語りきれないほどの葛藤と出来事がありました。
やっと今、ゆっくりと休める気持ち(休んでいいのだという気持ち)になっていられるようです。
ゆっくりと家庭の中で休めると枯渇したエネルギーが満たされてきます。
満たされると必ず動き出したくなるのです。
何といっても底力を持っている子供たちですから。
親はそれを信じて待つしかありません。
子供の人生は子供自身が自分で歩いていくのです。
親にできることは、そっと見守りながら応援していくことなのではないでしょうか…
2024年8月17日(土) 「頼ること」
誰かに頼ることはできますか?
Aさんのお話
「私は何故かわかりませんが、人のことを信じることができませんでした。
信じられるのは自分だけだと。ですから、友人にも親にも誰にでも本心や本音は出さずにきました。
人に頼ることもしません。
頼ってはいけない。
自分の力で自分のことは自分で解決していく。
この思考の中で生きてきました。
私の子供にもそれを言い続けてきました。
その私が…
子供が摂食障害になり、この家族会に繋がり、会で色々なことを話したり聴いたりするうちに
人に頼って良いんだ。
人を信じて良いんだ。
人と人が支え合うって大切なんだ。
と感じることができました。
1人で抱え込むこと、頑張ることに執着していた気持ちを手放したら、なんだか気分がスッとしていきました。
子供にも強いてきた私ですが、子供にそれを伝えると
『いまさらそんなこと言われてもできるわけない!』
と言われました。
そりゃそうです。
今まで叩き込んできた思考を真逆にして良いと言われれば、その言葉も当然出るでしょう。
でも、今、私が気付いたのですからきっと子供にもその日がやってくると信じています。
人に頼ることも、人から頼られることも、生きるには大切なことだとわかる日が来ることを…」
参加されている皆さんからも同じ気持ちを話して頂きました。
簡単なようで簡単にできなかった「頼る」ということ。
皆さんもご自身に問いかけてみてはいかがでしょうか。
2024年8月3日(土) 「花火と向日葵」
今日の定例会は長岡花火の開催日の為、道路状況の混雑や渋滞が予測されることを考慮してお休みすることになりました。
28年間やってきて初めての休みになりました。
向日葵の会は第1.3土曜日に毎月開催しています。
2週間に1回のペースでやっています。
それは参加されるお母さんの心が(感じ方や捉え方等々)、間隔が空くと元に戻ってしまうからです。
元に戻らない為にも最低でもこのペースが大切だと感じて続けてきています。
今日は日本三大花火となった長岡花火の開催で他県からも多くの方々がやって来られます。
テレビでも大分早くから取り上げられて放映されていました。
その中でこんなことがナレーションで流れていたのです。
「長岡花火には、長岡空襲で亡くなった人々の慰霊、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への祈りが込められています」
摂食障害の子供たちやご家庭は、今まさにこの時「復興=復活、再起、回復」に直面しているのだと感じています。
この長岡の地で向日葵の会をやり続けてきている想いを、夜の空を明るく大きく彩る花火に重ね合わせてみたくなりました。
子供たちは底力を持っています。その力が発揮できる日が必ず来ます。
花火のように大きく開いていくのです。
向日葵の花も太陽に向かって大きく咲いていきます。
明るく青空を仰ぎながら開いて向かっていきます。
会の持っている大切な想いも「向日葵の会」という名前の由来なのです。
摂食障害という予期もしなかった中でどうしていいか分からずに途方に暮れながら悩み、苦しみ、切ない中にいられる方へ、このホームページに繋がっていただき有り難うございます。
勇気を出して向日葵の会をお訪ねになって欲しいと願っています。
皆で本音で語り合いながら一緒に歩いていきましょう。
必ず先々に繋がっていきます。
2024年7月20日(土) 「重石…おもし」
今年も梅干しを作る時期になりました。
6月下旬くらいから収穫した梅を塩漬けにしておきます。
梅に塩をふって重石をしておくと梅の実が埋まるほどの水分が出てきます。
そこに赤紫蘇を塩揉みして投入し、7月末の土用の丑の日前後の晴天にその梅を干すまで龜の中につけておきます。
今年の私は何を思ったか、漬けた青梅に例年以上に重い重石をのせました。
他に、完熟して木から落ちた黄色く柔らかくなっている梅にも同様に重く重石をのせました。
ほぼ1ヶ月その重石の中で漬けられた梅を干す日がやってきた暑い晴天の中で、私が目にした梅は…
なんと、あまりの重石の重さで潰れているものが沢山あったのです。
固い青梅の方にも潰れているものがありました。
黄色い完熟梅は柔らかいのですから、尚更重石に耐えきれず潰れていました。
見た瞬間に、良かれと思って強くかけた重石が梅には大きな負担になっていたのだと気付きました。
青梅には青梅に合った重さの重石が大切で、完熟梅には完熟梅に合った重さが大切なんだと痛感しました。
天日干しをしながら梅を見ていると、私が子育てしてきた中で無意識のうちに子供に被せていた重石を垣間見た気持ちになってきたのです。
兄弟でも各々の持って生まれた気質が違います。
第一子か第二子か、何番目に生まれたのか、一人っ子か何人兄弟か…
皆各々に違うのに、それを認めずに私が被せてきた重石はいかばかりのものだっただろう…
親は子供の為にとやっていることが、逆に子供の考える力や決断する力、行動する力を潰している場合もあります。
勿論我が子可愛さに、子供が失敗しないように、傷つかないようにしてあげようとする気持ちはわかります。
わかりますが、それは子供の自我を押さえ込んでいることになっているかもしれません。
家庭の中で、皆が各々に自分の考えや気持ちを言い合えること、そして相手を認めながらお互いに相手の話を聴けること。
それが子供の自己肯定感を高めていき、自信を持って生きていけることに繋がっていくのだと思っています。
2024年7月6日(土) 「ひまわり」
梅雨時のどしゃ降りの中、庭先に植えたひまわりの花…
元気なく首を垂れているひまわりもあれば、そのままたくましく真っ直ぐ上を向いているひまわりもあります。
私は雨上がりを待って、垂れているひまわりを支え棒で起こしてあげようと思いました。
雨上がり、晴れ間がでした。
でもひまわりのことは後回しにして、私はここぞとばかり用事を先に足してくることにしました。
帰宅してみると、なんとひまわりは垂れた首を真っ直ぐ太陽に向けて上げていたのです。
驚きと同時に私の子育てを垣間見たようでした。
子供が悩んだり迷ったり困ったりしている様子を見ただけで、親として良い解決策を示すことや、子供が人並みの道を歩むようにという気持ちが先走り、子供に「こうしたら?」「あれはどう?」「やってみたら?」「やった方がいいよ」「やるべきだよ」…と言わないでいられなかった私がいました。
後々にやっと、子供には子供の力がある。子供自身の考えも困難から抜け出る底力があると気づいたのは、子供と一緒に摂食障害という中を通り抜けながらの頃でした。
ひまわりの花のようにどしゃ降りの中でも色々な花があります。そして、たとえ下を向いたひまわりがあったとしても、しっかりと上を向くのだと知りました。
庭先のひまわりはまだつぼみです。これから咲いていきます。
各々にどんなひまわりの花を咲かせるのか楽しみです。
2024年6月15日(土) 「応援者」
辛い時、苦しい時、切ない時…そんな時は誰が側で寄り添ってくれていますか?
自分のことを一番わかってくれる人、わかって欲しい人が大切なのはもっともだと思います。
でも、それ以上に必要な人が誰よりも直ぐそこにいることに気付いていますか?
それは自分の中にいる「もう一人の自分」なのです。
自分が自分を認めてあげなくて誰が認めてくれますか?
とかく、自分に厳しすぎる人達が心を弱らせていく傾向が強いと感じます。
自分で自分のことを許せない中で苦しんでいるのです。
自分が自分に優しくしてあげていいのです。
どんな自分も自分なのですから。
辛さや苦しさを経験して生きてくる中で、自分の傷みに気付くと自然に自分の課題が見えてきます。
そうすると必ずその課題を乗り越えていけるし、乗り越えた先には経験してきたことが自分の力になっています。
どんな自分も受けとめることがひいては己の成長に繋がっていくのです。
自分にとって一番の応援者は、自分であることに気付いて欲しいと願っています。
2024年6月1日(土) 「色々な方向から」
例えば、写真家が撮影する時の様子を想像してみてください。
被写体に向けてシャッターを限りなく切ります。
それは、決して同一方向からだけではなく、あらゆる方向からのはずです。
撮影する側が、立ってみたりしゃがんでみたり色々な格好をしながら、夢中で被写体に自分の視線と想像力や気持ちを注ぎ込んでいると思います。
私達親は子供に対しての関わり方や見方、捉え方…はどうでしょうか?
ほぼ、一方向からだけに凝り固まっているかもしれないと感じます。
それは、親自身も生きてきた中で世間一般常識や価値観にとらわれて、こうであるべき、こうしなければならない、という考えに縛られてきていることが1つの要因でもあると言えると思います。
これでは、子供が本来持っている素敵なものに気付けるチャンスを見失ってしまいそうです。
子供に向き合うときに、あっちからもこっちからも色々な方向から関わっていくと自ずと見えてくるもの、感じてくるものが違ってくるはずです。
親自身が子供に対して、今まで気付かなかったことを、家庭の中での関わり方で新たな気付きを得て知っていくこと。
それが家庭の中でできる回復への道に繋がる1つになっていくのです。
2024年5月18日(土) 「土壌」
もうすぐ紫陽花の咲く季節になります。
所々に紫陽花の葉が繁り始めました。
紫陽花は、その生育する場所の土がアルカリ性か酸性かによって、同品種であっても咲く色が変わってくるそうです。
何色が咲くかはその土壌に関わってくるということですね。
家庭もそうなんだと思いました。
家庭という土壌がどんなに大切なのか…
子供を育てよう育てようとそこばかりを見て、育つために大事な土台(=土壌)をおろそかにしていたのかもしれない、いえ、そこが大切だということに気付かなかったかもしれない。
そんなことを感じさせてくれる紫陽花でした。
家庭で土台となる大切なことは何でしょう?
子供に向き合い、どんな関わり方をされていますか?
向日葵の会では、家庭毎に各々の色があるように、そこのご家庭に合った方向を一緒に見つけていっています。
摂食障害は家庭の中だけで抱えていくには大変です。
向日葵の会で一緒に辛さも苦しさも、喜びも楽しみも沢山のことを分かち合いながら歩んでいきましょう。
2024年5月4日(土) 「どんな時も」
ゴールデンウィークの新潟は田植えのシーズン真っ最中です。
向日葵の会に参加される方々の中にも米を作っていられるご家庭があります。
そんな忙しい時にご参加下さったお母さんのお話です。
3月の声を聞き、雪の下に埋まっていた田んぼが顔を出すと春が来たなぁと思います。
4月に入ると固くしまった田んぼを耕し始めて月末の田植えに向けて水田の準備をします。
私は一面に水を張った田んぼを見るのが大好きです。
晴れた朝は遠くの山や、近くの木々が田んぼの水面に映し出されます。
曇りの日は水面がぼやけて見えます。
雨の日は雨粒がポツポツと水面を打ち続けています。
その時の天気によって田んぼの表情は違うけれども、どの時の様子も素敵です。
それなのに、何故摂食障害を抱えながら毎日を過ごす娘の表情を、どの時もどんな時も愛おしく思えないのかと感じました。
私が娘に求めているのは、いつも良い子の表情でいることだったのだろうかと。
摂食障害という症状を借りて、やっと娘は悲しみや寂しさ、悔しさや怒り、切なさや苦しさということを表情や態度に出せているのかもしれないと思いました。
それならば、今やっと出せるようになった娘を丸ごと受け止めたいと感じました。
どんな時の娘も愛おしいという私の思いを、これから私自身が感じていきたいと思っています。
このお話を聴きながら頷かれているお母さん方の姿がありました。
参加される皆さんが、参加される方の話を聴きながらご自分のことに照らし合わせて皆で歩んで行きたいと思っています。
2024年4月27日(土) 「第二回 鈴木眞理先生と共に」
今日は、日本摂食障害協会理事長、跡見学園女子大学心理学部特任教授 鈴木眞理先生をお迎えして定例会を開催する運びとなりました。
鈴木眞理先生はご専門を内分泌内科、心身医学とされ、視床下部・下垂体ホルモンの研究からストレス疾患にご興味をお持ちになり、摂食障害の診療・研究・家族会支援を長年に渡り続けてこられています。
昨年の9月にお越しいただいてから7ヶ月振りにお会いすることができました。
今回は向日葵の会の定例会をそのままやらせてもらう中で、鈴木先生からも感じられたことやアドバイス等々のお話を頂戴しました。
先生からは「参加される皆さんが本音を話して下さる場面が多く、会が心許せる場になっていることがわかりました」と仰ってもらえました。
私達向日葵の会では、親自身の本音、本心、本気、これが子供の心に伝わっていくと信じています。
2024年4月20日(土) 「眼鏡」
「私、眼鏡をかけるんですが、この前かけたまま洗面台の鏡の前に立ってビックリしました」
と、参加されるお母さんの声です。
年相応にシワがあるのはわかりますが、たまたま眼鏡をかけていたので「こんなにシワがあったの!」と思うほどシワがハッキリ鮮明によく見えました。
眼鏡をかけていたから、見えなくていいものまで見えてしまった…と思った時にハッとしました。
「私は娘の一挙一動、全てに眼鏡をかけて見ているようなものだ」
娘の全てを見ようとしている自分に気づきました。
娘も一個人です。
見られたくないこと(親にも知られなくていいこと)もあるはずだし、あって当然なのだと思いました。
それを私は、あたかも娘のことを心配するからだと言い訳をして、娘の全てを見ようとしていたのです。
眼鏡をかけずにハッキリさせない時があっても良いし、むしろあった方が良いのかもしれません。
心配するとは私の勝手な建て前で、本当は自分の心配が一杯で娘の全てを監視している自分なんだと気づきました。
「眼鏡をかけてハッキリと見るのは娘の気持ち、娘が見て欲しい時わかって欲しい時」
娘への向き合い方を感じた私の一瞬の出来事でした。
~このお話を聴きながら、その場に参加されていたお母さん方も色々な気付きを得られたことと思っています~
『人生は気がついた時がスタート』
2024年4月6日(土) 「本気、本音、本心…」
孫と遊んだ時のことです。
孫はミニカーが好きで沢山集めています。
会社や車種を事細かに話してくれました。
私は全く興味がない分野なのですが、熱心に話す孫の話をこちらも熱心に本気で聞こうと思いました。
1つ1つ私が手に取りながら、あっち方向から見たりこっち方向から見たりしながら、孫に車の名前やどこがカッコいいのか、何でこの色なのか…等々色々なことを聞くと得意満面に話をしてくれます。
私は真っ直ぐに孫の話だけに耳を傾けながら、こちらも本気になって聞いていたのです。
ふと思いました。
娘が子供の頃、こんなふうに聞いたことはなかったなと。
娘が何かを言ってきても、○○しながらとか、○○した後でと言って後回しにしたり、半分聞いてないときもあったり、娘の話より家事や他の家族のことが気になったり…
今になって、あの時の娘はどんな気持ちだったのだろうと思っています。
本気で聴いて、本音で向き合って、本心から感じたことを言葉にする。
それが子供に対してこんなにも大切なことだとやっと気付きました。
娘が摂食障害になって、娘の言葉やそこに隠された気持ちを聴こうと思ったのも、娘が私に求めていたことなのだと感じたからでした。
孫と遊んでいると娘(摂食障害から回復した娘)が帰ってきました。
孫は娘に飛びつきながら、私と遊んでいた様子を話し出しました。
娘は笑顔でその子の話を聴いていました。
子供が安心して、本音や本心を本気で話せる親になっている娘の姿がそこにありました。
2024年3月16日(土) 「気持ちを言ってね」
摂食障害の中を通り抜けて、今は結婚し家事育児、仕事にと毎日を過ごしていられる娘さんと、一緒に歩みながらここまで来られたお母さんとのお話です。
その日は娘さん一家と(娘さんとそのご主人とお子さん達)お食事に出掛けられたそうです。
以下、その時の会話です。
食べ始めた時に、お孫さんの1人、4歳のお子さんが
「涙が出そう」と。
ママ「どうしたの?」
「泣いてるの?」
子供「涙が出てくるもん」
ママ 「何で涙が出るの?」
子供 「だって皆で美味しいご 飯を食べて嬉しいから」
ママ「そっか、皆で食べると美味しいよね。嬉しい気持ちになるよね」
…優しいママの笑顔…
そしてママがその場で「ママは自分の気持ちが言える子に育って欲しいな」と、さらりと一人言のように言ったそうです。
おばあちゃんは(娘さんのお母さん)ドキッとしながら
「自分の気持ちを言えるって大切だよね」と言ったそうです。
そして、ご自分が娘さんの子育てをしてきた頃は、気持ちなんか言わせてこなかった。むしろ、こうしなさい、こうした方がいい、それは違う、これが当たり前…と口癖のように娘に接してきたことを思ったそうです。
娘が摂食障害になり、やっと何が大切なのかを知ったお母さんは、回復して母になっている娘さんの子育てを通しながら色々なことに気付いていられるそうです。
こうあるべき、こうした方が正しいという思考の中で子育てをしてきて気持ちなんかは二の次にしてきた。
それは、お母さん自身が生い立ちの中からそうやって生きてきて、結婚して様々な事情で更に拍車がかかり、お母さん自身こそが気持ちを押し殺してきたということが根底にあるからなのです。
摂食障害は子供がその家庭を代表して病んでくれている。我が身を傷めながら家族に訴えかけてくれているものがあると言われています。
向日葵の会では、色々な面から深掘りしながら定例会を進めています。
一人で抱え込んでいては苦しすぎます。辛すぎます。
一緒に歩んで行きましょう。
2024年3月2日(土) 「家庭」
家庭は小さな社会です。
学校や職場という大きな社会に出る前に過ごすことができる小さな社会なのです。
家族といえども違う人格を持った一人一人の集まりです。
大人の言うことが絶対に正しくて、絶対にその通りに生きていかなければならないということは無いはずです。
子供だって、人格を持った一人の人間です。
子供にも本人なりの考えや気持ちや、こうしたいと思うことがあるのです。
大切なのは、家庭の中で各々が自分の言葉で自分の気持ちを話せる居場所になっているかということです。
「私はこう思う。こうしたい。こう考えている。あなたはそう思うんだね。」
と、自己主張しながら相手の気持ちも認める。その上で、お互いに対話していくこと。
これが家庭という小さな社会でできることです。
家庭で十分にここを身に付けられてこそ社会性ができていくのです。
大きな社会に出たときに社会性という大切な資質を身に付けている人に育つのです。
家庭で話す。
家庭で意見を言う。
こんな小さなことのようですが、果たして十分にご家庭でできているでしょうか?
振り返ってご自分の家庭を見つめ直してみましょう。
2024年2月17日(土) 「赤ちゃん」
摂食障害を発症した時にオギャーと生まれ直したと思って、親子のコミニュケーションをとっていきましょう。
とご家族の皆さんに伝えさせて頂いています。
例えば15歳で摂食障害になったとしましょう。
色々な症状を出してくる子供に対して、「もう15なんだから、それくらいわかるでしょ!」と言ってしまいがちなものです。
でも、そこには15歳だけれど内面には生まれたばかりの赤ちゃんのような一面もある我が子がいると感じて欲しいのです。ある場面では15歳の子供でいたり、またある場面では0歳の子供でいたりするのです。
子供が生まれたばかりの赤ちゃんの頃を思い出してみましょう。
赤ちゃんが泣きます。何かして欲しいから泣くのです。親は何がして欲しいのか思いを巡らせ赤ちゃんのして欲しいと思うことをやってみます。
赤ちゃんが泣いても、親が知らん顔してると赤ちゃんは不安になります。そして赤ちゃんは必死になりイライラして怒りながら益々泣きます。
赤ちゃんが泣いたら応えてあげようと、お母さんも色々やってみます。
育児の時はお母さんも疲れています。赤ちゃんが寝たらお母さんも休むことが大切です。家事や他のこと(嫁姑の関係やその他諸々のこと)に気を使うよりも休むことです。それには夫として父親として、お父さんがお母さんの心のサポートをしていくことが必要になってきます。
お母さんに余裕があることが安心できる家庭になっていくからです。
この思いは子供がオギャーと生まれた時に、ほとんどの方が自然に通ってきた所だと思います(色々な事情でお母さんが十分にそこをできなかったご家庭もあります…その時のお母さんの気持ちをお母さん自身が言葉にして吐き出していくことが、子供の摂食障害を通してお母さんにとっても大切になってきます)
今、目の前にいる摂食障害の子供に向き合うときに、赤ちゃんに向き合うような気持ちや眼差しで関わっていくと何か見えてくるものが必ずあると思っています。
赤ちゃんが欲しがる愛を満たしてあげながら、「あなたを愛している。大切な存在。生まれてきてくれて嬉しい。お母さんは幸せ」と思ったように、
今、摂食障害を発症しているお子さんに、お母さんが思っている気持ちを言葉や関わりで伝えていくことが必ずお子さんの心に届いていきます。
2024年2月3日(土) 「対処?」
摂食障害は食べ物に関わる症状だけでなく、目の前に色々な事柄が起きてきます。
例えば、昼夜逆転、不登校、親への罵詈雑言、暴言、暴力、無理難題な要求、二転三転する望み、考えられないような無謀な行動…全て一般常識的な価値観の中では非常識と言いたくなるようなことが起きてきます。
その時に、親御さんがやっていることは何でしょうか?
パニックになったような、もしくは感情を抑えることが出来なくなったような子供達を静かになだめ、何事もなかったかのようにすることをしていませんか?
不安なことや心配なこと、やりたいと言っていること等々を親が子供に代わって解決するような関わりをしていませんか?
それは、その場を収めるだけの対処にしか過ぎないことにお気づきでしょうか…
子供達のその言葉や行動に隠された気持ちを思いやって欲しいと思います。
起きてくる事柄に対処する関わりをしているうちは、凍りついた子供の心を溶かしていくのは難しいのです。
親の温かい言葉や気持ちしか、子供に伝わっていきません。
起きる事柄に対処するよりも、子供がどんな気持ちでいるのか、そこを十分聴いてあげること。そしてその気持ちを親が受けとめること。気持ちに寄り添っていくこと。
ここを抜きにしては、子供の安心感は満たされていきにくいのです。
お子さんとの関わりが「対処」だけになっていないか、親として自分を見つめ直して欲しいと感じています。
2024年1月20日(土) 「小原千郷先生と共に」
今日は、日本摂食障害協会 フェロー・公認心理師/臨床心理士-・博士(医科学)・文教大学 人間科学部 臨床心理学科 特任専任講師 小原千郷先生をお迎えして、長年に渡る家族支援の研究を基に摂食障害の理解とサポートについて講義をして頂き、その後は会場からの質問にお答えして頂く時間を過ごしました。
参加された皆さんが、小原先生のお話をご自分の家庭に持ち帰り、家庭での子供たちとの関わり、コミニュケーションに反映されていくと感じています。
「家庭を安心できる療養の場にする」とお話を頂きました。
回復の為には、家庭という居場所で安心して過ごせること。
まずはそれが一番大切だと思っています。
2024年1月6日(土) 「明けましておめでとうございます」
今年も皆さんと共に歩かせて頂きたいと思っています。
嬉しい時は一緒に喜び、悲しい時は一緒に悲しみ、辛いとき苦しい時は一緒に気持ちを想い合いながら日々を重ねていきましょう。
必ず子供との1つ1つの関わりが後々に繋がっていきます。
年初めの今日の定例会でも、年末年始にかけて家庭での様々な出来事を通して、子供の気持ちを知りたい、わかりたいという想いを持ちながらお母さん方がお話をされました。
参加されたお母さん方、経験してきたことから話をしてくださる相談役の方、会に携わってくださるカウンセリングルームの所長さん、公認心理師さん、皆で聴きながら語り合い、そして色々な気付きを各々が得て、家庭でできること、やってみようということを感じていられるようでした。
この小さな積み重ねが、必ず後々の大きな変化に繋がっていきます。
今年も子供に対しても家族に対しても、コツコツと丁寧に毎日の関わりや対話を大切にしていきましょう。
2023年12月16日(土) 「成功体験」
たまたま私が散歩に出たときに保育園の子供たちのお散歩に出会いました。
子供も各々で、しっかり歩く子供もいればなかなかついていけない子供もいました。
とうとうその一人の子供が立ち止まってしまいました。
先生「どうしたの?」
子供「歩けない」
先生「そっか、いっぱい歩いてきたもんね」
子供「……」
先生「○○ちゃん、ずっとここまで歩いてきてすごいね」
子供「……」
先生「保育園までもう少しだけど、ここで休む?それとももう少し歩いてみる?」
子供「……歩く」
先生「わかったよ。一緒に歩こうね」
子供「うん」
という会話の後、先生と子供は手を繋いで歩き出したのです。
このやり取りを聞いて、子供には決める力があるんだと思いました。
それはこちらから、歩け、頑張れ!と叱咤激励するよりも、まずやってきたことを認めて、そして誉める。それからどうしたいのかを聞くと、その子が自分からやってみようという力が出てくるのだと思いました。
自分で歩くということを選択し、保育園まで帰っていけた時には自信で一杯になっているはずです。
お散歩で歩き通したという成功体験で、1つの自信を持てたのだと思います。
この成功体験の積み重ねが力になっていくのです。
とかく、転ばぬ先の杖で、親の方からこうしなさい。こうした方がいい。と言ってしまうものですが、一呼吸おいて、子供が自分で決めるまで、子供の力を信じて待つことも親には大切なことだと思っています。
2023年12月2日(土) 「家族会」
今日の定例会へ参加されたお母さんからのお話しです。
ここに繋がって読んでくださっている方にも、是非ともお届けしたいと思い掲載させてもらいます。
「摂食障害は年単位の回復だと思ってください。時間が必要です」
医師から言われた時は本当にショックでした。
この先何年もこの闇夜みが続くのかと思いました。
どうしていいかわからない現実、摂食障害の娘との毎日に母親の私が悲鳴をあげていた時に出会ったのは家族会でした。
初めて行った家族会で、私自身が子供のように泣きました。言葉にもならない声で泣きながら話す私のことを、皆さんがずっと聴いてくれていました。
それから家族会に参加することを重ねながら、そこで話を聴いてもらい、同じところを通ってこられたお母さんや一緒に同じところにいるお母さんと共にいる安心感を覚えていきました。
その私の気持ちの変化が、娘との毎日にも繋がっていったと思っています。
家族会の皆さんも一緒に泣いてくれます。一緒に悩んでくれます。そして、一緒に笑ってくれます。
家族会の皆さんと一緒に何年も過ごしているわけですから、お互いにお互いのことを心配したり、気になったり、勿論嬉しいときは喜んだり、笑顔になったりします。
摂食障害の回復には、家族を支えてくれる家族会があるからこそ、その大きなトンネルの中を通り抜けることができるのだと思っています。
このお話しに、参加されたお母さん方々も頷いたり涙ぐんだり笑顔になったりされていました。
ここに繋がってくださった皆さんも、一人で抱え込まずに、どうぞ家族会に足を運んで欲しいと願っています。
2023年11月18日(土) 「一個人」
兄弟姉妹の性格や気質の違いで、「同じお腹から産まれたのに全然違います」と仰るお母さん方がいられます。
どなたもが、摂食障害になった子供さんとならない子供さんのことを言われているのですが、各々に違うのが当たり前だとわかっていてもつい口から出てくる言葉のようです。
今の季節ですとリンゴが美味しい時期ですが、同じリンゴでも色々な品種があります。品種により、熟す時期も収穫の時期も違いますし、味も食感も見た目も様々です。
様々だけど、各々にリンゴの持ち味があるものです。
兄弟姉妹もそうですよね。
親子だってそうです。
各々が色々な個性を持ち色々な考えや思いを持つ一個人なのです。
家庭の中にそんな皆がいるわけですから、色々な事柄が起きるなかで様々な考えや思いが出てきて当然ですし、出るからこそ見えてくるものもあるのです。
皆が各々に気兼ねなく、自分の気持ちを言えて、お互い尊重しあってお互いを思いやる気持ちがあれば、家庭の中で通り抜ける風が心地よいものになっていくのではないでしょうか。
家庭の中でこそ育まれる大切なことがあり、その力が必ず回復への道に繋がっていくのです。
2023年11月4日(土) 「過程…プロセス」
日常の中で色々な事柄が子供にも親にも出てきます。
目の前に起きている心配事や困ったこと(症状であったり色々な事柄)があると、子供を早くその苦しさや辛さから救い出してやりたくなるのが親の気持ちであるのは当然です。
当然ですが、そこをすぐに取り除いて、起きてくる事柄に対して結果や成果を早急に出そうとするのは、果たして本当にそれが子供の為になるのでしょうか?
本当に大切なのは、そこに至るまでの過程(プロセス)を焦らずにコツコツと丁寧にやっていく中での親子の関わりの積み重ねなのだと感じています。
人生に無駄なことは1つもありません。
例えやったことが思うようにならなかったとしても、
「失敗した」と捉えるよりも、「経験した」と受け止めて、それを糧にして歩いていげいいのです。
親の方が子供より先に失敗したと思っているようでは、子供も失敗したと捉え、更に自己否定と絶望で一杯になるのは目に見えています。
失敗したと思っている子供に、「経験になったね。○○が一生懸命に取り組んでいたことをお母さんはずっと感心していたよ」と言ってあげたら、子供は安心していくことができるでしょう。
結果や成果に目を向けるよりも、その過程(プロセス)を大切にしていくことが、回復への道に繋がっていくのです。
2023年10月21日(土) 「居場所」
家庭は社会(学校や職場)にでる前に過ごす大切な場所です。
小さな社会と考えても良いと思っています。
その小さな社会(家庭の中)で、病んでいる子供の居場所がキチンとあるでしょうか?
子供の自室があればいいというものではありません。
家族の中にいて、自分がそこで安心して気持ちを楽に過ごせる場所、どんなことでも言える場所であり聴いてくれる場所、受け止めてくれる場所、否定されず認めてくれる場所…それが家庭での居場所だと思います。
その居場所で自信と勇気を沢山貰い、身体と心がしっかりと休むことが出来て、エネルギーが充電されると外の社会へでようとする希望がわいてくるのです。
家庭の中でこそ居場所があり、そこで自己を確立していくと、大きな外の社会にある居場所に繋がりたくなっていくと思います。
必ずその日が来ます。
外の居場所に出そうと親や支援者が先走りするよりも、子供自身が歩いていくこと、選択していくことを大切にしてあげたいと思います。
2023年10月7日(土) 「信頼関係」
摂食障害の症状を出している子供にどう向き合っていけばいいか?と、どのお母さんも口にされます。
母Aさん
私は子供に治って欲しいから、子供が今まで言えなかったことを、やっと言い始めたので、「わかった」と言って望みを叶えてあげています。
母Bさん
私は子供との間で失った信頼関係を取り戻すために…何でも子供の言うことを否定して、こうしなさい、こっちがいいよ。と私の思う通りにさせてきたので、子供は私に何を言っても無駄だと思っていたと気付いたから…
子供が言うことに「わかった」と言って関わりながら、子供がお母さんに何を言ってもいいんだ。わかってもらえるんだ。と
感じてくれることで、失った信頼関係を取り戻せると思ってやっています。
子供にどう向き合うかは、お二人のお母さんの言葉「わかった」という一言でも、心の奥底にある気持ちが違います。
そんな親の心を、繊細で感じやすい子供たちは直ぐに察するのです。
向き合うことはどういうことなのか、ご自分自身に問いかけ直して欲しいと感じています。
2023年9月16日(土) 「聴く…ということ」
子供が親に何か色々なことを言ってくると(こんなことがあった、困っていることや悩んでいること、どうしたいいか途方にくれていること、不安や心配等々…)、親はどうしてもそこから子供を救いたい、解決してあげたいという気持ちになり、つい、こうしたら?とか、こうなんじゃないか?それはこうだよ…というように、頭の中で考えて解決策や打開策を提示してしまうのが親の常のようです。
でも、果たしてこれは本当に子供の為になるのでしょうか?
子供が望んでいる親からの言葉なのでしょうか?
まだ小さいうちは、そのまま聞いている子供も成長するにつれて、そんなことわかってる!とか、そんなこと聞いてるんじゃない!とか、しまいには、うるさい!となり、もう話さない!話したくない!と言ってくると思います。
お気づきですか?
子供は親から聴いて欲しいのです。ただ、ただ聴いて欲しいだけなのです。
今日の定例会に参加されたお母さんからも言葉が出ました。
「子供の声をきくということが大切だということは理解することができた。理解してきいているうちは、聞くでしかなかった。ただ頭で聞いていただけだった。その頃は私が聞いているつもりでも、何回も子供からきいていないと言われ続けていた。でも、それがやっと心で感じて聴くのだと思った頃から、子供の心の声を感じながら私も心の底から共感できたり、子供のことを承認できたりしながら聴けるようになった。きくということは、心で聴くのだとつくづく感じました。」
皆さんは《聴く》ということをどのように捉えていられるでしょうか…
2023年9月7日(木) 「鈴木眞理先生と共に」
今日はかねてからの念願であった、日本摂食障害協会理事長、跡見学園女子大学心理学部特任教授 鈴木眞理先生をお迎えして定例会を開催する運びとなりました。
鈴木眞理先生はご専門を内分泌内科、心身医学とされ、視床下部・下垂体ホルモンの研究からストレス疾患にご興味をお持ちになり、摂食障害の診療・研究・家族会支援を長年に渡りされてこられています。
会場には35名の参加者が集まり、各家庭で起こる事柄を通しての親子の関わり方や気持ちについて、各々の皆さんに対して明確に鈴木先生からお話を頂きました。
お話の中では鈴木先生ご自身のエピソードも交えながら、会場から笑いも起こる暖かい雰囲気の中で大切なことを沢山お伝えくださいました。
その中でも「心の関わり」が何よりも大切だと仰っていられたことは、私達が常々お伝えしている「心で感じたことしか子供に伝わっていかない。その関わりが回復には何よりも大切なことである」ということに繋がると感じました。
向日葵の会では、親御さんご自身の心の中を深掘りしながら、色々な気持ちに気付き、知ること、親自身も自分の心を見ること見つめることをしています。
それが子供との心の関わりに映し出されてくるからです。
2023年9月2日(土) 「思う気持ち」
今年の夏は雨が降らずに高温の日々が続きました。
ニュースでも度々目にされた方もいられたと思いますが、農作物への影響は大変なものでした。
そんな中で、自家用に野菜栽培をされているAさんのお話にふと心が留まりました。
~Aさんのお話~
冬前に収穫するキャベツ苗を植える時期になりました。
水不足の中で植えることになったので、朝晩の水撒きは毎日必要になりました。
水撒きをするうちに、キャベツ苗の成長によっては、一方向からだけでなく他の方向から撒いてみたり、多く水をやったり少なくやったりしている自分に気づきました。
それはキャベツのこうして欲しい(こっちから撒いて、もっと水は少しで、こっちは多く…)という思いを感じ、キャベツと対話しているような自分でした。
あるテレビの連続ドラマで、あんこを練るときに「あんこの声を聞け!」と呟きながら練り込んでいる職人の姿がありました。その場面を思い出しながら、物事に向き合うってこういうことかもしれないと感じました。
そして、これは娘と向き合うことにも通じるのではないか、と思いました。
娘の声を(心、気持ち、思い…)聴くことが、向き合うということだと腑に落ちました。
Aさんのとても素敵なお話を聴かせてもらった定例会でした。
皆さんはこのお話を、どんな風にお感じになられたでしょうか?
2023年8月19日(土) 「隠された気持ち」
定例会で相談されるお母さん方のお話しを聴かせてもらっていると度々感じることがあります。
それは子供達が起こしてくる事柄や状況、様子をどのようになだめるか?静かにさせるか?落ち着かせるか?…
その目に見えている事柄だけに対処する方法を知りたい、どうしたらいいだろう、と言われる方々がほとんどだということです。
確かにお気持ちはわかるのですが、事柄への対処だけでは本当の回復には繋がりにくいと思っています。
起こる事柄を通して、何が大切かというと、そこには子供達がそうせざるを得ないほどの隠された気持ちを持っていることに気付くことです。そしてその気持ちに親としてどう関わっていくかということなのです。
その気持ちを一番側にいる親御さんが聴いてあげること、一緒に悩んだり心配したりしながらその気持ちに共感していくこと、わかってあげること、それが子供達が求めていることです。
向日葵の会では、家庭で起こる事柄を通して深掘りの上に深掘りを重ねて、子供の気持ち、更に親の気持ちを知ること、見つめること、そして自分で認めていくこと。そこをやらせてもらっています。
摂食障害の回復への道に繋がるためには、生半可なことでは済まないのも現実です。
どうか、お一人で悩まずに向日葵の会へまずは繋がって欲しいと願っています。
2023年8月5日(土) 「比較」
定例会に参加された方からのメッセージを頂きましたのでご紹介します。
今日の定例会を終えて、参加されていた○○さんが相談役の方に
「ウチだけなんです。一緒に参加を始めたお宅のお子さん達は皆さんが回復されてきているのに、ウチの娘は変わらずそのままなんです…人と比べてはいけないとは分かっていますが、どうしてもウチだけが、と思ってしまうのです」
と言われて泣かれていたのを見てとても切なくなりました。
私の娘も以前に比べれば落ち着いて来ていますし、私達の負担も軽くはなりました。しかし、娘の心の奥底に有る辛さ苦しさが癒えるまでまだまだ寄り添っていかなければならないと思っています。
日常に起こる事柄を通して、親子の関わり方を知ることができたのは、向日葵の会に参加するようになり私達親自身も色々なことに気づくことができたからだと感じています。
相談役の方は○○さんに声をかけていられました。
「○○さん、誰だって比べるよ。比べたくなるよ。その上で、今、自分の子供はここの位置にいるんだな。ここにいることには意味があり、それが今は必要なんだと貴女がしっかりと受け止めていくことが大切だよ。人には各々のペースがあるよね。その人にあったペースがあるんだよね。娘さんは誰もが知っているように、摂食障害を抱えながら高校も大学も卒業し、国家資格までとって就職したよね。それだけ根性と力がある子だよ。頑張り続けてきた今、やっと休めることを選択できているんだよ。ゆっくり休むことができるように寄り添っていくのが今の貴女にできることだよね。」
こんなやり取りを聞きながら、私も親として己を振り返るチャンスをいつも貰っています。
2023年7月15日(土) 「家族」
定例会に参加された後に、こちらの胸が熱くなるメールを頂きました。
~Aさんより~
昨日は定例会に出ることができて良かったです。
皆さんからもアドバイス頂き頑張らなければと思いました。
昨日会で涙を流されていたお母さんのことは、私も同じ状況の時があるから気持ちがよく分かります。本当に辛いと思います。
私は昨日の定例会終了後、主人から迎えに来てもらい一緒に買い物をして帰りました。
車中では、主人に日頃の話(娘との出来事)を色々しました。
そして私達のことを支えてくれている主人に感謝の気持ちを伝えました。
夫婦の関係性が壊れかけていた時に娘が摂食障害になり、その娘に関わる中で私達夫婦の関係性にも変化がでてきて、摂食障害のおかげでこんなふうになったことには感謝しています。
主人は口数は少なかったのですが全てを受け止めてくれて、まだ先は長いけど何とかなるよ、と言ってくれました。その言葉がとても嬉しかったです。
私にとってとても良い時間でした。
結婚してからずっと主人との間に求めていたものを感じました。
まだまだ辛くて苦しい症状を出している娘ですが、私達は家族です。皆で乗り越えていけると思っています。
…摂食障害は当事者の出す症状に家族は困惑してしまいますが、そこを通して色々なことに気付いていくことができます。
そんなことを伝えて頂いたメールでした…
2023年7月1日(土) 「症状」
摂食障害には拒食や過食、過食嘔吐等々の症状があります。
それに加えて、暴言や暴力、パニックやヒステリック、自傷行為、不登校や引きこもり、万引き、買い物依存や男性依存…色々な事が起きてきます。
その度に、今まで何の問題もなくお利口に育ってきた子供が、豹変して別人になったかのような場面がでてきます。
親御さんにしてみれば、その現れている事柄を無くすには(静めるには)どうしたらいいかという、その場をおさめることに力が入ります。
それは起きている事柄を問題にしているからです。
問題にしているうちは、親も子供もそこから抜け出るのは容易なことではないのです。
子供のことを問題視するよりも、親自身がその事を通して何が課題かと受けとめていくことが大切です。
この起きている事柄は何を問いかけているのか?
何を訴えているのか?
子供が自分の身体や心を痛めつけながら起こしている症状を問題にするよりも、親自身が課題として受けとめながら関わっていくと、その先には必ず変化が起きてきます。
2023年6月17日(土) 「多方向から」
キュウリを収穫する時には、こちらからもあちらからも、そしてしゃがんだり立ったりしながら気を付けて見るそうです。
キュウリの葉っぱもつるも緑の中で、同じ緑のキュウリは葉の陰に見え隠れしているそうです。
「一方向からばかりでなく、多方向から見ることが大切」
これは、子供に対してもそうだと思います。
とかく、何かが起こるとその事柄を問題視ばかりしがちですが、色々な方向から子供を見て向き合うことが大切だと感じます。
起きている事柄だけを解決しようとするのではなく、そこにある気持ち(隠されている気持ち、蓋をしている気持ち)に目を向けて、しっかりと聴いてあげることこそが、子供の成長には欠かすことの出来ないことなのです。
その為には、子供のことを多方面から見て知ることが大切だと思います。
2023年6月3日(土) 「根っこを張る」
我が家は農家なのでとお話をしてくださったお母さんが、皆さんに伝えたいこと。
毎年玉ねぎを作って自家消費しています。
スーパーに並ぶよりも小さめの玉ねぎが、私が作る我が家の玉ねぎサイズです。
それが今年は大きくて、作った私がビックリする程でした。
毎年、収穫は簡単で、パパッと玉ねぎが畑から抜けるのです。
それが今年はなかなか抜けずに、右方向に左方向に引っ張りながらの収穫でした。
その時にわかったのです。
小さめの玉ねぎは根の張りが狭いから簡単に抜けるけど、大きい玉ねぎは根が広くてしっかりと土に張り付いているから、ちょっとやそっとの力では抜けないのです。
土作りに今年は手間ひまかけたのが、この根の張り方に現れたのだと思いました。
そして、これが子供への関わりには大切なのだと感じました。
根が張るように、心の土台がしっかりと成長していくことが、子供がこれから歩んでいく為に大事なのだと気づきました。
子供が安心を得て、自信や勇気を持てるようになる為に大切なことは何かと思った出来事でした。
皆さんは、この話からどんなことを感じられるでしょうか?
2023年5月20日(土) 「納得したいだけ」
子供との関わりの中で、親としてどんなところを大切にしていられますか?
子供達は親が自分の話を聴いてくれることを感じると、色々なことを話してくるようになります。
色々な話の中には、楽しい話も嬉しい話もあります。
こちらの話の時は親も安心して聴いていられるものですが、
悲しい話、辛い話、嫌だった話、どうしていいかわからない話…になってくると、親も不安や心配がわき出てきます。
そうすると話を聴きながら、何とかこの子の為には良い方法はないか?解決するやり方はないか?こうした方が良いのに。というような気持ちになってきます。
そして、聴くだけどころか、こうした方がいい、こんなところが足りなかったんだ。ダメだったんだ。だから、こんな風にやればいいんだ。という言葉を子供に投げ掛けてしまいがちになるものです。
これは、親御さんならどなたも経験があると思います。
そんな言葉をかけられた子供の反応はいかがでしたか?
子供が親に話すのは、解決策を求めているからではありません。
ただ、聴いて欲しいだけなのです。
聴いてもらいながら、その起きたことについて色々な気持ちを整理して納得したいだけなのです。
子供達は力を持っています。
自分達で困難に立ち向かう力です。
それを子供自身が気づいていく手助けをするのが、親にとって大切にしていくことだと思います。
子供との会話の中でいくらでもそのチャンスはあります。
2023年5月17日(水) 「EATの会に出席して」
今日は、摂食障害の治療と研究に従事され、日本摂食障害協会理事長を務められている鈴木眞理先生が主催される家族会(EATの会)に参加してきました。
私達の活動してきた向日葵の会の今後の方向性や在り方を再確認するためにも、日本の摂食障害を牽引していかれている鈴木先生の家族会で是非とも勉強させてもらいたい一心で東京へ向かいました。
家族会には多数の親御さんが参加されていて、場所は違っても同じ悩みや苦しみ、切なさを持つ家族の気持ちは計り知れないものだと感じてきました。
私達にも話す機会を頂き、摂食障害の娘を持ち、そこを通ってきた者として、経験してきてわかることや気付いたことを語らせてもらいました。
鈴木先生からは、「経験してきた人からの言葉は本当に力強さがある」と言って頂きました。
私達の会は、助かってきた者が、今苦しみ悩み切ない中にいる人達を助ける側にまわり、その方が助かっていくために寄り添いながら、共に悩み共に泣き共に喜び歩み、そして助かっていくこと、その助かった人がまた助ける側にまわって助けていくことを目指しています。
EATの会では、「卒業した人」と表現されていましたが、私達の言う「助かった人」と同じことを伝えていられると思いました。
鈴木先生からは、「私どもも向日葵の会を拝見したいと思います。これからも交流があれば有難いです」と言っていただきました。
鈴木先生は厚労相に対して、家族会の大切さ、家族を支えることが摂食障害の当事者の回復と支援に繋がると訴え続けていられます。そして、国が動きだしてくれています。
摂食障害は家庭の中だけでは回復していくことはとても大変です。
どうか、勇気を出して、一人で抱え込まずに家族会に繋がって欲しいと思っています。
2023年5月6日(土) 「向日葵の会」
摂食障害親の会として発足以来27年の歳月を通ってきました。
この間、数多くのご家庭に関わらせてもらってきています。
百の家庭があれば、百の症例や事例があるように、家庭毎に回復へ向けての歩みは様々です。
向日葵の会では、専門カウンセラーや専門分野の方々を交えながら、回復した娘さんを持つお母さん方が今渦中にいる方、お一人お一人の話を聴いて一緒に語り合い考えていく会を続けてきています。
参加されている皆さんが同じ立ち位置で、何の遠慮もためらいもなく素直にありのままの心の内を吐露できる場所です。
それが、親自身の心が助かっていくことに繋がっていくと信じています。
摂食障害は当事者だけの問題ではありません。母親を含めてその家庭に課題を投げ掛けているのです。
子供の症状だけを治すことに力を入れる前に、そこには隠された気持ちがあることに気付いていくことが大切です。
その為にも、起きている事柄を通して細かく丁寧に深掘りしていくことが必要になってきます。
摂食障害の回復には年単位の時間を要します。
その間にご家族が疲弊していくのも事実です。家族が弱っていては当事者に向き合っていくのはとても難儀なことです。
家族会は、そんなご家庭を支えていく為にも大切な役割があるのです。
助かってきたものが、今辛く苦しい中にいる人を助けていく。
そして助かった人がまた助ける側に回っていく。
そんな向日葵の会になっていきたいと思って活動を続けています。
いつでも、どんなことでもお問い合わせください。
ここに繋がってくださったのですから、お一人で抱え込まずに次の一歩を踏み出して欲しいと願っています。
2023年4月15日(土) 「ドッグトレーナーの言葉」
犬を飼いましたが、あまりに吠えるのでドッグトレーナーの指導を受けたことがあります。
その時に言われたのですが、「飼い主である貴女が何をしていいのか、なにをしようとしているのか、どうしていいかわからずに不安でいると、側にいる犬も不安になります。そうなると犬は落ち着かず、吠えてしまうことになります。犬には何も問題はありません。貴女に課題があるのです」
そんなことがありました。
ダメな犬だと困り果てていた私でしたが、その言葉を聞いて、私自身の課題なんだと思ったのでした。
今、娘が摂食障害になり、こうやって色々な事柄が起きてきていますが、やはり私は不安だらけだと感じます。
私が不安で一杯だったら、娘だって不安で一杯なのに、誰が娘の不安を受け止めてあげられるのだろうかと思いました。
そんな時に向日葵の会という家族会に出会えて、私はそこで自分の不安を吐き出すことができました。
同じように苦しんでいる人がいて、同じような思いの中で生きている。
私の気持ちを本当に分かってくれる人がいる。
それだけで、私は何だか気持ちが楽になってきました。
楽になった分、娘の不安を受け止めてあげられるようになってきていると感じています。
「人との繋がり無しに安心して生きることは出来ない」
家族会に出会って本当に助けられていると語って下さったお母さんのお話しを伝えさせてもらいました。
2023年4月1日(土) 「大切なこと」
隣のお宅のお話ですが、あまりに微笑ましかったのと同時に、私の子育ての時のことを思い出したので、と前置きをされてあるお母さんが話をしてくださいました。
パパと小さな女の子が買い物から帰ってきました。
家の前で赤ちゃんと一緒に待っていたママが、その姿を見て笑いながらかけた言葉は
「おかえりー。あれ?ヨーグルトすぐに食べたかったの?美味しい?手とお口がべちょべちょだね」
でした。
女の子はスプーンもなく手でヨーグルトを食べながらニコニコして帰ってきました。
私はママのかけたその第一声に驚きました。
昔の私は、子育ての真っ最中にそんな言葉なんて一言も出なかった。それどころか、そんな姿を見れば
「何やってるの!家に帰ってから食べなさい!スプーンも使わないで手で食べるなんてダメでしょ!行儀が悪い!歩きながら食べるなんて悪い子!」
もしかしたら、その上に叩いていたかもしれません。
いいえ、昔の私どころか、今の私もそうかもしれません。叩きはしないとしても、怒鳴るように注意するだけだと思います。
そのママのような関わりはできないのが本音です。
それでも今の私が分かることは、
あるがままの子供の姿をまずは受け止めること。そして、すぐにでも食べたいという気持ちに共感すること。そうなんだと認めること。
それが大切な関わりなのだと、感じる私がいるということです。
家に入ってから、ママが女の子にその先はどう言ったのかは分かりませんが、心暖まる会話があったことは想像できます。
この話は参加されたお母さん方も大きく頷いていられました。
子育ての中で何が大切なのかを感じさせられる話でした。
2023年3月18日(土) 「教えて欲しい」
子供との毎日の関わりの中で、親にとってもどうしていいか分からない時もあります。
子供と会話をしていてもかみ合わなくて、子供がイライラしてきたり怒り声を出したり、泣き叫んだりする場面を何回も経験されている方も多いのではないでしょうか?
親も必死に子供が求めていることや言葉を探している時は、尚更空回りしているようです。
それは、頭の中で考えて答えを出そうとしているからです。
心で感じて、気持ちで関わることこそが、子供に伝わっていくのです。
親も子供も各々の人格を持つ別個人です。
親だってどうしていいか分からない時もあります。
迷うときもあります。
そんな時は、素直に子供に聴いていいのです。
「どうして欲しいのか教えて」
「教えてくれる?」
親だからこうあるべきとか、こうしなければならない。
という考えを取っ払って、子供と対等な位置で真っ向から関わっていく姿が大切だと思っています。
2023年3月4日(土) 「気持ちを言葉に」
摂食障害を通り越してきた娘の子育てを見ていると、私が娘にしてこなかった子供との関わり方を目の当たりにすることが多々あります。
その1つに、子供の気持ちを聴いているということがあります。
「どうしたいの?」
「どうして欲しいの?」
そう聴かれた子供は自分の気持ちをそのまま言えるのです。
親に聴く姿勢があると、子供は素直にありのままの自分の気持ちを口にすることが出来るのだと感じました。
私は娘にそんなふうに聴いたことはなかった。
「こうしなさい」
「こうするべきだよ」
そんな関わり方だったと顧みています。
気持ちを言葉にできるということが、どんなに大切なのかを改めて感じています。
摂食障害の症状を出している子供たちは自分の気持ちを言えなくなっています。気持ちさえもわからなくなっています。
親御さんにして欲しいことは、そんな子供たちが心の奥底にしまい込んでいる気持ちを聴くこと、そこを大切にしてもらいたいたいうことです。
親の関わり方や聴く姿勢のあり方で、子どもは話をしてきてくれます。心の内を話してくれるのです。
2023年2月18日(土) 「私の気持ち」
色々な場面に置いても、色々な時の中でも、誰もが気持ちがあるはずです。
それが、知らず知らずのうちに、言葉に出来ていた気持ちがわからなくなってきている自分に気付く時が来ます。
子供が病んで、親自身が己を見つめた時に気付くのです。
気持ちを見失うようになったのは、周りの顔色や空気を読み、その場に合わせることをいつの間にかやるようになってきているからなのかもしれません…
世間一般常識や価値観の中に身を置くようになってきたからかもしれません…
私の気持ちって何だろう?
私は今どうしたいのか?
私はどうして欲しいのか?
こうした方がいいだろう。こうするべきだ。ということを頭の中で考えて動くようになっている時こそ、自分の気持ちを、心の声をしっかりと感じて欲しいと思います。
2023年2月4日(土) 「治るには?」
初めて相談に参加される親御さん方は、どなたもが「どうやったら治るか教えて欲しい」と口々に言われます。
摂食障害は長年に渡り心に蓋をしてきた思いや気持ちが、やっと叫びとなって表面に出てきています。
その思いを言葉に出来ずに、過食や過食嘔吐、拒食という形で訴えているのです。
「治る」とはどうなっていくことを皆さんは求めているのでしょうか?
症状を押さえ込んで気持ちが回復しないままでも回復と言えるのでしょうか?
私達向日葵の会は、症状に隠された気持ちを深掘りしながら関わらせてもらっています。
それは本人だけでなく、親御さんご自身の気持ちにも寄り添いながら深掘りしています。
摂食障害は、100年に渡るその家の中にある生きづらさを出していると言われています。
摂食障害が投げ掛けているもの、問いかけているものがあるのです。
2023年1月21日(土) 「摂食障害」
摂食障害になんでなったんだろう?
何故私の娘なの?
何故、こんなに真面目に一生懸命に生きてきた私の所なの?
最初はお母さん方誰もが思われることでしょう。
でも、摂食障害になったことには意味があるのです。
摂食障害を憎んでいるうちは、回復への道に繋がりません。
摂食障害を通して見えてくること、気付くことがあります。
心の奥底にある物事の捉え方、感じ方を見つめること、知ることが大切です。
これは、娘さんを問題にするのではなく、お母さん自身の課題になります。
そして、摂食障害を知ることが娘さんの隠された気持ちを知ることに繋がっていきます。
どうか、摂食障害の中にいる娘さんを責めないで、過食、過食嘔吐や拒食を必要としている娘さんの気持ちを受け止めて共感して、寄り添うことが、今、親ができることだと気付いて欲しいのです。
そして、お母さん自身も辛いとき、苦しいとき、切ないときがあるはずです。
お母さんが自分の心の中を吐露していくことが大切です。
2023年1月7日(土) 「人」
新年明けましておめでとうございます。
今年も向日葵の会に繋がってくださった皆様と共に歩かせてもらいたいと思っています。
宜しくお願いします。
人という文字は一と一が支え合ってできています。
私達は何かことが起きると、一
人で何とかしよう、一人で頑張ろう、一人でやるしかない、誰にも頼らず乗り切るものだ…と考える癖があります。
人という文字を思い出してください。
私達は人として生きているのです。
支え合ってこそ、「人」なのではないでしょうか?
辛い時、苦しい時、切ない時、弱音を吐いてもいいのです。
必ず聴いてくれる人がいます。
今年も焦らずに一歩一歩しっかりと歩いていきましょう。
2022年12月17日(土) 「花瓶の花」
定例会に参加されたお母さんの生の声を、そのまま皆さんにお届けします。
「ふと目をやると、花瓶に生けた花が元気なさそうにしていました。
水替えするのを忘れていたことに気づきました。
水替えしてしばらくすると花は生気を取り戻したようで、綺麗な姿を見せてくれました。
その時感じたことですが、花により水替えの仕方もタイミングも違います。
かまわずにいても元気な花もあれば、こまめに気を配っていてもすぐにしおれそうになる花もあります。
子供たちもそうなんだなぁと思いました。
子供にも個々の性格や感情があるように、みんな同じ関わり方ではなく、その子その子に寄り添った関わり方があると感じました。
定例会に参加して、各ご家庭のお話や考え方や関わり方を聞かせてもらっています。参加されるアドバイザーの先生方の話も聞かせてもらっています。
その上で、母として自分の子供をみて、自分の家庭ではどうかと試行錯誤しながらやっていくことが大切だと思いました。
人様の受け売りでは、我が子には伝わらない。
母である私が心から感じたことしか子供には伝わっていかないのだと確信しました」
皆さんもお子さんに対して、頭で考えたり、こうした方がいいかな、という関わり方をしていませんか?
親として心で感じたことが、冷え固まったお子さんの心を溶かしていくのだと思っています。
2022年12月3日(土) 「自分を…」
皆さんは自分のことを自分で誉めてあげていますか?
摂食障害の子供たちは自己肯定感が物凄く下がっています。
今まで自信に満ち溢れていた中で、奈落の底に突き落とされたかのように、味わったことのない自己否定で固められています。
回復には自己肯定感が上がることが必要だと、書物にも色々な情報源からも、医療側からも言われています。
では、自己肯定感をあげるためにはどうしたらいいでしょうか?
そこで、私たちが問いかけていることは、
「お子さんのことを誉めることは勿論ですが、その前に、お母さんご自身がご自分のことを誉めていますか?」
ということです。
お母さん自身こそが、自分の存在価値を認める。そして、自分で自分のことを誉めること。
それができてこそ、我が子も自分はありのままの自分でいいのだと思えるようになり、自己肯定感が芽生えてくるのだと思っています。
お子さんのことだけに着目する前に、お母さんがご自身のことをしっかりと認めること、誉めることを感じながら、自分の心の中を見つめて欲しいと思います。
2022年11月19日(土) 「心の持ち方」
摂食障害の症状にある拒食や過食、過食嘔吐が一番気になるのは勿論ですが、その他に日常で起こる様々なことにも気になることが山ほどあります。
子供の暴言であったり、暴力、自傷行動、気分次第で変化する様子、親への悪口雑言、過活動、無理無茶な要求…
数えきれない程の事柄が起きてきます。
そんな時に、そこに関わる私達親はどのような気持ちで子供を見ているでしょうか?
目は口ほどに物を言うと言いますが、どんな目や顔をして子供に向き合っているでしょうか?
目の前にいる相手に対して、こちらがどう見るか、どう感じて関わるかが大切になってきます。
「困ったな、この子は問題がある。また無理難題を言っている。どうしようもないことばかりだ。うるさいな」
と思って向き合うか、
「この子がここまで、こうしてまで訴えているのは何だろう?このことに隠されたこの子の気持ちは何だろう?親としてこの子のことを知りたい。気づきたい」
と思って向き合うか。
親の心の持ち方次第で子供をどう見るか
それが全て子供に伝わっていきます。
親からの無償の愛を感じられていく一瞬になるのです。
親御さんである皆さんも、ご自分の気持ちを見つめて欲しいと思います。
2022年11月5日(土) 「充電」
生きていくという中で
調子の悪い時が誰にもやってくると思います。
その苦しさや辛さは人各々なのです。
調子の悪いときは、身体にも心にも充電が必要な時です。
「充電」とは、ヘトヘトになるまですり減った自分のエネルギーを溜めていくと
いう事なのです。
辛い、苦しい、切ないということは、身体や心が何かメッセージを送っているということに気づいていますか?
それなのに世間並みとか、世間体とか、世間一般…等々の言葉に縛り付けられて、休むべきときに無理して頑張ろうとしていると、
どんどんアリ地獄の中に吸い込まれるようにもがき続ける状態が続きます。
そんなときに感じて欲しいのは
「自分のペースを見ながら、
動きたいときには力を出し、不調を感じたら立ち止まる。」
ということです。
そのくらいの感じ方や捉え方にシフトしていくと、今の動けない自分を認めることができます。
自分が一番に自分のことを認めないで、誰が自分のことを認めてくれますか?
十分に休むと、充電が一杯になり必ず動きたくなるときが来るのです。
2022年10月15日(土) 「満たされる」
例えば、子供がみかんを食べたいと言ったとします。
その時に、みかんをもらった子供は満足します。
りんごがたまたまそこにあったから、りんごを渡された子供は何だか満足できずにいます。
欲しかったのはみかんなのですから。
その時に、みかんがいいと言える子は自己主張できていますが、親の顔色や親に迷惑をかけるのが悪いと感じる子供は何も言わずにりんごを受けとります。
つまり、自分の気持ちを押し殺して人に合わせることをしているのです。
例えはみかんとりんごですが、日常的に家庭の中で起きる事柄をそこに置き換えてみるとハッとすることもあるのではないでしょうか?
子供の心が満たされるというのは、親に求めていることや欲しいもの(品物よりも気持ち)を十分貰ってきているということです。
摂食障害の回復にはそこに気が付いていくことが大切なのです。
気が付いた時に、親として何が出来るか?
後悔や悲しみや申し訳ないという気持ちがわいてくるところを通りながら、親もその時の自分自身の気持ちを見つめて、目の前にいる子供に向き合っていくこと(親子の関わりを再構築していくこと)が大切になってきます。
2022年9月17日(土) 「休む」
今年も春に白い花を咲かせるりんごが、真っ赤な実をつけ始める秋がやってきました。
でも、我が家のりんごは今年はほとんど実をつけません。
そういえば春先に花が咲いたのは数個でした。
去年は沢山過ぎるほど実をつけたりんごの木でした。
今年はりんごの木も休む年なのかもしれません。
去年は、りんごの木が持っている限界以上に実をつけたのですね。
頑張り過ぎたのでしょう。
人だって同じなのだと感じます。
頑張りすぎた時期を過ごしてきた時は、休む時期が必要なのです。
それをなかなか表現できずに、親にも伝えることができずにいると、だんだん心が弱って動けなくなってくるのです。
家庭で十分安心して休むことができると、必ず動きたくなる日がやって来ます。
それは人各々にどのくらいの年月かは違ってきます。
ただ1つ言えることは、休んでいることをダメだとか早く動かなければとか思っている時は休んだことになりません。
休むということは身も心も、休めることが大切です。
私は私でいいのだ。今のまま、ありのままの私でいいのだ。と本人が思えることが大事なのです。
これは親が本気でそう思えないうちは、子供も思えないものです。
親が心の底から、「今は休む時期であり、ここは必要な時なのだ」と思った時に、初めて子供もそう受け止めていけるようになるのです。
「休む」ということを丁寧に考えて欲しいと思っています。
2022年10月1日(土) 「課題」
摂食障害で一番気になるのは、親も子も「食べるか食べないか、吐くか吐かないか」という目に見える症状ですが、そこの回復だけを注視しているうちは何の解決にもなりません。
摂食障害は色々なことが絡み合って発症してきているのです。
食べたい、食べたくないには隠された気持ちがあるのです。
その隠された気持ちを、親も子も気づいて、言葉でしっかりと吐き出していくことが大切になってきます。
日々、家庭の中では色々なことが起こります。
摂食障害の子供は底力を持っていますから、中途半端なことはしてきません。
想像をはるかに越えるような事をしてきます。
その事柄1つ1つを通して、子供が何を思っているか、何を訴えているのか、何を求めているのか、親として、そこを丁寧に関わっていくことがとても大事なことになってきます。
そこをしっかりとやっていくと、子供には子供の課題が、親には親の課題が見えてきます。
子供の摂食障害を問題視するのではなく、家庭で起きる事柄を通して各々の課題に気がつき取り組んでいくことをしていくと、家族の関係性も子供の症状も自然と変化してきます。
※子供との関わり方についても、親の会で丁寧に話をすすめています。
ご関心のある方は足を運んでみてください。
2022年9月3日(土) 「親子の距離」
ご家庭毎にそのご家庭の中での各々の関係性が違いますし、それは違って当然です。
とかく、人間は無い物ねだり、または隣の芝生は青く見えるというように、他人の家庭や親子の関係性が羨ましくなるものです。
結婚する時に、相手の家族の関係性がよく見えていたが、いざ結婚してみるとそれがプライバシーや自分の考えさえも侵食してきて何か違うと感じることも多いようです。
つまり、家族の間の距離は各々に感じ方が違うのです。
子供が小さい時は親の価値観で近づいても何の支障もなかったはずです。
それが、子供が思春期を迎える頃になると子供自身が何だかわからないモヤモヤを抱えてくるのです。
心が健康な子供は親の価値観を払いのける力があります。
心が弱っている子供はその力さえも蓋をしているわけですから、親の価値観に子供が合わせるしかできなくなっています。これはとても苦しく辛いものです。
摂食障害はそういう親子の距離も見つめ直すことになっていきます。
試行錯誤しながらその親子なりの距離感を知っていくことになるのです。
試行錯誤というのは、家庭で起こる色々な事柄を通して、ご家庭なりにやってみるということです。
やりながら経験して、それを糧に色々なことに気づいていく。
そこを大切にしていくと必ず何かが変わっていきます。
2022年8月20日(土) 「○○でなければならない」
日常で色々な事が起こります。
人と人とが関係してくるのですから、様々な状況で数々の思いが出てくるものです。
そんなときに一番に考えがちなのは
「こうした方がいいのでは?」
「私がこう動いたら、相手にこう思われてしまうのではないか?」
「こうすることを相手は望んでいるのではないか?」
……という節はありませんか?
そんなふうに頭の中で考えてしまい、自分がどうしたいのかがわからなくなっていないでしょうか?
人に合わせることをして生きてくるうちに、そして人の顔色を見てやってきているうちに、自分の気持ちには蓋をしてしまっているのです。
これは摂食障害になっている娘もそうですが、親も気付かないうちにそうやって生きてきていることもあります。
ご自分を振り返ってみていかがでしょうか?
今、ここでそれに気づくことが出来たわけですから、これから見方や捉え方、感じ方を見直してみましょう。
色々なことを考えて動けないというのは、慎重に考えて動けないときなのです。その時こそ、「自分がやりたいかやりたくないかで動けばいい」と第一に思いを持ちましょう。
やりたいかやりたくないかを見ずに きましたから、その気持ちを見つめること、知ることはなかなか容易ではないかもしれません。
でも、大切にしていいのは自分自身の気持ちや心なのです。
自分のことを自分で優しくしてあげていいのです。
2022年8月6日(土) 「聴くことだけ」
「何にもしてあげられないけど、聴くことだけはできるからいつでも電話してきて」
上京したお姉さんが自信を無くしているときに、故郷の妹さんがかけた言葉です。
迷っている時、悩んでいる時、泣きたい時、悔しい時、腹が立つ時…
どんな時でも聴いてもらえると心の中がほんの少しばかり助かっていきます。
パンパンだった心に少し空く場所が出てくるのです。
聴くことだけ
それでいいし、それが大切なのです。
摂食障害の子供達の頭の中は休む暇がありません。
1日中休みなしに色々なことを考えています。
今の自分の状況だったり、これから先の人生のことだったり、過去の出来事だったり、そして食べ物のことだったりです。
繊細な子供たちは、人の顔色をみて自分の気持ちは押し殺して生きてきたわけですから、心の中もパンパンです。
頭も心もパンクしそうな子供が、自分の言葉で吐き出すことができるようになるには、聴く側がとにかく「聴く」に徹することが必要です。
意見やアドバイスはいりません。
ただ、子供に求められた時は、「お母さんはこう思うよ」というように、私はを主語にすると、相手に押し付けにならずに親の考えを伝えることができます。
親御さんからは、子供たちが聴いてもらったという感覚を得られるような聴く姿勢でいて欲しいと思います。
聴いてもらった、と子供が感じるとどんどん言ってきます。
話すことは放すことでもあり離すことでもあるのです。
辛く苦しい気持ちを聴いてもらえるとここに繋がってきます。
子供の心の声をしっかりと聴いてあげて欲しいのです。
2022年7月16日(土) 「信じる」
親にできることは、娘さんがこうしたい、こうして欲しいということを応援しサポートすることだと思います。
娘さんの人生をこうした方がいい、こう進みなさいと指示や管理、命令をしがちになっていないでしょうか?
娘さんが失敗しないように先回りしていませんか?
それは、「失敗」と捉えるから失敗しないようにやりたくなるのです。
失敗ではありません。
娘さんは大事な「経験」をしているのです。
経験を糧に成長していくのです。
やりたいことがやれる→満足する→感謝する→人生を自分で決める→納得できていく。
この過程を子供たちは自己決定力をつけながら歩んでいきます。
それが自信に繋がっていくのです。
自信がつけば必ず摂食障害の症状も変化してきます。
心が変化してくるのですから、それに付随して少しずつ色々なことが変化していきます。
親ができることは何でしょう?
子供の持つ力を信じることではないでしょうか…
2022年7月2日(土) 「言葉と感情」
最近の人間関係においてのツールにメールやラインという文字だけの送受信が溢れてきています。
親子間に置いても、それが占める割合が高くなってきていることが現代の様子だと思います。
利便性を追求するのみに力を入れていると、大事なことを忘れてしまいがちになることもあります。
摂食障害になっている我が子を目の前にして、何が大切なのかを見つめ直していきましょう。
文字情報のみは誤解しやすいこともあります。
対面で言葉のキャッチボールが人間関係で感情が生まれて共感性が生まれてきます。
口調と共に手をさしのべることや、抱き締めるという肌感覚がほっとするのです。
共感性を育むということはどんなことかを考えてみて欲しいと思っています。
お子さんが親から欲しいものは何だと感じられますか?
2022年6月18日(土) 「関わり」
子育ての中で、親としてこうあるべき、いつも正しい姿勢でいて完璧でいなければならない。間違ったことを教えずに、親としての正解を答えなければならない。
そんな所に縛られてお子さんに関わってこられてはいませんか?
お子さんに、物も言わせず親の考えを押し付けてきた。それが子供の為になると思って、子供のことを思ってが故にやってきていたという気持ちはありませんか?
お子さんが摂食障害という症状を出して、初めて親も己を見つめる、振り返ることになっていきます。
親子の関わりかたを見直すことが大切になってくるのです。
その中で、お母さん自身もご自分の心の底にある気持ちに気がついていくのです。
「コミニュケーション能力はボールを受けて返すということ。
相手の話を受けとめて自分なりに返すキャッチボールである」
親も子も各々の気持ちを持った一個人です。
会話という関わりを見つめ直してみましょう。
2022年6月4日(土) 「見えてくるもの」
摂食障害は食べない、食べる、という食事に関しての症状の他に色々な事が起きてきます。
嘔吐や下剤乱用、暴言や暴力、自己否定、自己嫌悪、リストカット、登校できなかったり出社できなかったり、家庭から外にでれなくなったり、自殺願望や自殺未遂…
今まで何の問題もなく手がかからなかったお子さんが、ある日突然違った人格になったかのように変わっていくわけですから、お母さんの気持ちは言葉では言い尽くせないものだと思います。
お子さんの今起きている状況を受けとめるには並大抵のことではありませんが、必ず回復した後に見えてくることが沢山あります。
その為にも、世間一般の価値観や常識を脇に置いてみることが必要になってきます。
「一度立ち止まることで見えてくるものがある」
それが、摂食障害を通して親も子も気づいていくことになるのです。
親の会 向日葵の会では、お子さんの摂食障害を通してお母さんの気持ちやお子さんの気持ちを深掘りして、回復には何が大切なのかを一緒に語ったり聴いたりしながら関わらせてもらっています。
どうかお一人で抱え込まずに、一度連絡してみて欲しいと思っています。
2022年5月21日(土) 「手助け」
「子供が言ってくることにどこまでやってあげていいのか、むしろやらない方が子供の為になるのではないか…と考えるとわからなくなります。
今まで我慢してきた子供がやっと言えるようになったのだから、それをやってあげたい気持ちはありますが果たして甘えさせているのか、それとも甘やかしているだけになっているのではないかと思うことが度々あります。
母親としてどうしていいかわかりません」
と、家庭の中で起きる関わりに迷っていられるお母さんからお声を頂きました。
確かにそのように感じられるのも無理はないと思います。それは、お子さんのことを思うが故の母心なのです。
そんな時に逆にお聞きします。
「お子さんにして欲しいと言われたら、お母さんはやってあげたいですか?やってあげたくない、もしくはできない、どちらでしょうか?」
お母さんも子育ての中で、躾なければと頭の中で考えて答えを出そうとしている節が見受けられます。
その前に、お母さん自身の気持ちを大事にしていいと思います。
正しい答えはありません。家庭毎に色々な関わりや様々なやり方があっていいのです。
そして何と言っても、
「家族なんだから助けるのは当たり前
困っているからただ手助けしたいだけ」
シンプルなその気持ちを、誰もがお持ちなのではないでしょうか?
2022年5月7日(土) 「過程が大切」
お子さんが摂食障害になった時に、お母さん方はお子さんとの日々日常の中でどうしていいのかわからない、どう答えていいのかわからない、ということが起きてきます。
今までのお子さんとは全くく違う予期せぬことを起こしてくるのですから戸惑うのも無理はありません。
親の会に参加されて
「問題→解決」
という、答えだけを聞こうとされる気持ちもわかります。
わかりますが、そこだけに力を入れているうちはなかなか回復への道に向かうことは難しいと思います。
必要なことは
「その過程が大切」
ということです。母と子の関わる過程が大事だということです。
ここでやって欲しいことは、子供の声を、心の叫びを聴くということです。
母親の心を全開にして寄り添いながら、母親も心から聴くということです。
その中で、子供も母親から安心をもらい自信が持てるようになっていくのです。
これは地道にコツコツと積み重ねていくしかありません。
その繰り返しで、親も試行錯誤しながらその親子なりの距離感を自然に得て、その家庭毎に合った関わりが生まれてくるのです。
解決だけを求めるよりも、そこには大切な過程があることに気づいて欲しいこと思っています。
2022年4月16日(土) 「見える景色」
登山されるお母さんが話をしてくださいました。
娘さんとの日々関わりの中で、今起きていることを乗り越えようと、親の会に参加しながら色々な気付きを得ていられます。
「この前、弥彦山を登ってきました。まだまだ始めたばかりの登山なので初心者なのですが、疲れたなぁ。苦しいなぁ。やめたいなぁ。降りたいなぁ。と思いながら登っていましたが、所々で見える景色がとても綺麗だったり、鳥のさえずりが気持ちよく聞こえてきたりで、やっと頂上までたどり着くことができました。
頂上にたった時の眼下に見下ろせる越後平野や遠くにそびえ立つ山々、本当に何とも言えない感動を覚えました。
その時に感じたことがあります。
『登らないと見えない景色がある』ということです。
何だかふと摂食障害も同じような感じがすると思いました。
渦中にいる今は苦しさや切なさの方が気持ちの中で勝っていますが、ここを娘と共に通りすぎた先に感じる何かがあるのではないかと思っています。
登山をしながらそんなことを感じ、頂上に立ったときにハッキリとわかりました。
摂食障害を通り越した先には、今まで見えなかったものが見えてくるのだと。
娘に起きている摂食障害は、私にも我が家にも何かを見せてくれるために起きているのかもしれないと思っています」
同席されているお母さん方も頷く方もいれば、まだその気持ちはわからないと言う方もいられます。
お母さんの気持ちもその通り、正直でいいのです。
そう思わなければならないとか、そうであるべきでならないという思いは捨てましょう。
有るがままの自分を認めること、それが母親自身にも大切なことなのです。
2022年4月2日(土) 「自分を認める」
摂食障害の本人達は自分に自信が持てていません。あったはずの自信が色々な出来事や環境に置かれているうちに無くなってきた人もいれば、もともと自己評価が低くて自信を持てなかった人もいます。
拒食や過食、過食嘔吐等の症状を無くして回復する方向に力をいれる前に、この「自信」を持てるように周りが関わってあげられることが大切だと思います。
それができるのは、一番身近に存在する母親です。
まずは、お子さんの言うこと(気持ち)を聴く。
そして受け入れて共感する。
これはお子さんの存在そのものを認めていることを表すことに繋がります。
これを日常生活の関わりでやっていくと、必ずお子さんに変化が出てきます。
親がありのままの子供の存在を認めてあげれば、本人達も自分で自分のことが認められるようになっていきます。
「一番の勇気は素直に自分を認めること
それが出来れば必ず前に進めます」
2022年3月19日(土) 「心と頭」
幼稚園や保育園で起こる一例ですが、とにかく怒りを出す子供がいます。
※友達と遊べなくても怒る
※先生に注意されても逆に怒りだす
※友達が使っているおもちゃが欲しくて怒る
※絵を書いている途中でも怒りだす
※自分より小さくても大きくても誰に対しても怒る
これは何故かと現場で保育する先生方で考えてみられたそうです。
「Aちゃんは頭で考えたり知ったりすることは年相応以上の力がある。
気持ちは年相応かまたはそれよりも幼い所がある。
それが一致しないから自分の中でも何が何だか分からずにどうしようもなくて怒りとしてでてくるのではないだろうか?
この頭で考えることと気持ちが一致すると、怒りとして出すことは無くなり行動として出てくるようになるはずである。
今はその出しきれていない部分の気持ちがキチンと出てくるように、あるいは出せるように、保育士として関わっていくようにして様子を見ましょう」
ということに話し合いをされたそうです。
これはまさに摂食障害の子供たちにも当てはまることだと思います。
摂食障害の子供たちは年相応以上に知識や世間の常識や考え方をもって育ってきています。
そこに気持ちを押し殺して出さずに生きてきているわけですから、気持ちの出し方がわかりません。
前例のAちゃんのように、頭で考えることと気持ちがかけ離れているのです。
ですから、気持ちが分からずに、イライラもするし爆発もする、暴言も吐くし暴れたりもする。
これは摂食障害の食事にまつわる以外に出てくる症状と捉えてもいいと思います。
この気持ちが回復してきて、頭で考えていることと繋がってくる(一致してくる)と行動ができるようになってくるのです。
その為にはやはり前述したように
「出しきれていない部分の気持ちがキチンと出てくるように、あるいは出せるように、母として見守りながら、子供の話を聴き受け止めて共感する」
これが摂食障害の回復にはとても大切なことになってくるのです。
2022年3月5日(土) 「無償の愛」
我が子が摂食障害になったとき、母親としてどう関わっていいのか、娘が言ってくることにどう返答していいのか、ということが分からなくなるお母さん方がほとんどです。
無理もないことです。
今まで何の手もかからず良い子だった娘とは別人格になったかのような娘がそこにいるのですから。
お母さん方は摂食障害のことを知ろうと書物を読んだりネットで情報収集をされたりすると思います。
摂食障害のことを知る上では大切なことをされているのですが、一番大切なことを見失ってしまいがちになります。
それは、娘さんと関わるときに、頭の中で考えて答えを出そうとして、お母さん自身がどうしたいのかがわからなくなってきてしまうということです。
こうしたらいいのかな…
こう答えたらいいのかな…
と考えていませんか?
そこにはお母さんの気持ち(心)がありますか?
固く凍ったようになっている娘さんの心を溶かすには、母親の暖かい心(無償の愛)が大切なのです。
『ねばならない
よりも、自分でしたいかしたくないか』
お母さんが娘さんに、どうしてあげたいか
(お母さんがどうしたいのか)
その気持ちが大切なのです。
その心の底から思って出る言葉や関わりが、娘さんの心に届くのです。
本やネットで得たことや人の言葉ややり方を「やらなければならない、こう言わなければならない」と考えて、そのまま娘さんと向き合っていても娘さんには全てお見通しなのです。
お母さん自身も、ご自分の心や気持ちを知ること、見つめることが必要です。
お母さんの心からわき出る思いや言葉が娘さんの心に届くのです。
2022年2月19日(土) 「娘が求めていたこと」
「私が子どもに対して親としてやってきたことは、ご飯の支度をして作って食べさせて、お風呂の用意をしたり、洗濯をしたり、保育園への送迎だったり、学校へ行けば送り出すこと、お帰りと迎えること、そんな日常のことを必死になって完璧にやらなければと思いながらそれをこなしてきたことだったと感じています。
それが、子育てだと思っていました。
でも、娘が摂食障害になって気づいたことは、娘が本当に求めていたのは、完璧に日常をこなそうとする母ではなくて、娘が色々話してくれることをキチンと聴いて、娘の気持ちを受け止めてくれる母との日常だったということです。
それにやっと気づくことができました。
でももう過去には戻れないのだから、これからできること、小さい時にやってこなかったことを娘と一緒にやっていきたいと思っています。
今中学生の娘はまるで3歳の子供のようによく喋ります。
今日こんなことがあったよ。
◯◯ちゃんがこんなこと言ったんだよ。
というように、他愛のない話を沢山してくれます。
小さいときはこんなこと喋らなかったのになぁ。やっと私が聴いてくれる母になれたから喋るようになれたのかなぁ。と感じながら、この時を大切に過ごしていきたいと思っています」
…今日の会に参加されたお母さんの言葉です。
拒食や過食の症状だけを治そうと力を入れるよりも、娘さんの今をまるごと受け止めて、娘さんの気持ちを聴いて心から共感して寄り添うこと。
まずはそこが大切なのです。
2022年2月5日(土) 「感じる心」
皆さんは子供と関わる時にどんな気持ちで接していますか?
『お母さん自身の気持ち』です。
私達親も自己不在の人生を生きてきた方が多いので、気持ちと聞かれるとわからない人がほとんどです。
自分の気持ちは後回しにして生きてきていますから、それに気付く暇も余裕も無かったのです。
病んでいる娘が毎日起こしてくる事柄を通して娘さんに関わる時に、起きている事柄だけに目を向けていまんか?
その事柄を何もなかったかのようにおさめることに力を入れていませんか?
その形は、どうやったら良いのかだけにお母さんが頭の中で考えて向き合っていることになっています。
それよりも、お母さんにも『感じる心』が必要なのです。
お母さんご自身が目の前にいる娘さんにどうしてあげたいのか?
それがお母さんの気持ちであり、親心なのです。親から子供への無償の愛なのです。
頭の中でこうしなければならない、こうあるべきだと考えて向き合っているうちは『親心』は出てきません。
それを誰よりも敏感に感じるのは病んでいる子供たちなのです。
誰よりも繊細で人の顔色を気にする子供たちです。
親の本心は直ぐに見抜かれてしまいます。
子供に関わるときに必要なのは『感じる心=親心』なのです。
毎日家庭で起きる事柄を通して、細かく丁寧にお子さんに向き合っていくことが大切です。
向日葵の会ではそこを大事に話をしていきます。
詳しくお知りになりたい方はいつでもお問い合わせください。
2022年1月15日(土) 「生きる力」
新年明けましておめでとうございます。
2022年(令和4年)がスタートしました。
今年も皆さんの側で、皆さんと一緒に歩かせて頂きたいと思っています。
宜しくお願いします。
お母さん方は子供が摂食障害になった時に、拒食や、過食、過食嘔吐という症状を治したい、治してあげたいと思われると思います。
それと同時に、今までとは全く別人格に変わってしまった子供の様子に、途方に暮れてしまいどうしていいかわからなくなると思います。
そのわからないことを、親の会では1つ1つをじっくりと話を聴きながら細かく丁寧に関わらせてもらっています。
親子の関係性や、子供の気持ち、母親の気持ち…等々を深掘りしていくことで色々な気付きが生まれ、それを家庭の中で生かしていくことが回復には切っても切れないことなのです。
この起きている摂食障害を通して私達が得られることがあります。
『考え方、価値観が、色々なことを経験しながら変化してくることになります。色々なこと、それは全て必要だから起きているのです。これは後々に繋がっていくし、生きていく力になることに間違いはありません。 無駄なことは1つも無いのです』
どうか、この言葉を信じて子供達と関わっていって欲しいと思います。
2021年12月18日(土) 「こだわり」
摂食障害の渦中にいるときは特に物事に対してのこだわりが強くなります。
例えば食べ物の一例ですが、買ってきたケーキが箱の中で少し形が崩れていたりとか、きれいに盛られた惣菜が少し傾いて片寄っていたりとか、そんなことが起こると許せないしパニックになったりします。
それは全てに完璧を求める本人達だからなのです。
親にしてみれば、少しくらいどこがいけないのか?食べてしまえば同じじゃないか?などと思って、つい口にしてしまいがちです。
親御さんがそう思うのは無理もないのですが、それは摂食障害のお子さん特有のこだわりなのです。
今はそこにこだわっているのです。
ですから、お子さんのそのこだわる気持ちを親が受け入れて、共感してあげることが大事です。
「こんなに傾いた!」
と言っていたら
「そうだね。傾いたね」
と共感すると、子供の気持ちを否定していません。
共感してもらった子供が、その傾いたり崩れたりしたものをどうしたいと思うのかが次に繋がっていくのです。
こだわりを持つ子供達です。
これではダメだと新しいものを欲しがるのか、少しくらいオッケーだとそれを食べるのか、色々なことを言ってきます。
そういう日常生活で起こる事柄1つ1つの関わりを丁寧に大事にしていくと、必ず子供達の心の奥底にあるものが変わってきます。
自己肯定感が低くて自己否定をする子供達です。
日常において、お母さんにできることはお子さんのことを認めてあげる関わり方です。それが大切です。
向日葵の会では、日常生活の中で起きる事柄を通して、お母さんの気持ちやお子さんの気持ちを深掘りしながら話をしていきます。
会に参加してご自身のことも振り返ってみませんか?
2021年12月4日(土) 「成果」
教育現場で仕事をされてきたお母さんが、摂食障害の娘さんとの関わりを通してご自身のことに気づかれたことを話して下さいました。
「私は仕事柄、私が子供達に教育していく上で様々な準備や苦労、努力をしてやっていました。その結果、子供達が私の思い描く姿に成長してくれるのはとても嬉しくてやりがいがあることでした。
でも、私のやっていることがうまくいかないときは、何故うまくいかないのか?自分の何が足りないかと自分を責めたものでした。
そして、子供達に同じように何が足りないのかを考えさせている私がいました。
今、娘が摂食障害になってやっとわかったことは、成果を求める自分だったということです。
あの当時、私は自分のやることに対して子供達に成果を求めていたのです。
それは自分の子育てでも同じでした。娘にも成果を求めていたのです。
娘が摂食障害になってやっと気づきました。
これは娘にはとてもキツいことだったなぁと…
私が娘に関わること全てにおいて成果だけを見ているうちは、娘との信頼関係は構築し直すことが出来ないと感じました。
母親としての親心が出てこないし、娘のことをこんなに愛していることも娘には伝わらないのだと気づきました」
この発言を、参加するお母さん方の中には自分にもあてはまると思われた方もいられたようでした。
私達母親は、自分でも気づかないうちに、私がこれだけやっているのに、とか、これだけやってあげたんだから、という気持ちが出てきているのかもしれません。
子供に自分がやったことに対しての見返りという成果を求めていた自分もいたのかもしれません。
こんなふうに、1つ1つの事柄にお母さんご自身が気づいていくことはとても大切なことです。
お子さんの摂食障害の症状だけに目がいきがちですが、お母さんが自分のことを知ること、見つめることをされると、必ずお母さんにも変化が生まれてきます。そしてその変化は娘さんにも伝わっていくのです。
2021年11月20日(土) 「母親の心の中」
親の会では、子供との関わりの中での母親の苦しさや辛さ、切なさという本音が出てきます。
親も人間です。感情のある人間なのです。
完璧な親でなくてもいいのです。出来ないこと、分からないことがあって当然なのです。
会では、お子さんのことを話すうちに、お母さん自身の生い立ちであったり、結婚してからの嫁姑のことであったり、ご主人との関係であったりと様々な事柄にまで及んでいくことが多々あります。
これは、お母さん自身が自分の心に蓋をして我慢して生きてきているからなのです。自分の気持ちを押し殺して言いたいことも飲み込んできているお母さんが多いのです。
まずはお母さんがその気持ちを吐露して、ご自分の心を知ることが大切です。
摂食障害のお子さんに日々向き合っていくには、お母さんの心の中も吐き出して空っぽにしておく必要があります。
そうするとお子さんの言葉をしっかりと聴く心ができてきます。
一杯になったコップにいくら水をいれようとしても入りません。
コップの水はあけて空っぽにしないと新しい水が入ってくるスペースは無いのです。
お母さんの心の中も同じです。
心の中を吐露していくことが大事なのです。
2021年11月6日(土) 「怒り」
ほんの些細なことでも、何に対してでも怒りをすぐに出すお子さんがいます。
親から見ても誰からみても些細なことかもしれませんが、本人にとっては計り知れないほど気持ちが乱れることなのです。
怒りに隠れている、その根底にある気持ちにお気づきでしょうか?
怒りの奥底には、悲しみと寂しさと甘えたいという気持ちがあるのです。
見えているのは、子供が怒りにまかせて放つ暴言であったり、時には暴力的な行為であったりなのですが、そこには見えない心の叫びがあります。
お子さんの心に隠れている悲しさはどんなことでしょうか?
寂しさはどんな時にどんなことがあったのでしょうか?
そして甘えたいということは、子供が求めている甘え(愛情)と、親が与えていると思っている甘え(愛情)が一致していないことがあるために、甘えたい気持ちを満たされていないお子さんがいるのです。
目の前で怒りを出しているお子さんの心の奥底の声を聴いて、キチンと受け入れて寄り添っていくと、怒りの出し方に変化が出てきます。
お子さんの心の声を聴くことが何よりも大切なのです。
2021年10月16日(土) 「経験」
子供達が新しいことにチャレンジして、その結果が思うようではなかった時、失敗だったと思った時に、親としてどう接してあげていますか?
・気にすることないよ
・また違うことをやってみればいいじゃないか
・やっぱりダメだった。親の助言をきくものだ
・お前にはまだ無理だ
…等々、様々な関わり方があると思います。
これは、何を隠そう本人達が一番に感じていることです。そこを親に追い討ちをかけられる訳ですから、益々自己否定に走るし、自己肯定感を下げていくことになりかねません。
ではどうしたら、そうならずにいくのでしょうか?
それは「失敗」ではなく「経験」と捉えることです。
本人達が、「失敗した。またダメだった。もうダメだ」と思っているのですから、親としてこたえてあげることは「お母さんは、経験したと思っているよ。いい経験したね」の一言です。
この一言をかけてあげたら、受け取った子供の心にも違う思いが出てくるはずです。
失敗ではなく、経験したと捉えることが大切です。
その経験を糧にやっていけばいいのです。
それをまずは親が心底思うこと。
その親の考え方や捉え方が波動のように子供にも伝わっていきます。
失敗ではなく経験したのです。
2021年10月2日(土) 「色々な方向から」
親の会は娘さんの摂食障害の症状で心配していることや様々なことを話をする場ではあります。
でもそれだけではありません。
娘さんの話をしながら、お母さん自身の話に及んでいくのです。
今日のお話を紹介させてもらいます。
「野菜を収穫するときに、例えば茄子やキュウリ、オクラ等は特にそうなのですが、枝や葉っぱの陰に隠れていて見えずに気付かずにとり残してしまうことがよくあります。
ですから、気を付けて、その野菜を収穫するために右からも左からも見たり、下から見上げてみたり上から見たりをします。気付かなかった所にもなっていたりするのです。
畑でそんなことをしながらふと思いました。
人に対してもそうだということです。
その人に接する時に、関わる時に、一面だけを見てわかった気にならないで、あっちからもこっちからも色々な方向から見て知ることが大切だと思いました。
摂食障害の真っ只中にいる我が子に向き合っている時に、起きていることだけに目を向けてしまいがちですが、少し違う方向から見ると随分と感じることが変わってきたりもします。
今までは我が子のことを一方向からしか見てこなかったのかもしれません。
子供が病んでいる今、この子に向き合いながら、こんな一面もあるのだと改めて感じることが沢山あります。
子供自身も親に見せてこなかったのかもしれないし、見せられなかったのかもしれません。
今は子供がありのままの自分を出せることに、親として嬉しく感じています。
それと同時に親として、1人の人として、私自身のことも振り返り見つめ直すきっかけになったと思いながら、自分のことにも色々な気付きを得ています」
親の会で、子供のことを通して自分のことに行きつくことはお母さん方皆さんが経験していられます。
お母さん自身が抱えてこられた生きづらさを、子供が摂食障害という症状を出しながら身をもって教えてくれている1つなのかもしれませんね。
2021年9月18日(土) 「根を張ること」
過食嘔吐の娘さんを持つお母さんからの気付きを聴かせてもらいました。
野菜作りを通して感じられたことを話してくださいました。
「オクラは物凄く深く広く根を張る野菜です。
成長するにつれてどんどん高くなっていき、私の背を越す程になっていきます。
野菜は育つに従って、倒れるのを防ぐために支える棒が必要になってくるのですが、オクラは支える棒が無くても倒れないのです。
どんな雨や風にも負けずに立っています。
それは目に見えない地中に広く深く根を張っているからなのです。
私の娘も、その根を張るということが必要なんだと思いました。
小さいときから、娘の考えや気持ちを聞かずに、目に見えている部分だけを評価している母親の私がいました。
よい成績だったり、リーダーシップをとる子だったり、先生からは誉められ周りの人たちからも良い子だと言われて、反抗もせずに本当に手のかからない娘でした。
そんな娘が摂食障害になって色々な症状を出す度に、今までとは打って変わった想像すらできない娘の姿がありました。
その娘との関わりを通してその都度その都度、私が私自身のことを考えたり気付いたり、自分を知ることができました。
私は娘を育てている中で、本当に大切にしなければならないのは、隠れている土台になる心を見ることだったのだと思いました。
自己肯定感や自信や安心、それをしっかりと作ることが根を張るということだと気付きました。
根を張ることが出来れば、どんなことがあろうと乗り越えていく力がわき出てくるのに、そこを抜けて目に見える評価だけに力を入れていては何かが起きたときに倒れてしまうのも当然なのだと思います。
今はしてこなかった根を張ることを、この摂食障害を通して娘と一緒にやっているような気がします」
…このお話を通して、会に参加されているお母さん方もご自身のことに照らし合わせながら振り返るきっかけを貰いました。
娘さんの摂食障害を通して、お母さん自身も己を振り返ることをしながら、親子共々成長していくのだと感じています。
2021年9月4日(土) 「薄っぺらい」
摂食障害の症状はとても辛く苦しいものです。
食べて吐く。
大量に食べる。
一切食べない。
水一滴も飲めない。
食べ物に関わる症状を出しながら、心の中はいつも葛藤しています。
食べたいけど食べてはダメ!でも食べたい。
食べる自分はダメ!食べない自分はマル!
一日中そんなことに縛られながら、体重が1グラム増えることに恐怖を抱きながら過ごしているのです。
太る恐怖と不安の中でアリ地獄にはまったかのようにもがいているのです。
痩せたい(太ってはダメ)に隠された、心の奥底にある気持ちに気づかないまま症状に振り回されているのです。
その時に発する子供の言葉に、親がどう関わっていくかによって、子供が安心感を得られるか満足出来るかが回復していくには大事な1つにもなります。
そのためには、子供の言葉をしっかりと聴くこと。共感すること。認めること。
それがとても大切です。
親の会でも、そこの会話の仕方はよくテーマに出てきます。
会では経験されてきたお母さん方の話や、参加くださっている大学教授やカウンセリングルームの所長さん、公認心理士の方々からも色々な角度から話をしてもらっています。
その話を聞いて、お母さん達が自分の心で感じて、自分の言葉で子供に関わっていくことが大事なのです。
会での話をそのまま借りてきて話すのでは子供に伝わりません。むしろ逆効果の場合もあります。
あくまでも、お母さんが自分のものにして自分の言葉や考えで子供に関わっていくことが大事なのです。
ある本人からの言葉に、子供は繊細でよく感じていると思ったことがあります。
「私が辛くて苦しい度にお母さんがかけてくる言葉があります『辛いね、苦しいね、わかるよ、◯◯はそう思っているんだよね』と毎回繰り返しているけど、お母さんのその言葉は入ってこないし、薄っぺらい!」
このように話をしてくれました。
子供は親の心を見ていると感じた一言でした。
会での話をもとに、お母さん自身もそれを自分のものにして、自分の言葉や考えで心の底から子供に寄り添っていくことが何よりも大切なのです。
2021年8月21日(土) 「心の深掘り」
親の会では日々家庭の中で起きている事柄を通して、摂食障害になっている本人との関わり方(特に母親の関わり)について話が出ることが多々あります。
これはこの関わりを通して、親も子も色々なことに気づき感じてやっていくことが必要で、何よりも母も子も自分の気持ちに気づくことが大切だからです。
摂食障害になる子供は、長年に渡り自分の心に蓋をして気持ちを押し殺してきているから、家庭の中でまずは自分の気持ちに気づき、親を相手に気持ちを出していくことが大事です。
これは母親も同じです。自分の生い立ちから、そして結婚してからの色々な出来事において心の中に蓋をしてきていること、その時の自分の気持ち、私は本当はどうしたかったのか、どう言いたかったのか、そこを見つめていくことが後々に繋がっていくのです。
とかく、自分さえ黙っていれば、我慢してでも他の人に合わせていれば、そうすれば何もかも波風立たずにまるく事が運ぶし過ぎていく。
そんなことを無意識のうちにやってきているのです。母も子も…
子供が摂食障害になって訴えてくれています。
「そんな生き方は辛くないの?苦しくないの?」と。
摂食障害を通しながら、母も子も自分のことを見つめて自分の本当の気持ちを知る。
心の中を深掘りしていくことが回復への道には大切なことになってくるのです。
2021年8月7日(土) 「泳ぐということ」
スイミングクラブに通って一年近くなるお母さんが貴重な体験を話してくださいました。
過食症の娘さんに
「私のことでお母さんが辛い顔や苦しんでいる顔なんか見たくない。私はお母さんがお母さん自身のことでいつも楽しくやっている顔が見たいだけだ」
と言われたのをきっかけにご自分の楽しみたいことは何だろうと考えた末、始められた水泳でした。
「スイミングクラブに通ってもうすぐ1年になります。初めは娘が苦しんでいるのに私だけが楽しんでいいのかと思っていました。でも、狭い家庭の中だけの会話に私が外で泳いできた話題が加わるようになってくると、家の中が少しずつ明るくなってきました。私の表情が明るくなってきたのでしょうね。全くのかなづちの私が一念発起して泳ごうとしているのですから、家族からしてみれば面白い話だったかもしれません。
目標は25メートル泳ぐことでしたが、これがなかなか泳げません。そんな泳げない話も、息ができずに立ってばかりいる話も、たった5メートル泳げた時のウキウキした話も娘との会話の中に入ってきました。泳げずに凹んでいるときは逆に娘にはっぱをかけられたりして、病んでいる娘に言われているのですが、それがとても嬉しかったりして…
そしてここ最近やっと25メートル泳ぐことができるようになったのです。これで5回泳げました。その5回目にして感じたことがあります。
泳いでいる時に息つぎができずに苦しくなってくると、また立つんじゃないか、また泳げないんじゃないか、苦しい、もうダメだ、苦しい…となって立ちます。あっ、やっぱりダメだ。私はダメなんだ。いくら何をやっても泳げないんだ。無理なんだ。と思ってしまいます。
それがずっと続いて気持ちももがきながらでしたが、それでもその中にいると、ある時ふとした拍子に泳ぐことができたのです。自分でもビックリしました。できた…
でもまた次の時は泳げずに、苦しい、ダメだ、また立った…
それでもやっているうちに5回ほど(1日に1回です)25メートルを泳ぐことが出来たときに感じたことがあります。
娘の今もこんな感じなのかもしれないと。
泳ぎながら、苦しい、また立つ、まだダメだ、無理だと思いながら泳いでいるときはゴールには着きません。
それが不思議なことに、あー苦しくなってきた。苦しいけどまぁこんなもんだ。あー何とかここまできた。もう少しだ。もしかしたら大丈夫かもしれない。ゴールまで行けるかもしれない…泳げた…
大袈裟だけど人生もそうなのかなって思いました。
ダメだ、無理だ、と思いながらやっているときは苦しいし泳げない。でも、大丈夫、こんなもんだ、いけるかもしれないと思った時は泳げます。
人生も苦しくて不安の中にいるときはもがいているけれど、それが少しずつ大丈夫と安心に変わっていくと自分に自信がついてくるのではないだろうか。
そうして、できるかもしれない、やってみよう。になり、変化していくのだろう。
そんなことを感じました」
身近なことを通して、とても大切なことに気づかれたと思います。その心の底からの気づきが、娘さんのことをまるごと受け入れて、娘さんの気持ちに共感しながら寄り添っていけることに繋がると思います。
その母親からの無償の愛を感じながら、病んでいる氷のように冷たく固くなった娘さんの心が少しずつ溶けていくのです。
2021年7月17日(土) 「トンネル」
今まで何の手もわずらわせず良い子に育ってきた子供が、ある日突然摂食障害になったとき…
お母さんは誰もが目の前に起こること、子供の変貌に途方にくれます。
そこがスタートですが、子供との関わりを通しながらやっていくと、必ず回復への道を歩み始めるのです。それにはお母さん一人でやっていくには大変なことで、分からないことだらけになるのが現実です。
そこを私達、向日葵の会がお母さんやお子さんを支えながら一緒に歩ませてもらっています。
今日の定例会での一言をお知らせします(回復したお子さんを持つお母さんから)
「摂食障害に娘がなった時、出口のないトンネルに入ったような気持ちで一杯でした。出口のないトンネルはないと言うけれど、私と娘が入ったトンネルは出口なんかないと思いました。回復した今は、やっぱりトンネルには出口があるのだと心から感じています」
「私は樹海をさまよっている感じがしました。摂食障害のことは全く分からなかったし、目の前にいる娘にどう接していいのかすら分からなかった。樹海の中に1人でいる私をいつも感じていました。それが、向日葵の会に参加するようになってから、私は1人じゃないと安心できるようになってきたのです。それが娘への接し方にも繋がったと思います。回復した今、本当に親の会の大切さが身にしみています」
「私は深い水中にどんどん沈んで行くような感覚でした。ブクブク泡を吐き出しながらどんどん深海へ引きずり込まれているように感じたものでした。あの暗い深い海の中に沈んでいく恐怖と不安、孤独は忘れられません。今でもあの感覚を覚えています。そして現在の私は、回復してくるまでの道筋やあの大変だった頃の娘と共に過ごしてきた日々を笑いながら話せる自分になれたことを本当に有難いなぁと思っています」
長年に渡り病んできた心がやっと症状をだしてきているのが摂食障害です。
回復への道筋には色々なことが起きます。その起きたことを通しながら親子共に成長(回復)していけば必ず道は開けます。
2021年7月3日(土) 「母親の心」
母親の笑顔=子供のリラックス
母親のイライラ=子供の緊張
この文字を目にされて、ハッとなさるお母さんもいられるのではないかと思います。
家庭は子供にとって安心できる場所であり、安全な場所であることが大事です。
それが、お母さんの抱えるストレスから、お母さんがイライラしていたら子供はどう感じながら生活していくと思われますか?
子供自身もその張りつめた空気の中ではリラックスできないのもお気づきかと思います。
定例会での話をご紹介します
摂食障害から回復して結婚、子育てをする娘さんに、ある時お母さんが声をかけたそうです。
「A子、いつも子供に接するときニコニコして笑っているね。子供たちも笑っているし、本当に楽しそうだね」
娘さんが返した言葉は
「お母さんは私が子供の頃、いつもイライラしていたよね。特に夕飯作っているときは物凄くイライラしていた。何でこの人はこんなにいつもイライラしているのかと思っていた」
でした。
お母さんは振り返って、会でこう話をしてくださいました。
「確かに娘の言う通りでした。時間に追われ、これもあれも何時までに完璧にやらなければならない。同居している義父母の手前もあり、子供がしたいということに目を向けられず、いつも子供は後回しだった。私自身、子供としっかりと向き合って過ごしたいはずだったのにそれすらしたいと言えなかったしできなかった。イライラしていたのは娘に全て伝わっていたのですね。それじゃあ、娘は母親である私の顔色ばかり見て良い子にしてようと思っていたはずですね」
会に参加されるお母さん方も心当たりがあるようで、皆さんがご自分のことを振り返っていられました。
別のお母さんも声をあげてくださいました。
「そんな自分のことを夫からしっかりと支えて欲しかった」だけなんです。です
「こうしたら良い」とか、「それは違う」とか、そんな言葉じゃなくて、夫からはただ私の気持ちを聴いて欲しかった。
「お前も大変だ」「よくやっているよ」「お前がそう思うのも当然だよな」
そんな言葉をかけてもらえれば、イライラも減って子供に対しても笑顔でいられたと思います。
さて、皆さんのご家庭の空気はどんなでしょうか?
一番感じているのは子供のようですね。
2021年6月19日(土) 「本人が選択する」
ある日突然、娘が摂食障害になった時に、ほとんどのお母さん方が気にされることがあります。
「私の育て方が悪かった」「私の関わり方が間違っていた」
「私が早く娘の気持ちに気づいてやれなかった」
母親ですから、色々な気持ちがわき上がるのはわかります。でも、お母さん方がやってこられた子育てに間違いもダメだということも、そんなことは何もありません。一生懸命にやってこられたのは間違いのないことなのです。
どうか自分を責めずに、むしろ一生懸命やってきた自分のことを優しく誉めてあげて欲しいと思っています。
その上で振り返って欲しいことがあります。
それは、子供のことを思うがあまりに、子供が失敗しないように指示、管理、命令して関わってきたのではないかということです。
例えば、子供が学校でテストがあるとします。
「テスト、嫌だなぁ」と一言子供が呟いただけで、練習問題をやった方がいいとか、予定をたてて取り組むべきだとか、普段の積み重ねが大切なのに何をやっていたんだとか、はたまた勉強の予定を勝手に親がたてたり等々やってこられた心当たりはないでしょうか?
些細なことのようですが、このような関わりかたは、子供が自分で困難に立ち向かっていく力を妨げます。そして自分でどうしたらいいのかという選択や、どうしたいかという決断を分からなくさせてしまっているのです。
子供が自分の力で物事に対処していく為には失敗も必要です。
失敗は経験になります。
その経験の積み重ねが後々に生きてくると思います。
摂食障害になっている子供たちは、自分がどうしたいかという気持ちさえも分からなくなっています。
日常生活で起こる様々な事柄を通して、1つ1つ丁寧にお子さんの気持ちに寄り添いながら、子供自身がどうしたいかという選択をしていくように、親として接していくことが大切になってきているのです。
2021年6月5日(土) 「気づくということ」
コロナウィルス感染者が増加傾向にある為に、今回の定例会は見送りとなりました。
回想…Bさんから
定例会に参加するようになり、娘との関わりかた、娘の気持ち、そして何よりも私の気持ちに気づいていくことができるようになりました。
でもそうなるには、様々な出来事を通ってきたからこそたどり着けたことだと思っています。
毎日、摂食障害の娘が家庭の中で起こしてくる事柄は想像を絶するものがありました。親としてもどうやって関わっていったらいいのか、今までの娘とは別人格の娘が存在しているのですから、1分1秒気が休まる時はありませんでした。
過食が収まらずパニックになっている時や、嘔吐が完全に出来ずにパニックになっている時などは、娘のことを静めようと思うばかりで私もどうしていいのかわからないものでした。
そんな時に娘に対して口にでるのはいつも同じ言葉でした。
「お母さんじゃだめなら親の会に電話して聴いてもらおう」
何回かはそうしました。すると不思議なことに娘が落ち着いてくるのです。
その時の私はついその行為を繰り返していました。娘と本当に向き合わなければならないのは母親である私だったのに…
ある時、「娘さんはお母さんにそう言われるとどんな気持ちがしているのでしょうね?」と聞かれて気づきました。
私は娘のことを人任せにしているのだと。
それと同時に娘からも「私が聴いて欲しいのはお母さんなんだ」と言われたのです。
そうだったのです。目の前にいる娘にキチンと向き合って、娘の話を聴き、共感して受け止めることが娘との関わりの中で一番大切だったのだと気づきました。
それが娘に寄り添うことなのだと実感しました。
あの時の私がいたからこそ、本当に娘に寄り添うことができるようになったと心から思っています。
2021年5月15日(土) 「四つ葉のクローバー」
コロナウィルス感染者が爆発的に増加している為、今回の定例会は見送りとなりました。
回想…Aさんから
娘が過食嘔吐でとうとう学校に行けなくなった頃のことです。
「1日中家に居て、過食嘔吐ばかりをしているのが苦しいから、家に居たくない」と娘が言いました。
それで、毎日毎日、何処へ出かけたいか、どうしようかと行き先を探して外出する日々が続きました。
そんなある日、大きな池のある山の中の公園へ行くことになりました。
行ってみるとそこは一面にクローバーが緑の絨毯を敷いたように群生していたのです。
クローバーで花冠を作ったりして一時を過ごし、四つ葉のクローバー探しを始めました。
一生懸命に探す娘の気持ちを大切にしたくて、私も娘と一緒に探しました。
その時、四つ葉のクローバーを2つ見つけて持ち帰ってきました。
そして小さな花瓶に入れて飾りました。
娘は毎日水をかえていましたが、あるときに気付いたことがありました。
それは、1つは根っこから抜いてきたようで根っこつきのクローバー、もう1つは根っこはなく折って持ってきたものでした。
偶然にも、根っこありと根っこなしのクローバーだったのですが、何日か後に違う変化が生まれたのです。
根っこなしのクローバーは枯れていきました。
根っこありのクローバーは水の中で根っこも育ち張り出していて、クローバーもいきいきと緑のままだったのです。
その時の娘と私の会話です。
娘…「花瓶から見える緑の四つ葉のクローバー、同じに見えたけど、根っこがあるのと無いのは何日かたつとこんなに違うんだね」
私…「そうだね。違うね」
娘…「花瓶に隠れていて気づかなかったけど、根っこがあるって大事なんだね」
私…「根っこがあるとこんなに緑のままいきいきしてるんだね」
娘…「何だか人もそうかもしれないな」
私…「どういう所が?」
娘…「だって、心だって根っこがしっかりしていれば大丈夫でしょ?根っこがなくて表面上だけの出来事をやろうとしても結局無理がかかるってことだと思う」
私…「そっか、そうだよね。その通りだね」
……娘も学校へは行けなくなっているけれど、根っこの部分をゆっくりと時間をかけてやり直しはじめているのだなぁと感じました。
そして丁度その頃の定例会で、とかく見えている部分だけを関わろうとする親子関係では、しっかりとしたものは築けないという話がテーマにでました。
『見えない根っこの部分を、しっかりとした親の愛情、どんな時のどんな子供であっても自分の子供にはかわりないという無償の愛情で関わり、その愛情で子供の心が満たされていけば自然と根っこも張ってきます。
根っこという土台の部分がしっかりすれば自ずと幹も太く花も咲くのです。摂食障害はその花を咲かせるために、今、様々なことを出してきているのです』
と教えてもらいました。
それと同時にあの時の四つ葉のクローバーが、娘にも私にも気づかせてくれたのだと強く思っています。
2021年5月1日(土) 「怒らせない…?」
病んでいる我が子に接するとき、どのように関わっていられますか?
腫れ物にさわるように、気持ちを逆撫でしないように、怒りをかわないようにとしていませんか?
他愛もない会話の中の一言がきっかけで、子供がパニックになったり暴言をはいたりすることを経験すると、どの親御さんたちもお子さんを怒らせないようにと気を使いがちになっているようです。
でも逆にこの行為は不自然であり、子供にも親の心を見透かされています。
どんな時の子供も自分の子供に変わりはないのです。
優しいときも、穏やかなときも、暴言をはいても、パニックになって奇声や大声をあげていても、泣き叫んでいようとも、どんなときもそこにいるのは我が子なのです。
怒らせないようにと力が入ってしまうと、頭でっかちになり考えて話しかけることをする親になってしまいます。
子供と会話をするときは、心で感じて心からの声で話すのです。心からの声は必ず子供の心に響きます。届きます。
子供が怒ったならば怒ったでいいのです。
子供たちは、自分の心の中にある怒りに蓋をして圧し殺して生きてきて症状が出てきているのですから、怒りが出せるようになることは有り難いことなのです。
ただ、今まで良い子でやってきた我が子が、目の前で怒り狂っている姿を初めて見ることになる親御さんにとって受け入れがたい気持ちになるのはわかります。わかりますが、子供の側に立つと、怒りをようやく出すことができたのですから有り難いのです。
怒っている子供とどう関わるかが、親子の関係性を作り直していくことになるのです。
そこが回復には大切なのです。
2021年4月17日(土) 「思い」
お子さんが小さい時に、風邪をひいたり発熱したりすると病院へ連れて行かれたと思います。
病院が混んでいたりして、長時間待っていたご経験もあると思います。
あの時のことを思い出してください。具合の悪い子供を少しでも楽にしてあげたい母の思いで待っていましたよね…子供の側に寄り添いながら。
摂食障害を発症している今の我が子も、あの時の我が子と同じなのです。
小さかった我が子が思春期になってはいますが、お子さんの心は小さいときのままです。
摂食障害の症状がお子さんを更に不安や心配、恐怖の中に連れ込んでいます。自分でも何が起きているのか、どうしてそうなっているのか訳がわからない状態です。
そんな我が子の気持ちを優しく暖かく包み込んであげられるのはお母さんしかいません。
何も言わずにただ待ってあげられるのはお母さんなのです。
摂食障害は食べることや食べないことが症状なので、そこを治そうと力が入りがちになります。
過食症状には、食べなければ良い。拒食症状には食べれば良い。と言ってしまったり思ったりしがちですが、それは根本にある心の回復へは繋がらないと言っても過言ではありません。
傷つき不安と恐怖に支配されているお子さんの心が少しずつ安心して、失った自信を取り戻していくことが回復へ繋がるのです。
あの時、病院でお子さんの側に寄り添いながらずっと待っていたお母さんの心、そんな気持ちで今のお子さんに寄り添ってあげて欲しいと思います。
2021年4月3日(土) 「凍った心」
摂食障害の症状を出しているお子さんの心…
色々な出来事だったり事柄だったり、環境や家族の関係性、社会での関係性、等々の計り知れないことが重なって、お子さんの心が傷つき、恐怖や不安で一杯になり凍りついているような状態です。
回復していくには、その凍りついた心を優しく丁寧にゆっくりと時間をかけて暖めていくことが大事になってきます。
これができるのは、家庭です。特に母の無償の愛情です。
良い子にして親の手を煩わせないで、人の顔色を見ながら生きてきた子供が、自分の存在そのものを愛されていると感じていく時に少しずつ心の氷が溶けていくのです。
どんなときの我が子も、どんな中にいる我が子も、自分の子供なのです。
世間一般常識では推し測れない子供の気持ちに寄り添い、共感できる無償の母の愛情こそ、子供が欲しがっているものなのです。
それを満たす為には、何気ない日常に起きる事柄を通して、子供との関係性、コミニュケーションをとっていくことが大切になってきます。その積み重ねが凍った心を少しずつ溶かしていくのです。
今までとはまったく違う我が子が目の前にいると、どう関わっていって良いか分からず途方にくれる方がほとんどです。お母さんも分からないのです。分からなくても良いのです。子供と関わっていくうちに段々分かってきますから安心して欲しいと思います。
向日葵の会では1つ1つの事柄を大切に丁寧に関わらせてもらっています。
お一人で悩まず、お母さんも心の内を吐露して、お母さん自身が楽になっていくと少しずつ家庭の風も変わってきます。
2021年3月20日(土) 「心に寄り添う」
子供の心に寄り添うことが大切です。
寄り添うとはどういうことだと感じますか?
簡単なことのようで、できるようになるには少し戸惑う方もいられます。
「子供のどうしたいかなんて認めずに、親が言うことが一番で正しくて、その通りにやれば間違いない」
と思いながら子育てしてきたと振り返るお母さんがいられます。
そんなお母さん方に共通しているのは、真面目で一生懸命やって来ている方々だということです。真面目で一生懸命が悪いとは言いません。でも、時にはその凝り固まった考え方や捉え方が、子供にとっては重荷だった時もあったのではないでしょうか?
さて、そんなお母さん達が口々に言われることに、「寄り添うってどうすればいいのですか?難しいです。私にはできそうにありません」
という言葉がよく出てきます。
その通り、最初は誰もがそう思うのです。でも、誰もが出来るのです。子供と関わりながら、コミュニケーションをとりながら、失敗したり、手応えを感じたりしながら、寄り添うことができるようになるのです。
寄り添う=共感する
ということです。
もっと具体的に言えば、頭の中で寄り添わなければならない。共感しなければならない。と考えてやる行為は寄り添うことができていません。
本当に寄り添うということは、子供の心の中にある気持ちを感じて、親も心から共感できていることなのです。
頭でっかちになって子供に寄り添うことをやろうとしても、子供には見抜かれています。
親も心から目の前にいる我が子の気持ちを知ること。知った上で、心から共感できれば自然にその子供をまるごと受け入れることができます。それが寄り添うということなのです。
精神科で受診しているお子さんに付き添われているお母さんが言われたそうです。医師から、お子さんの気持ちに寄り添うことをするようにと。
医療の方からも「寄り添う」ことが、回復には不可欠だと考えられているのです。
子供が一番に寄り添って欲しいのは母親(両親)なのです。
2021年3月6日(土) 「心で感じる」
摂食障害のお子さんとの関わりにおいて、親御さんから特に感じて欲しいことがあります。
それは、頭で考えた答えを子供に与えるのでは無く、親御さん自身が心で感じたことで向き合って欲しいということです。
ある日突然、今まで何の手もかからなかった我が子が摂食障害になった時、摂食障害という言葉さえ知らない方が多いのも事実です。
そんな時に、ネットの情報や書籍で調べる方が大半です。それは、摂食障害を知ろうとされているのだからごく自然なことです。
ただそれで知り得た情報をもとに、頭の中だけで、こういう時はこうしなければならない。こうしてやったらダメ。こうした方がいい。という思考回路になるのは避けた方がいいと思います。
頭でっかちになり、答えを出そう出そうとする関わりでは、親の気持ちは子供には伝わりません。
親として、今、目の前にいる我が子にどうしてあげたいのか、子供に対してどんな気持ちが心の底からわきだしてきているのか、そんなことを感じて関わっていくことをした方が、確実に子供には親の気持ちが伝わっていきます。
関わり方で失敗も付き物です。失敗があってもいいのです。その失敗を糧にまた親も子も色々なことを気づいたり感じたり、自分自身に向き合ってみると見えてくるものが必ずあります。
子供の気持ちを逆撫でしないようにとか、子供がパニックにならないようにとか、子供がイライラしないように、暴れないように、何事も起きないようにというところに力を入れていませんか?
それは回復の何の手助けにもなりません。
回復に必要なことは、起きた事柄を通して、出てきた気持ちや感情を知り、しっかりと親御さんがお子さんに向き合っていくことです。
やり方は細かなやりとりから色々な部分まで、親の会で話させてもらっています。一人で悩まず、是非とも足を運んでみて欲しいと思っています。
2021年2月20日(土) 「きょうだい」
姉妹だったり、姉弟、兄妹や3人きょうだいだったりと、性別の組み合わせや年齢差の組み合わせ(生まれた順番)があります。
親にとっては分け隔てなく愛情を注ぎ育ててきたことに間違いはないのですが、受け取る子供側は様々な気持ちを持っています。
よく摂食障害の子供から聞くことがあります。
「お兄ちゃん(お姉ちゃん)ばっかり可愛がって」
「弟(妹)ばっかり甘やかして」
「他の兄弟は好きなことさせてもらったのに、私だけ我慢してきた」
「私だけがいつも親の言うことを聞かせられていた」
「私だけ母親の愚痴を聞いてきていた」 ……
こんなことをずっと幼い心に抱きながら生きてきているのです。
繊細で親の顔色をうかがいながら良い子でいようとしてきた子供達に多く見られる事柄です。
親はそのつもりはなかったとしても、子供はそう感じながら生きてきたわけですから、その気持ちを言い始めたことを通して様々なことに気付いていく機会なのです。
まずはその気持ちや思いを持ちながら育ってきた子供の寂しさ、孤独さを受け入れてあげましょう。
子供が求めているものは、親からの無償の愛情なのですから。
2021年2月6日(土) 「波風たつこと」
摂食障害の子供との関わりの中で、子供がイライラしたり怒ったりしないように、できるだけ波風たたせないように関わっていませんか?
摂食障害の子供たちは、頭の中は常に食べ物のことで一杯です。
食べたいけど食べちゃダメ、でも食べたい。
食べたら太る。
太るのは怖いし許せない。
食べ始める時間から、何を食べるか、どういう順番で食べるか、
頭の中は休む暇がないのです。
そんな中で、子供たちは思うようにいかなかったり、予期せぬことが起こったりすると、パニックになったり、身体中からイライラや怒りを出してきます。暴言もあります。時には暴れることもあります。
そうすると、目の前で起こる様子にどうしていいかわからなくなるのが母親です。父親には、母親の子育てのせいにされたりして責められることもあります(お父さんからはお母さんのことを支えてもらいたいのですが)
これが度々続くと、親も自然に、なるべく子供を怒らせないように、家庭の中で波風たたせないように振る舞ってしがちになっています。
でも、これは逆効果と言ってもいいくらいのことなんです。
確かに何事も起こらないように過ごせば子供はイライラや怒りを出す機会は減るかもしれません。
それを親もいいと思って関わる節があります。
でも、それは子供に対しても失礼だと感じます。まるで腫れ物にさわるように扱っているのですから。
本当に子供に真正面から向き合うということはどういうことでしょうか?
子供がイライラや怒りで、自分の心の奥底にある感情を出してきたときに、親も本気で心の底からの想いを伝えるチャンスなのです。
こうしてはいけない、こうなるべきだという常識や価値観では子供の心には届きません。
親の気持ちや想いが、親自身の言葉としてでてきた時に、初めて子供に伝わっていくのです。
必然的に起こることを通して、子供とどう関わっていくかがとても大切なことになってきます。
2021年1月16日(土) 「大人の所有物ではない」
長い歴史の中で、子供は人間として完全な存在ではなく、大人の自由意思で操作できるとされる、いわゆる「大人の所有物」と言われる時期がありました。
それをかの有名なルソーが「子どもは大人の所有物ではない」と主張したのです。
摂食障害を発症したご家庭によく見られる、よく感じられるのが、この「大人の所有物」という関係性です。
摂食障害を発症したお子さんに多いのが、
親を怒らせないように
親に見放されないように
親を悲しませないように
親も大変なことが沢山あるからこれ以上心配をかけないように
親に負担をかけないように
親を困らせないように
親の顔色やご機嫌を見ながら、手のかからない良い子で生きてきた子供が多いのです。
そんな子供達は親の言うことをよくききます。いう通りにします。自分がこうしたいという気持ちを押し殺してまで、親の思うように生きようとします。
親はそんなこととも思いもしないで子育てをやってきています。それは、親自身が子供の為にと思ってやってきたことですが、そこに親と子の思いの掛け違いがあったのです。
子供は親の所有物ではありません。
子供も親も各々の個人です。各々の価値観もあり人格があるのです。
みんな各々に考えや気持ちがあるのが当然です。
家庭の中で、「あなたはそう思うんだね。私はこう思うよ」と、お互いの考えを認め合い尊重できる関係性でいれたらどんなに安心できて楽な雰囲気が漂うことでしょう。
子供が摂食障害になったことを通して、親が子供に対する接し方、親自身の物事に対する捉え方感じ方を振り返ってみる時がやってきているのです。
2020年12月19日(土) 「親自身の心」
摂食障害の子供が出す症状は日常生活において四六時中起きてきます。
食に関連しての症状から始まり、どうにもならない現状やそのことから生じる不安や恐怖、色々な気持ちがわいてきて、色々なことが家庭で起きてくるのです。
その中で親御さんが子供の回復の為に一生懸命にやっている関わりには頭が下がる思いで一杯です。
その上で、回復していくには何が大切なのかと、親の会ではずっと話をさせてもらっています。
参加されるお母さんやお父さんの話をしっかりと聴きながらやらせてもらっています。
その参加を繰り返しながら、回を重ねていくと親御さんの気持ちにも色々な思いや考え、感じることが生まれてくるのです。
そうすると、親御さんからも今までには無い言葉が出てきます。
今まで気づかなかった自分自身の気持ちもわかってきます。
そこが大切なのです。
気づいた所から一歩一歩スタートです。
子供を変えようと力を注ぐよりも、親も自分自身を振り返りながら、心の奥底の自分の気持ちをしっかりと分析していくことが大事なのです。
具体的にどのようにやっていくかは、家庭で各々違います。家庭の環境も違うのですからそうなのです。
会では1つ1つのことを丁寧にお話させてもらっています。
参加してもらっている大学教授の方や、カウンセリングルームの所長さんや公認心理師の方からも様々な考えをお話し頂きながら、参加される他のお母さん方もご自身が通ってきた道や、現在のこと等の話も織り交ぜてもらい、皆で語り合っていきます。
ご家庭で起きている摂食障害を1人で抱え込まずに、子供さんに関わっているお母さん、お父さんからまず一歩を踏み出していきませんか?
2020年12月5日(土) 「父として」
男として、父として、人として、「今しかできない」大切な時がある。
身体に障害がある子供を持つ家庭をサポートしている会が発行した日めくりカレンダーの一文です。
摂食障害の子供を持つご家庭でも、この一文はあてはまります。とても意味がある言葉です。
会に参加されるお母さんの日常で起こる子供との関わりを聴かせてもらっていると、お父さんの存在が見えてこないことが多々あります。
お母さんが1人で全てのことに頑張っていられるご家庭が多いのです。
お父さんは仕事で一生懸命だから、家庭のことはお母さんに任せきりだったり、
お父さんが子供との関わり方を知らずに子育てに関わっていなかったりなのです。
そんな中で、お母さん1人で何とかやってきて、ある日突然、摂食障害で子供が病むということに直面するのです。
「私自身、今まで一生懸命にやってきて、一生懸命に生きてきて、人よりも努力も我慢もして、誰よりも真面目にやってきたのに、誰にも迷惑もかけず頼らずやってきたのに、どうして?なんで私の子供が摂食障害にならなければいけないの!」
というお母さんの心の奥底からの叫びがあります。
それでも1人で何とかやろうとするお母さんですが、摂食障害の症状は生半可なものではないのです。
そこでやっと気付いていくことになります。
子供の摂食障害が回復していくには、お母さん1人の力ではなかなか大変な道のりになるということに。
回復していくには、お父さんの力がとても大切なことになっていくのです。
子供に直接関わることの多いお母さんを支えるのはお父さんです。
まずはお母さんの気持ちを聴きながら、お母さんの辛さや苦しみに共感して、お母さんの話を聴いてあげることをやってほしいと思います。
それだけでもお母さんが随分楽になるはずです。その分、お母さんも子供に向き合っていける力が満ちてくるのです。
お母さんにアドバイスしたり、叱咤激励する必要は無いしやめて下さることをお願いします。
ただお母さんに寄り添ってあげてほしいのです。
そのお父さんとお母さんの関係の空気が自然と子供に伝わっていきます。その空気感が漂うだけでも、家庭にも子供にも変化が生まれてくるのです。
そしてご家庭で、父として子供さんとの関わりが始まってきます。
始めは子供と気持ちのすれ違いがあることは当然です。今までお母さん任せにしてきたのですから、子供の気持ちや言葉に対して噛み合うわけがありません。でも、色々な失敗を糧にしてやっていけば必ず実を結びます。
今しかできないことがあるのです。父として。
関わり方は、各々の家庭によって違います。
向日葵の会では、お一人お一人のお話を時間をかけて十分に聴かせてもらったうえで、家庭に合った関わり方を一緒に考えながらアドバイスさせてもらっています。
どうか、1人で抱えず、家庭だけで抱えず、親の会に足を運んでみて欲しいと思っています。
2020年11月21日(土) 「北風と太陽」
イソップ童話の“北風と太陽”というお話をご存知ですか?
ある日、北風と太陽がどちらが強いか勝負をすることになりました。
「あそこを歩いてきた旅人のコートをどちらが先に脱がせられるか勝負しよう」
北風は旅人めがけて、思いっきり冷たい風を吹かせました。これでもか、これでもかとより強く吹き続けました。
旅人は、北風が吹けば吹くほどコートをしっかりとおさえて離しませんでした。
次に太陽が優しい光を照らしてきました。ポカポカポカポカと暖かい光を旅人に照らし続けました。
すると旅人は、あまりの暖かさにコートを脱いで汗を拭き始めました…
という内容なのですが、
これを摂食障害の子供がいるご家庭にもあてはめられると思います。
ご家庭で、拒食や過食になっている子供に、親が叱咤激励(=北風のように、冷たく強い風を吹かせる)していても、子供は益々摂食障害というコートを脱ごうとはしません。
それよりも、暖かい眼差しで優しく見守る(=太陽のようにポカポカする光を届ける)方が、必ず摂食障害というコートを脱ぐのです。
小さいときからしっかりと育ててこられたことを、子供はキチンと身につけています。今はただ、摂食障害というコートを着ているだけなのです。
回復するには、家庭での親の関わり方がとても大切になってきます。
向日葵の会では、日常生活で起こる1つ1つの事柄を通して、親と子の関わり方を一緒に考えています。
どうか、ご家庭で抱え込まずに向日葵の会に参加されて欲しいと思っています。
※この童話の教訓
手っ取り早く乱暴に物事を片付けてしまおうとするよりも、ゆっくり着実に行う方が、最終的に大きな効果を得ることができる。また、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれるという組織行動学的な視点もうかがえる。
2020年11月7日(土) 「寂しいの」
小さな3歳の女の子2人の会話です。
A子ちゃんとB子ちゃんがいました。
A子…「積み木しようよ」
B子…「イヤだぁ」
A子…「じゃあ本よもうよ」
B子…「いや」
A子…「あままごとは?」
しまいにそこから離れようとするB子ちゃんの手を必死に掴んで話さないA子ちゃんと、2人は引っ張り合いになっていました。
B子…「やめてー」
A子…「いいじゃん!」
B子…「いや!離して!」
A子…「ダメ!」
そしてB子ちゃんから出た言葉は
「私は私のやりたいことをしたいの!」
でした。
その言葉にA子ちゃんの返したことは
「だって1人だと寂しいんだもん!」
小さいながらに2人とも必死でしたから、声も大きかったし側で見ていた大人からはケンカしているようにも見えました。
でも、このやり取りを通しながら2人の子供はしっかりと自己主張をしているのです。
もし、あなたがA子ちゃんのお母さんならば、その場にいたらどうされますか?B子ちゃんのお母さんならどうされますか?
どうされて、どう言葉をかけますか?
では、そのかけられた言葉を聞いたA子ちゃん、B子ちゃんはどんな気持ちになるでしょうか?
世間一般的な常識から親は声をかけてしまいがちです。
それが、時と場合によっては、子供の心を傷つけていることがあります。
子供の行動には訳があるのです。
子供なりの気持ちがあるのです。
そこをわかってあげて受け入れてあげて、寄り添ってあげることが大切なのだと感じています。
摂食障害になっている子供も同じです。
今の年齢を見るのではなく、小さな心を持った子供がいると思ってもいいでしょう。
3歳の子供の話ですが、摂食障害の子供たちの心の中にもある話なのです。
2020年10月17日(土) 「人任せ」
娘さんの摂食障害を治そうと、全国の医療機関や回復支援施設を回ってきたお母さんが会に参加されています。
摂食障害を発症してから親の会に出会うまで、5年の月日を費やしていられました。
会に来られるようになって1年近くになりますが、今日の会でご自分のことを振り返って話されたことをご紹介します。
「私は今まで娘を治すために色々な所へ娘を連れていきました。
娘が望まない所もあったし、それどころか嫌がる場所もありました。
それでも娘がいくら抵抗しようとも、そこに行くのが娘のためだと言い聞かせながら無理矢理でも連れて行っていました。
でも、娘は何処にかかろうと、何処に連れていこうと悪くなっても良くはなりませんでした。
そんな時にここの会に出会いました。1年近くなりますが、会で色々な話を聞きながら、気付いたことがあります。
それは、娘の回復を人任せにしていたということです。医者でもカウンセラーでも、支援者でもなく、母であるこの私がしっかりと娘に向き合っていくことが一番大切なのだとやっとわかりました。
今まで人任せにしてきた自分でした。
娘が求めているのは誰でもない、母親の私なのだと心の底から思いました」
もうすでに、このお母さんは娘さんとしっかりと向き合って毎日を過ごしていられますが、ご自分の気持ちにハッキリと確信されたことをお話しして下さいました。
どうか皆さんも、母親としてご自分の気持ちの奥底にある物にしっかりと向き合ってみて欲しいと思っています。
2020年10月3日(土) 「親の会に参加して」
お母さん達は摂食障害の子供を回復させるために、あちこちの医療機関を転々としたり、支援施設を回ったりとされている方々がほとんどです。
そしてそこでは治らないということを経験しながら、藁をもすがる思いで親の会に来られるのです。
親の会に来られるときには、お母さん方も疲弊しきっていられる場合が多くみられます。
そして、会での参加されているお母さん達の現実に家庭で起きている話を聞きながら、自分の家庭だけでは無いことを知ります。
また、カウンセラーの方々や看護師さん、大学教授の方や経験してきて幾例もの事例や症状に携わってきた会の相談役の方、皆さんからのアドバイスや物事に対する考え方や捉え方を聞いて、疲弊しきっている状況から少しずつ明かりを掴んでいかれていくのです。
「今まで医者からは受けてこなかったアドバイス」
「現場を通ったものしか解らない気持ち」
「誰も教えてくれなかった摂食障害の子供との関わりかた」
等々、今まさにお母さんが求めている話が会では出てきているのです。
参加を重ねられると、お母さんの表情も話し方も声のトーンも変化してきます。
お母さんの心が楽になり助かっていくと、少しずつ家庭の中も変わってきます。
その波動や空気は、病んでいる子供が一番に察知します。
そこからゆっくりと回復の道を歩み始めるのです。
2020年9月19日(土) 「考え方、捉え方」
5つの例を紹介します。
※小さい頃、お母さんがお昼にうどんを作ってくれる用意をしていた。
私はカップ麺のうどんが食べたかったので「カップうどん食べるから」と言ったら、お母さんは急に怖い顔をして泣きながら「私の作ってるうどんが食べれないの!」と大きな声で私に言った。
私はただカップうどんが食べたかっただけなのに、お母さんのその時のその顔と、その泣く姿とその声が忘れられずに、何が食べたいのか言えなくなった。
※私が過食したくなったと母親に言うと、母親はいつも困った顔をして切なそうな様子になります。私はその母親を見ると、私の過食嘔吐は母親に迷惑をかけているのだなと辛くて苦しくなります。
※私が過食している時に、お祖母ちゃんが側に来て「今日でやめるんだよね?これでやめるんだよね?」と毎回言ってきます。やめられたらとっくにやめていると思いながら何も言えませんでした。
※私が食べていても食べなくなっていても、いつもお父さんは知らぬ顔をしていました。
お父さんは私のことを見ることさえしてくれませんでした。
※ある時、友達に私の摂食障害を打ち明けました。やっとの思いで話をしたのに、我慢すればいいとか、私のワガママだとか、意思が弱いからだとか言われてしまい、益々自分はダメだと思いました。わかってもらえず、もう二度と誰にも打ち明けないと思いました。
これは、ほんの一例でしかありませんが、摂食障害になった本人達は日常の事柄でこんな思いを沢山しています。
繊細で人の心や顔色をすぐに感じとる本人達です。
摂食障害になった自分を責め、自分のことをダメだと否定し、存在価値すらないと苦しくて辛い毎日を過ごしているのです。
不安と心配に押し潰されそうな中にいるのです。
親御さん方は、本人達を治そうと力が入りがちになるのですが、これらの例をみても、本人達よりもまず先に、家族や周りの理解が得られなければ回復までにはかなりの回り道を通ることになります。
本人達に焦点を当てる前に、親として改めてご自分の物事に対する考え方、捉え方を見つめ直されてみられることが大切だと思います。
2020年9月5日(土) 「恩着せがましい」
今日の親の会でテーマになったことに、親から子供に対して無償の愛情が大切なのだということがありました。
その話題の中で出た発言を紹介します。
「私は娘の言う通りに過食の買い物もしてやっているのに、娘はどんどん無理難題をおしつけてきます」
…○○してやったのに…
という言葉に隠された親御さんの本当の気持ちには何があるのでしょうか?
果たして、この言葉が出ることに無償の愛情があると言えるのでしょうか?
この言葉の裏には、「恩着せ」があるように感じています。回復するという「見返り」を求めているように感じます。
今、目の前で苦しんでいる子供の為に、親として出来ること、子供が望むならその買い物を心からしてあげたいと思っての行動なのでしょうか?
子供に寄り添うには言う通りに買い物をしてこなければならない。という頭で考えての行動なのではないでしょうか?
そんな親の気持ちは子供に見抜かれてしまいます。
「本当にこんな私を親は愛してくれているのだろうか?良い子の私しか受け入れてくれないのではないだろうか?こんな私は何をやってもダメだ。全てがうまくいかない」
そんな気持ちで自己否定で一杯になっていることもあります。
親御さんが大変な中にいるのもわかります。わかった上で提議させてもらいました。
参加されているお母さん方も、各々の家庭で起きている事柄を通して、親の恩着せや見返りについて、そして無償の愛について、自分の中でどんな気持ちが動くのかを知るきっかけになりました。
2020年8月15日(土) 「親から子供への関わり方」
今まで何の手もかからない子供が摂食障害になったとき、親としてどうやって子供に接していいか戸惑いで一杯になります。
それは、今までとはまったく違う子供が、したことも言ったことも無いようなことをしてくるからです。
親の言うことをきいてきた子供達ですから、やる方も半端なことはしてきません。
物を言うにしても、反抗したことが無いのですから、勢いをつけないと言えないのです。ですから、語気も強くなるし、暴言にもなるのです。
そんなときに、親の関わり方はどうされていますか?
「何て言い方するの!」「親に向かって言う言葉か!」
「そんなこと言うもんじゃないよ」
と諭し、言い含めてきていませんか?
それは、摂食障害になる前から、十分すぎるほど子供達に言ってきているはずです。
子供は分かっているのです。分かっていても、自分の中で何だかわからないモヤモヤを抱えながら、やっとの思いで言葉にしているのですから、出てくる言葉には勢いが必要なのです。
この時期は必ず通りすぎます。十分に暴言を吐いたり怒鳴ったりすることをやり終えると、自然にその状態もなくなっていきます。
親として子供に関わるときに、今、目の前にいるその子をまるごと受け入れてあげる気持ちがあれば、自然とどんなときも関わっていけるものです。
親も心の底から子供のことを、あなたはあなたのままでいい。と思えていますか?
親が子供に対して、こうあるべきだ。と思う気持ちは、繊細で人の心を察知しやすい子供達に見抜かれています。
親も子供を通して、己をみる。そして、己を知る。
親自身も自分を振り返るチャンスを貰っているのです。
2020年8月1日(土) 「まず親が変わる」
摂食障害は本人だけの問題ではありません。
摂食障害になった子供との関わりを通して、親自身が己の生き方や、考え方を振り返る時がやってきたと感じて欲しいと思います。
とかく、子供が回復するためには子供はどうやっていけばいいのか?
規則正しく食べれば良いのか?気持ちの持ち方を変えれば良いのか?自分の考えを言えるようになれば良いのか?…等々、どうやって子供を回復させれば良いのかというところだけに力が入ってしまいがちです。
それは勿論当然そうなるに決まっています。決まっているのですが、そこのところに力が入りすぎてばかりでは回復に時間がかかります。
子供のことばかりを見るのでは無く、親も自分自身のことをよく見つめて欲しいのです。
子供に対して、いつも指示や命令、管理しているような言葉や態度で接していないか?
そして、親自身も世間体や一般常識に雁字搦めにされて、自分の気持ちや考えを見失っていないか?
親自身も、自分の存在価値を認めてほしい気持ちが隠されているのではないか?等々…
そんなことを振り返りながら、親自身が変わっていくと、自然にその波動や雰囲気が子供に伝わっていき、自然と子供にも変化が見られてきます。
会で語られたお母さんの話をお伝えします。
「娘を変えるのではなく、自分を変えようと思いました。娘が摂食障害になるまで、親として接してきた自分の関わりを変えようと決め、自分自身の在り方を変えてきました。
我が娘の摂食障害克服のために親の私が向き合うべきもの、それは、自分自身でした。
今までと同じように子供を変えたいと思っているうちは、ずっと同じ状況が続きました。
摂食障害を通して、少しずつ大人になろうとしている娘の心の成長を信じて待てる自分になること。
子供に任せることができること。
それが親が我が子のためにできるとても大切なことなのだと思える自分になりました」
お母さんご自身がそう心から感じられた時から、娘さんも少しずつ変わってきています。
日常生活で起こる様々なことを通して、親子の関わりを構築し直し、信頼関係が生まれ、子供も安心感に満たされていきます。
安心感が生まれると、自己肯定感が生まれ自信に繋がります。
回復に必要な通り道です。
2020年7月18日(土) 「子供の望みを叶えてきた」のでしょうか?
摂食障害になる子供にわりと多い生き方があります。
小さい頃から親の顔色を気にしてきている。
人からの評価を自分の価値にして生きてきている。
人に合わせることばかりをしてきて、自分の気持ちや考えは押し殺している。
ずっとこうやってきていると、思春期、自立期に差し掛かったときに、自分で自分がわからなくなってきます。
自分の価値や評価をどんどん下げてきてしまいます。こんな自分はダメだ、生きる価値もない。
と苦しさや辛さで押し潰されそうになるのです。
会での相談で、大多数の親御さんが言われるのは
「親として、子供が望むこと、やりたいこと、欲しいこと、出来る限りのことはやってきた。我慢させるようなことはしてこなかった。親の顔色を見てなんてあり得ない」というお話です。
「そうだったのですね。親御さんの目からはそう見えていたのですね。では、お子さん本人からはどう感じていたのでしょうか?」と問い直させてもらっています。
例えば買い物に行った時に、300円、600円、1000円の品物があったとします。
親御さんは、「好きなのを選んでいいよ」とお子さんに言います。
好きなものを迷わずに遠慮せずに選ぶ子供の心は健康です。
心が健康でない子供は、本当は1000円の品物が欲しいのに、親はこっちを選んだ方が喜ぶだろう、安心するだろう、と推し量って600円のものを、ともすると300円の方を、これが欲しいと選ぶのです。
本当は1000円の方を選びたいのに…
子供が欲しいと言ってるのだから、親御さんは欲しい物を買ってあげたと思い込んでいます。
「子供の望みを叶えてきた」と思い込んできているのです。
摂食障害になる子供の心は繊細です。
その繊細な心が傷ついているのです。
その1つ1つをひもときながら、心の奥底に隠された気持ちを吐き出していくことが回復には必要になってきます。
親としても、自分のことを振り返ってみる必要が生じてくるのです。
摂食障害はお子さんだけの問題ではありません。
家族皆の問題であり、課題なのです。
2020年7月4日(土) 「子供が病むということ」
摂食障害の回復までには様々な出来事が起きてきます。
今まで何の手もかからなかった子供が、ある日、全く別人になったかのように症状を出してきます。
拒食や過食の症状だったり、暴言や暴力、物品の破壊や、自傷行為、薬の大量摂取、買い物に対する要求のエスカレート、万引き、昼夜逆転…
子供自身の中では、行き場の無い、どうしていいかわからない気持ちがあり、四六時中苦しくて辛くて切なくて、生きていることや存在することを否定して押し潰されそうになっているのです。
その我が子に寄り添いながら支えていくには、お母さん自身が関わり続けていく中で、並大抵の気持ちでは越えられない大変な現実がやってきます。
自分の育て方が悪かったから子供がこうなったのではないかと、自分を責めたりもします。
でも、それは違います。一生懸命に子育てしてきたこと、お母さん自身も一生懸命に生きてきたことには間違いはありません。
ただ1つ言えることは、お母さん自身も生きづらさを抱えて生きてきた節があるのではないかということです。
世間一般常識に縛られ、世間体を気にしながら、家庭の中でも、こうあるべき、こうならなければならないという考えにがんじがらめになり、自分の気持ちは後回しにして、その気持ちすら無いものにしてきたのではないでしょうか?
摂食障害になった子供に寄り添い続けるには、その今まで持ち続けてきた考え方や生き方を見つめ直しすことが必要になってきます。
子供が回復していくことに関わりながら、実はお母さん自身の心の中も知っていくことになるのです。
そのお母さんを支えていくのはお父さんの一番大事な役目になります。
子供が辛く苦しい中にいるのは勿論ですが、側にいるお母さん自身も辛くて苦しいのです。
お母さんが弱音や本音を吐き出すことができるのは、お父さんの所なのです。
これは、子供の摂食障害を通して夫婦の在り方にも課題を投げ掛けてきていることに繋がります。
摂食障害は本人だけの問題ではありません。
その子が病んでまで、家族の生き方や家庭の在り方を問い直していると言っても過言ではないと思います。
2020年6月20日(土) 「親からの無償の愛」
今日、4ヶ月振りに、向日葵の会を再開することができました。
コロナウィルスの拡大感染防止等を考慮して休止していましたが、様々なことに気をつけながら開催することができるようになりました。
4ヶ月振りの会で、お母さん方からも色々な話がでました。
その中で1つのテーマが出てきました。
「親から子供への無償の愛」です。
摂食障害になる子供に多いのは、良い子に生きてきた子供が多いです。
人の顔色を見ながら、自分の気持は押し殺して人に合わせて生きてきています。
何でも頑張って、成果をだして、責任感も強く、真面目です。
そんな自分でいなければならない、そんな自分しか親は認めてくれない、愛してくれない、必要としてくれない…といつの間にか感じて生きてきています。
自信に満ちあふれていた子供が、自信をなくし、自己肯定感をどんどん無くし、自己否定で一杯になってしまうのです。
「こんな私はダメだ。こんな私は生きている価値も存在する意味もない。お父さんもお母さんも、私のことなんかお荷物で迷惑で厄介者なんだ」という思いに支配されてしまっています。
そしてそのやり場のない気持が摂食障害の症状として拒食や過食、過食嘔吐で現れてきているのです。
会では皆さんに常々お話させてもらっていることがあります。
回復するには、気持が先です。
気持が回復してくると症状はいつの間にか自然に消えていきます。
とかく、目の前で起こる症状だけにとらわれがちですが、症状を見るよりも子供の気持に寄り添い、気持ちを聴き、気持ちをしっかりと受け入れる親になることがとても大切です。
そうやって子供に向き合い続けると、子供が自ずと感じていきます。
「こんな自分でも、どんな自分でも親はきちんと見放さずにいてくれる。この私でいて良いのだ」この瞬間に、親からのかけがえのない無償の愛を、無条件の愛を受けとることができるのです。
自己否定感から自己肯定感に変わっていき、自信をなくしていた心が、少しずつ自信を取り戻してきます。
子供を愛する親の心がしっかりと子供に伝わるには、毎日毎日家庭で起きている事柄に、親がどうやって向き合っていくかがとても大事になってきます。
今回の向日葵の会では、お母さん方一人一人の話は違っても、その根底にある親の無償の愛について改めて想いを巡らせることになりました。
母として、どんな時でも、どんな子供でいても、子供の心をきちんと見つめて愛することができているでしょうか…?
2020年6月6日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Gさんより
娘は拒食から過食嘔吐になりました。
高校生の時でした。
あの当時の娘が泣きじゃくりながらやっと言った言葉が、今でも私の頭から無くなることはありません。
「 苦しくて、辛くて、この世に存在していることが罪なんだ。死んだ方がいいっていつも思っている。何もかもうまくいかないことだらけ、何が正しいかもわからない。周囲の目や評価ばかりを気にして、自分をダメな人間だと思う。悪く思われないように見せるので精一杯だ。自分の心の声なんて聞く暇も無いし、聞いてはいけない。親にすら甘えることも、頼ることも相談することもできない。もう1人で苦しむのは疲れた。どうしていいかわからない。誰か助けて。助けて。もう嫌だ。もう嫌だ。助けて… 」
娘がこんなに苦しんでいるのに、助けてやることも出来ない、代わってやることもできない。
代われるものならどんなに代わってやりたいか。
母である自分の力の無さ、情けなさに涙したものでした。
そして私自身を責めました。娘をここまで追い詰めたのは私だと。
あの当時、どん底でした。どんなにもがいてももがいても先が見えない状況の中にいました。
医療機関にもかかりましたが、親の私すら毎日家庭で摂食障害の娘が起こす事柄にどう関わっていいのか全くわかりませんでした。
そんな時でした。親の会の存在を知ったのは。
親の会に通いながら、私自身も色々なことを知り、色々なことに気づいてきました。
もがき続けていた娘も私も、少しずつ明かりが見えてきて回復の道を歩くことが出来ました。
今、摂食障害の真っ只中で苦しんでいる人達に伝えたいのは、乗り越えることの出来る人の所に、乗り越えられる試練がやってくる。
摂食障害は簡単に乗り越えられる試練ではないけれど、必ず乗り越えられる。
そう信じて、摂食障害に向き合って欲しいということです。
2020年5月16日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Fさんより
現在、娘は摂食障害を乗り越えて自分の家庭を持っています。
子供もいます。
仕事もしています。
何も知らない人から見ても、娘に摂食障害の10年余りの日々があったことを感じさせることは微塵も無いと思います。
あの当時のことを思い出すと、出口の無いトンネルに入った思いで一杯でした。出口なんか無いのだと思っていました。
でも、出口は必ずある。
その出口に向かうためには、親の関わり方や、物事に対する捉え方や考え方、それを振り返りながら親自身も自分を見ること、知ることが必要なのだと教えてくれたのは親の会でした。
子供を治すために動くよりも、親自身が治っていくことをした方が自然に子供の回復に繋がるとも言われました (親子の関わり方、親の価値観、親が出す指示や管理や命令をなおす) 相手を変えることは出来ない。
変えることが出来るのは自分自身のことだ。
自分が変われば相手も自然に変わってくる。
そんなことを会では度々話題に出ていました。
10年間、少しずつ少しずつやってきました。
失敗を繰り返しながら、そしてまたそのことを糧にしてやってみて、子供の気持ちを知ることや自分の考え方や長年染み付いてきた物事の捉え方の癖に気づきながら、行動に移してきました。
娘の摂食障害を通して、色々なことを知り、学んだと思える今の私です。
2020年5月2日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Eさんより
娘が摂食障害だとハッキリと分かったのは高校2年生の4月の頃でした。
今思うと、食べ方に関しては高校1年の秋頃から始まっていたのだと思います。
アイスクリームを我慢したり、フライや天ぷらの衣をはいだり、ご飯の量を少なくしたり…そんなことが目につき始めたのを覚えています。
私は娘のその様子をダイエットなんだろうくらいにしか感じていませんでした。
それが冬位には買い置きのお菓子が毎日すぐになくなるし、チョコレートも半端ない量のものがなくなっていくのです。
食べ物のことでとやかく言うのは嫌な私がいたので、せっせと買っては補充していました。
文武両道の高校でしたので、娘も疲れていて甘いのが欲しいのだろうと勝手に考えていました。
娘に聞くこともせずに… そんなある日、高校2年になってから間もない時のことです。娘の部屋を掃除していた私がふと目にしたのは、机の上に広げられている本に書いてあった「摂食障害」という文字でした。
私は、まさかという思いでそのページを読みながら、娘の症状にピッタリだと感じながらも、違う、絶対に違う、そんなはずはない、と思い込もうとしていました。 娘が高校から帰宅するのを待って、娘に問いただしました。娘は本に書いてある通りだと答えました。その答えに私が返した言葉は、「お母さんが絶対に治してあげる。3ヶ月で治してあげる」でした。
娘が回復して思うことは、私のこの言葉、この態度が全てを物語っているような気がしています。
私はそういう生き方や接し方、考え方、物事の捉え方をしてきていたのだなぁと思います。
今だからこそ言えるのは、私自身がその何だかわからない枠に縛られて、その中で自分の気持ちを押し殺して、こうあるべきでこうあらなければならないとがんじがらめにされて生きてきたということです。
そんな中で娘は高校へ通うことが出来なくなってきました。
出席不足で単位を落とせば留年ということを心配して、片道30分かけて車で送っていましたが、頻繁に担任から登校していないと電話がくるようになりました。
それでも娘に言い聞かせては高校へ送る日々を重ねていました。
世間一般の進むべき道から降りることは、娘の将来の為にもさせたくない、そんなことはあってはならないという親心のつもりでした。
そんな葛藤を繰り返しながら、秋にはとうとう出席日数不足で留年が確定しました。
それを受けて休学したのが9月のことでした。
そこでやっと母である私が、高校くらい普通に卒業しなければというレールから降りることを受け入れることができたのです。
その後、復学するはずの高校には行きたくないという娘の気持ちを知り、新年度には娘が行きたいという単位制高校に転入しましたが、摂食障害を抱えての通学は並大抵のことではなく、そこも退学することになりました。
それからしばらく引きこもり生活をして過ごした後、高校卒業認定試験を受け、高卒資格を得ることができて専門学校へ進学し卒業することができました。
今になって思うことは、何故あの時に、娘が苦しくて苦しくて高校へ通えなくなっていたのに、母である私がいつまでも「せめて高卒くらいは」ということにしがみついていたのだろうかということです。
一旦乗ったレールから降りる怖さや不安は本人が一番感じているのに、その本人よりも母である私が怖さや不安で一杯になっていたのだと思っています。
あの時、「どんな道もある。休むときも人生にはあってもいいのだよ。必ず何かが見つかるから安心して大丈夫だよ」と言ってあげることができていたら、どんなに娘も安心できただろうにと思います。
それからの私自身は、娘のことを通して一旦レールから降りてしまえば、縛られていた所から解放されたわけですから、怖いものなんか何もありませんでした。
やっと心から「何とかなる」と思って進めるようになりました。
もし、娘さんの学校のことで悩んだり心配したりしているお母さんがいられたら、少しでもこの私の経験で何かを感じていただけたらと思っています。
2020年4月18日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Dさんより
娘が摂食障害だったあの頃のことを思い出してみて、自分の気持ちの中に沢山の辛さや苦しさ、切なさがありました。
あの当時は、こう言いたい私、言いたいけど言えない私、言ってはいけないと思う私、周囲の考えに合わせなければならない私、色々な自分がいました。
娘が病んでいるけど、母親である私自身も病んでいることと同じ気持ちがあったのだなぁとつくづく思っています。
そんな私の気持ちを吐き出すことが出来る場所は親の会でした。
そこで日常の家庭内で起こることや、家族とのこと、職場でのこと、自分自身の育ってきた家庭でのこと、様々なことを素直に話すことが出来たし、会でもしっかりも聴いてもらえました。
聴いてもらいながら、経験談やアドバイス等から、私が私の考えでやれることを行動にしてみました。
あの頃に背中を押してもらった言葉があります。
「母親も一人の人間なんだから、色々な感情があって当然なのです。それで良いのです。立派な完璧な姿を見せなければならないと思わず、親も間違うし失敗もすることもあるという有りのままの自分でいて良いのです」
これを心に刻み、娘にしっかりと向き合い関わってきました。
その私をしっかりと支えてくれたのは主人です。
母である私を家族の中でやっている私の気持ちを、どんな時も受け入れてくれました。
主人は仕事から帰宅すると、「今日は○○の様子はどうだった?」から始まり、私が色々話すことを聴いてくれました。そして、私の話を否定することもなく、こうしたらと指示したり命令したり怒ったりすることもなく、「おまえも1日大変だったな。疲れただろう?」と言ってくれました。
私は、主人から娘の父としてのアドバイスをもらうよりも、夫婦として私の気持ちをしっかりと聴いてもらい、受け入れてもらうだけで満足して安心できたのだなぁと思っています。
たまに主人が、「コーヒー飲むか?」といれてくれました。普段家事は何もしない主人が、私の為にいれてくれるということがとても嬉しかったのを覚えています。
娘の回復に至るまで、私自身も様々なことを通して自分を知ることができ、自分自身を自分で労ったり認めたり誉めたりできる自分になれたと思います。色々ありますが、自分の気持ちも伝えることができるようになったのもあります。
今は、昔の自分より今の自分の方が楽に生きられていると感じています。
そして娘とも摂食障害だった頃の話をしながら、お互いに色々なことを言葉にすることができています。
2020年4月4日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Cさんより
会で必ず言われることは、子供の話を聴くことと共感することの大切さでした。
聴くときは、やっている家事や何をしていても手を止めて、娘の側に行ってしっかりと聴くようにしました。
頷いたり、相づちを打ったり、たまにその話に突っ込んで聞いてみたり、とにかく娘の話だけに集中するようにして聴いていました。
私が苦手だったのは、共感するという方のことでした。
娘が面白いと言えば、共感しなければならないと思い、面白いねと答える。
美味しいと言えば美味しいねと返す。
果たしてこれでいいのかなと思っていたら、娘に「オウム返しすればいいと思っているのか!」とキレられてしまいました。
どうしていいのか分からなかった時に、たまたま娘に付き合って見ていたテレビドラマにはまりました(笑)
それは、嵐の松本潤主演の花より男子の再放送でした。
その頃の娘は高校も中退し、拒食から過食に移行した時だったので太っていく一方で、誰とも会えず外出することも出来ずに家に閉じこもっていました。
そんな娘と2人で見るそのドラマに、2人で本当に笑い、2人で本当にカッコいいとか好きだとか、色々な気持ちを言い合いながら、私は心から共感するということがこういうことなのだと知ることが出来たのです。
夜中でも2人で嵐の番組を見たり、CDを予約したり、来るのを楽しみに待ったり、一緒に聞いたり、これが本当に共感するということなのだなぁとつくづく思いました。
共感しなければという思いで発する言葉は、すぐに見破られてしまいます。
心から共感する言葉は物凄く力を持っていて、娘の心にもしっかりと届いたのでした。
娘が回復した今は、娘も私もあの頃一緒に夢中になった「嵐」にとても助けられた、救われた思いがしています。
2020年3月21日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Bさんより
向日葵の会に初めて参加した時に、過食にかかるお金のことを話されたのがとても強烈に私の心に響きました。
「過食にかかる買い物代金に出し惜しみしはしない方がいい。どうせ買うなら気持ちよく買ってあげて欲しい。買い渋ったりしているといつまでもズルズルと過食の買い物が続く可能性もある」
「回復までには家を一軒建てるくらいのお金がかかることもある」
と話がありました。
1つ目の、出し惜しみしていたらということについては、私もそうだなと府に落ちました。
どうせ買ってあげるなら嫌な顔しないで、娘の回復の為には必要な治療費だと思うことにしました。
食べて吐くのに、毎日スーパーで5000円~15000円くらい使う訳ですから、親の私も考え方を変えて、過食嘔吐に使うのは事実だが治療費なんだと思えば自然と覚悟も決まってきました。
2つ目の、家を一軒建てるくらいのお金については、正直なところ「大袈裟だなぁ、誇大表現だな」と思いました。
現実は、摂食障害を克服するまでにはお金がかかりました。
本当にかかりました。
過食の費用の他にも、学校を転々としたり、欲しくて欲しくてたまらない欲求を満たす為の買い物が高額だったり、とにかくお金はかかりました。
家を一軒という話は大袈裟でも誇大表現でもありませんでした。
それと、あえて3つ目と言わせてもらうならば、お金の心配をしていた頃、摂食障害をテーマにした講演会が親の会で開かれました。
その時に参加した本人の声で訴えた話があります。
「私のお母さんは、お兄ちゃんが大学に行くのに必要なお金は何も言わずに出すのに、私がスーパーで買うお金は出すときに嫌な顔をする。同じ子供なのに何で違うの!」
と涙ながらの声が会場に響き渡りました。
私は本人のこの言葉を聞いて、大学の費用は良くて過食の費用は悪いのか?と自分にも問いかけました。
私はこの子の言う通りだと思いました。
子供にかかるお金に、これは良い、これは悪いは無いのだと。全て、その子その子にとっての必要なお金があることに間違いはないと。
これが私の根底に届いた3つのことです。
娘が回復するまでには色々なことがありました。
最初に気づいたこの3つがあったから、摂食障害を乗り越えてこれた1つの理由かもしれません。
2020年3月7日(土) 「娘の摂食障害を振り返ってみて」…Aさんより
娘は高校1年生の終わり頃から症状を出し始めました。
娘から「摂食障害かもしれない」と本を渡された私は、「そんなことあるわけないでしょ!」と突っぱねてしまいました。
「3ヶ月でお母さんが治してやる!」とも言い放ちました。
この時は回復までの長い年月を想像することすらできませんでした。
でも、運が良かったことに、娘の発症から2ヶ月足らずで親の会に繋がることができました。
過食嘔吐の娘との関わり方や、その時の娘の気持ちや更に母親自身の気持ちにまで話を深く深くしてもらって、様々なことに気付くことができました。
世間一般常識に縛られ、人の目を気にして生きてきた私は一体何だったのだろうと涙が止まらなかったことを思い出します。
「過食嘔吐してもいいんだよ。それが今は必要だから起きているんだよ。無駄なことは一切ないよ」
と頂いたアドバイスに、丸ごと娘の全部を受け入れることが出来た私がいました。
回復までには、日常生活で起こる色々な事柄がありました。それを1つ1つ娘と一緒に、家族と一緒に乗り越えてきたからこそ、今の家族の形があると思います。
娘の摂食障害は10年に及びましたが、その年月が私と娘の信頼関係を構築し直してくれたと思っています。
今は娘も結婚して仕事をしながら子育てをしています。
「子供って好きなときに泣けて、言いたいときに言いたいことが言えていいよね。私も子供の頃、もっともっと自分の気持ちを言えば良かったなぁ」と、摂食障害を回復した娘は言っています。
この言葉を聞いて、言わせないようにしてきた私の子育てを痛感しました。
回復した今だからこそ、摂食障害が私達に教えてくれたことの大切さがよくわかります。
2020年2月15日(土) 「1人で抱えてきているということ」
今、過食嘔吐の最中にいる娘さんが、ご自分のお母さんのことについて聞いてこられました。
「私の母は人に相談したり愚痴をこぼしたりすることがありません。母の親であるお祖母ちゃんにも言うことはありません。母も人に話を聴いてもらったりしたら、私の摂食障害のことで母自身も辛い気持ちを持っているはずですから、少しは助かるのではないでしょうか?」
この言葉を聞いて、私もそうだと感じられるお母さんも多いのではないかと思います。
お母さん自身も様々な気持ちや考えや思いを、誰にも打ち明けず、相談もせず、話を聴いてもらうこともなく、1人で抱えてきていることがあるのです。
お母さん自身も生きてくるなかで、自分に厳しく、誰にも頼らず、自分の母にさえ心配させたり迷惑かけてはいけないと思い込み、1人で悩み苦しみながら解決しようと一生懸命にやってこられているはずです。
ですから、ご自分のお子さんが摂食障害になってもなかなか誰かに相談したりだとか、人を頼って聴いてもらうとかが出来ないのです。
お母さんご自身も、生きづらい道を歩いてこられていると思います。
そんなお母さんを見て育っていますから、摂食障害になった娘さんもそういう傾向があります。
摂食障害は、そんなお母さんに問題を提起しています。
「人を頼っていいのではないですか?」
「人を信用していいのではないですか?」
「人から支えてもらっていいのではないですか?」
「自分の弱さも辛さも苦しみも、聴いてもらっていいのではないですか?」
どうか、お母さん自身もご自分の抱える課題を見つめてみて欲しいと思います。
相談してこられた娘さんは、お母さんより先を歩き出していられます。
「私はこうやって人にも話せるし聴いてももらえるし、相談したりもしています。そうすると少しでも心が軽くなる感じがしています」と話してくれました。
2020年2月1日(土) 「家庭は休息の場所」
子供が心を病んでいる時には、子供自身も今までの生活が出来なくなっていることに不安と心配で押し潰されそうになっています。
親もその気持ちに変わりがないのは確かなところです。
この時に、「人生だものどんなときもあるさ。おまえが一生懸命頑張ってきたことは、お母さんが一番わかっているよ。今は休む時なんだと、お母さんは思っている。ゆっくり休んでいいと思うよ」と、子供に伝えてあげられたら、どんなに子供は救われるでしょうか?
休んでいる自分を否定されることなく、むしろ頑張っていたことを認められ、そして今の状態を肯定されるということで、安心感を持つことができます。その家庭の雰囲気があってこそ、やっと家庭は休息の場所になることができるのです。
では、逆の言葉を考えてみましょう。
「今のままでいて、この先どうしようと考えているの?誰だって苦しい時や辛い時だってあるんだよ。それを、抱えて皆頑張っているのに!このままじゃ、留年するよ!単位が足りなくなるよ!いったいどうしようと思っているの?いつから学校へ行くの?」…これは、高校生の子供に対して言ってしまいがちな親の言葉です。
勿論、子供の将来を心配するが故に出ているのには間違いないのですが、深く考えてみると、親自身も心配と不安で一杯で、その気持ちがそういった言葉になっているのも否めないはずです。
家庭の雰囲気がそうならば、子供は家庭の中で休めているのでしょうか?休息したい場所なのに、反対にビクビクしながら休むことも出来ずに過ごしていることになりかねません。
休息の場所になっていないのです。
摂食障害の子供は、底力をしっかりと持っています。
人よりも世間の目を気にしているし、一般常識を持ちながら生きてきています。
人一倍頑張りやさんです。
その子供が、十分家庭で休息できれば必ず動き出す日が来ます。その動き出す日は、子供に任せる、信じきることです。
動くのは子供本人なのですから。
向日葵の会では、そこの所を、ご家庭で起こっている事柄を通して1つ1つ丁寧にお話を聴きながら、アドバイスや助言をさせてもらっています。
参加されるお母さん方も皆さんが通ってこられている道です。
一緒にこの親の会に参加されて、お母さん自身も心の内を吐き出してみませんか?必ず何かが変わってきます。
2020年1月18日(土) 「育児は育自」
お母さんは子供が生まれて一生懸命に子育てに励みます。
たっぷりの愛情と手間ひまをかけて育てます。
赤ちゃんの世話をして養育していくのです。
それが「育児」です。
では親として初めてスタートしたお母さん自身のことを思ってみましょう。
親も赤ちゃんも初めて一緒にスタートなのに、親は当然わかるもの、正しいことをするもの、きちんと何をもできていて当たり前という思いにとらわれていないでしょうか?
ここで気付いてほしいのが、親も子も同時にスタートしているのです。
親は親をスタートし、子は子をスタートしているのです。
親も何もかもが初めてですから分からなくて当然なのです。
「育児」は「育自」とも置き換えられると思います。
親も子育てを通して、自分自身を育てていくのです。
摂食障害のお子さんをお持ちのお母さんは、何事につけても真面目で几帳面で、一生懸命に生きてこられた方がほとんどです。
世間体や世間一般常識を気にされて、みんなに合わせよう、自分は黙っても皆の和を大切にしよう。
とされる方が大多数です。
そんな中で、ある日突然子供が摂食障害になり、お母さん自身も当惑し苦しみ、辛く切ない中に入っていきます。
「私の育て方が悪かった。私の子供への接し方が悪かった」と自分を責める方もほとんどです。
でも、会でいつもお話しさせてもらうのは、「お母さんが一生懸命に子供に接してきたこと、関わってきたことに間違いはないはずです。一生懸命にやってきた事実に間違っていたということは1つもありません」ということです。
子供が摂食障害になった時に、オギャーと生まれたと思って欲しいのです。
そこから新たにスタートを切って、今度は「育児」よりも「育自」に視点を置いて、お母さん自身の気持ちを見つめてみて欲しいと思います。
お母さん自身も日常に起こる事柄を通して、自分はどうしたいのか?どういう気持ちがあるのか?どう感じて考えているのか?しっかりと自分を見つめるチャンスがスタートしているのですから。
2019年12月21日(土) 「母の手」
幼子が母親と一緒に手を繋いで歩く姿はよく目にしますよね。
子供は母の手から安心感を得ていると思います。
繋いだ手を通して、自分の全てを丸ごと包み込まれている温かさを感じているでしょう。
赤ちゃんが泣いている時には、母親はまず抱っこしますよね?抱き締められて赤ちゃんは母の温もりを感じて少しずつ落ち着いてきますね。
そしてオムツを交換したりミルクをやったりします。
母親の手の温もりはどんなに子供に必要なのか、生まれてからずっと大切なことなのだと思います。
摂食障害の子供が拒食や過食、過食嘔吐で症状を出してきますが、日常に起きていることで、他のことも色々あります。
そのことについての事例を紹介します。
例えば、リストカットがあります。
本人も辛く苦しい中で、何が起こっているのかわからなくなってもがいています。そんな時にリストカットに向かう子供もいます。
あるお母さんからの声です。
「娘がリストカットをした傷を見た時はショックでした。自分の心臓がえぐられるくらいの思いでした。初めはその傷を見つけては、やめようね。とか、傷が残るよ。とか、もうしないでね。くらいしか言えませんでした。でも、会に参加してリストカットする意味を知ってから、手首を切ることよりも、そうせざるを得ない娘の心の辛さを見つめるようになりました。ある時その傷を私はそっと撫でていました。娘は撫でられたままに手をだしていました。もうやめようねという言葉はでてきませんでした。その撫でるということは、その後もリストカットの度にごく自然にしていました。それから暫くしてリストカットはなくなりました」
このお話の中にもあるように、母親の手の温もりは何事にも変えがたいものがあるのでしょう。
娘さんは、お母さんからの無償の愛と一緒に安心感を貰ったと思います。
もう1つの例ですが、パニックになって泣き叫んだり大声をだしたりすることがあります。
お母さんからの声をお伝えします。
「キッチンで過食する娘に主人が何気無く言ったのです。
ほら!シャツから肉が出ているぞ!と、着ている服から腰が出ていたのですが、主人もついそんな風に言ってしまったのでした。娘は、肉?肉?やっぱり太ってるんだ!と叫び声をあげて、もういやー!死ぬー!だめだー!死にたい!と大声で繰り返してその叫び声は止まりませんでした。
でも私が側に行き娘の肩を抱き寄せて背中をさすり続けたら、しばらくしておさまりました」
このお話からも、お母さんからの手を通して伝わる全てを包み込む優しさと温かさがあったと言えると思います。
お母さんから安心感を貰っているのです。
母親の手はいつまでたっても、いくつになっても、子供にとっては安心を与えてくれるものだと思います。
病んでいる子供に寄り添うとき、そっと頭を撫でる。手を握る。背中や肩をさする。
ほっぺをさわる。
等々、手の温もりは必ず子供の心に届きます。
母の手は子供にとって、安心や安らぎを得ることができる大事な手なのです。
2019年12月7日(土) 「摂食障害」
摂食障害の子供たちは、何事に対しても100%か0%で評価しています。
「少しくらい構わない」
「まぁ、いいか」
「このくらい仕方ないな」
「こんな場合もあるよな」
「適当でいいか」
などと言う考えは持てないのです。
持ってはいけないと自分に課して生きてきたのです。
これは家庭環境がそうさせたり、子供自身がそう思い込んできていることもあります。
摂食障害のお子さんを見ると、そのお母さんもご自分に厳しかったり、嫁ぎ先やお母さん自身が育った家庭もそうだったりしていることも多々あります。
お母さん自身も生きづらさを抱えていられるのです。
子供達は物事に対して、完璧でなければならないのですから、努力家で真面目で一生懸命なわけです。そして、結果を出して評価されることをしてきているお子さん達ですから、自然に思考が100%か0%になってしまうのです。
それが、あるときに自尊心を傷つけられたり100%でいられなくなってきたときに、行き場のない気持ちが拒食や過食に向かっていくのです。
自己否定、自己不在、自己嫌悪に支配されてしまいます。
「こんな自分はダメだ」
「自分がどうしたいか、どうしていいかもわからない」
「自分が悪いのだ。自分なんて何の価値もない」
という思考に縛られてしまいます。
自信が無くなり不安と心配で一杯になっていくのです。
そんな行き場のない気持ちが拒食や過食に拍車をかけていきます。
まずご家庭でできることは何だと思われますか?
前述したことを踏まえて、お母さんご自身の心で感じてみてほしいと思います。
拒食や過食を止めようとする前に、一番大切なのはお子さんの心を知ることです。気持ちを十分聴いて寄り添っていくことです。
そうやりながら、お子さんの無くなった自信を少しずつ増やし、心配や不安を満足と安心に変えてあげることです。
頭の中で考えたり、人の受け売りや本から読みとった行動や接し方ではお子さんに伝わりません。
必要なのは、お母さんが自分の心で感じたことを、言葉にしたり行動したり、お子さんと一緒に歩んでいかれることです。
ご家庭で毎日起こる事柄を通して、少しずつ少しずつ丁寧にやっていかれれば必ず、色々なことが変わってきます。
向日葵の会では、その1つ1つの事柄を聴きながら、参加されている皆さんと一緒に考えたり話したりしながらやっています。
専門職の方々からもご参加頂き、貴重なアドバイスも頂いています。
もし、このホームページに繋がって読んで頂けたならば、1人で悩まずに一緒に話をしてみませんか?何かが必ず変わるはずです。
2019年11月16日(土) 「私を認めて欲しい」
人はいつのときでも、何歳になっても、自分のことを認めて欲しいものだと思います。
特に摂食障害になった子供は、自分のことを認めてもらった感覚がほとんどありません。
自分で何か行動しようとすると、必ず親が意見してくるために、いつの間にか親の敷いたレールを走っている。
何かにつけて、自分のやろうとすることには反対される。
しまいには、やろうとする前に、親から先にこうした方が良いとか当然だとか言われている。
こんな環境の中で育ってくると、いつの間にか自分の意見や気持ちや考えは、何がなんだかわからなくなってきます。
親は勿論子供のために良かれと思ってやっていることなのですが、それは本当に子供のためになっていることなのでしょうか?
思春期になって、押し殺してきた自分の気持ちがどうしようもなくなって拒食、過食という形で出てきているのも、こういった環境が摂食障害の背景にある要因の1つです。
子供たちは、自分の気持ちややろうとしていることを認めて欲しいのです。
やってみて失敗したり、つまずいたりしたら、その時に学べばいいのです。気付けばいいのです。
その経験は必ず人生においてプラスになります。
子供の心を成長させます。
まずは、子供の気持ちを、言葉を受け入れその子をまるごと認めてあげてください。
大人になっても誰もが経験しているはずです。
自分のことを、気持ちを認めて欲しいということを。
2019年11月2日(土) 「そのままの気持ちで」
摂食障害になった子供は不安と心配、自己否定、自信喪失…の状態で一杯になっています。
そんなときに頻繁に子供がよく色々なことを聞いてきます。
容姿のことから体型のことや、将来の不安や今の状況のこと、自分の症状のことや友達や家族との出来事、ありとあらゆることを聞いてきます。
さて、母親としてどう答えていますか?
会で参加される皆さんが口々に言われることは、「教え導こうとして、摂食障害になっている我が子に対して良い答えを出してあげようと、頭の中でぐるぐる考えて、考え抜いて答えている」
可愛い我が子が摂食障害で苦しんでいる中で、せめて悩んでいることを少しでも楽にさせてあげたくて、良い答えをかけようとする母親の気持ちはよくわかります。
でも、果たしてそれは子供が本当に待っている答えでしょうか?
言葉で飾られた返答より、摂食障害の子供への答え、として考えるのではなく、親も頭の中を真っ白にしてから、そのままの子供にそのままの自分で関わってあげて欲しいと思います。
頭で考えた答えではなく、親自身の心で感じたことを心から出てくる言葉で答えてあげてください。
その言葉は必ず子供の心に届きます。心に響くはずです。
そういった、日常の1つ1つの関わりが親子の信頼関係を構築し直していくのです。
心の言葉を大切にして欲しいと思います。
2019年10月26日(土)「公開講座に続いて」
第一回公開講座 [摂食障害を語る] 第二回公開講座 [聴こう、話そう、摂食障害] を一昨年、昨年と開催させていただき、県内各地から多数の方々から足を運んでもらいました。
今年はいつもの定例会において、新潟青陵大学 看護学部 看護学科 斎藤まさ子教授からご参加頂き、様々な話やお考えを聴かせてもらう機会を頂戴しました。
また、私達参加している母親からも、心の底からわき出てくる生の声をそのまま聴いて頂くことが出来て、新たな気付きを得ることが出来ました。
斎藤教授には、ご自身も勉強させてもらうと言って下さってご参加頂き、本当に心から感謝しています。
摂食障害の子供が回復していく中で、関わっている家族の気持ちを支え合ったり分かち合ったり、共感しながら親自身も安心していくことができる会の存在の必要性もお話下さいました。
私達向日葵の会では、摂食障害の子供の回復を通して、親自身の気付きも考えたり話し合ったりしています。
もし、このホームページに繋がって下さった方がいらしたら、是非私達の会をのぞいてみて欲しいと思っています。
2019年10月19日(土) 「寄り添う」
子供が摂食障害になって、日々日常で起こる事柄にどう対応していいか分からずに混乱してしまうのも母親の本音です。
今まで、何の手もかからず親に心配かけることもなく、どちらかといえばクラスの中でも優秀で明朗活発だった我が子が、ある日突然に人が変わったようになってしまい、どう対応していいのか?どう関わっていいのか?と、母親も分からなくなってしまうのです。
では、当の本人の心の中はどうでしょうか?
言うまでもなく、摂食障害になった本人自身も自分はどうなっているのか、どうしたいのか、何がしたいのか、訳がわからない状態になっています。
そんなときは、とにかく目の前にいるその子供だけを見て欲しいと思います。
子供の言うことにしっかりと耳を傾けて聴いてあげて欲しいのです。
そして、その子供の心に、気持ちに寄り添ってあげてください。
子供の心と気持ちを、お母さんが抱き締めてあげることが出来れば、子供は安心して満足します。
このことを繰り返し繰り返し日々積み重ねていき、親子関係を構築し直していくのです。
お互いに、親も子も思いや考えはきちんと言葉にして伝えましょう。
黙っていても分かるわけがありません。
「私はこう思う」 「こう考える」と、自分の気持ちを伝えましょう。
相手を主語にすると、相手のことを批判したり、指示、管理、命令したりする言葉になりがちです。
子供の気持ちに寄り添いながら、子供の心をしっかりと受け入れて十分話を聴きましょう。
摂食障害は気持ちを押し殺し、気持ちを封じ込め、自分の気持ちすらわからなくさせています。
その気持ちをを吐き出すことが回復には必要です。
子供にしっかりと寄り添って欲しいと思います。
2019年10月5日(土) 「摂食障害を振り返って」
思春期に摂食障害を発症して回復された今は、家事、育児、仕事にと奮闘されている方からのお話を聴くことができました。
皆さんからも読んで頂けたらと思っています。
現在、摂食障害とは離れた生活をしていますが、摂食障害は自分というものが分からなかった私に、自分の気持ちと向き合うことの大切さを教えてくれたものだと思っています。
渦中にいる時はとにかく辛くて苦しいだけでしたが、今は本当にそうだったと分かりました。
私は19歳で拒食症になり、その後過食嘔吐に移行して27歳まで渦中にいました。
今になれば、19年間は自分であって中身は自分でなかったのだから、19歳からの8年間で、自分を見つけ出せたことはラッキーだったと思えます。
でも渦中にいる時はトイレで吐いて疲れてそのまま寝て、起きては普通の生活が送れない自分に涙が出て、本当に辛かったです。
やっぱり世間一般の普通が羨ましくて、その差に苦しんでいたんだと思います。
でも、今なら8年間の私の普通は過食嘔吐がある生活だったし、他の人とは違うかもだけれど、ただそれだけの話だったなと思えるんです。
渦中にいる時は、苦しい辛いで、絶対にそんな考えにはなりませんでしたけど(笑)
一言一言に重みがあると感じています。
摂食障害を通ってきた娘さんだからこそ言えるお話だと思います。
どうか、今、摂食障害で渦中にいるあなた、そして産み育ててきたお母さん、このメッセージを信じて、改めて摂食障害を考えてみてはいかがでしょうか?
2019年9月21日(土) 「昼夜逆転」
いつもの定例会に、精神科医の鈴木先生をお呼びしたときのことです。
あるお母さんが先生に質問されました。
「娘は昼夜逆転しています。どうやって直したらいいでしょうか?」
先生のご返答は
「昼夜逆転しているといけませんか?」
でした。
お母さんは、自分の中で混乱して返事ができない様子でした。
私自身も、そのやりとりを聞いていて、目から鱗とはこのことだと思いました。
「昼夜逆転しているといけませんか?」
確かにそうだなぁと思いました。
親は、摂食障害になり引きこもったり、学校へいけなくなっている娘に対して、せめて規則正しい生活くらいはさせたいと思うのも無理はありません。
このまま昼夜逆転していたら、堕落した生活を過ごすに決まっていると思いもするでしょう。
この昼夜逆転についての考え方1つをとっても、世間一般常識、一般価値観にとらわれているのがよくわかると思います。
昼夜逆転していたら、何が悪いのでしょうか?
私も規則正しい生活くらいはして欲しいと思う母でしたが、この時にハッとしました。
娘に任せよう。娘の生活リズムは娘が決めることだと思いました。
その後、娘は昼夜逆転の生活をしていましたが、専門学校へ進むことが決まってからは、自分からリズムを直してきました。
必要に迫られれば、娘自身が考え気付き、行動していくのだと、親自身も気付いたのです。
昼夜逆転を直す方法を期待して聞いた精神科医から、「昼夜逆転しているといけませんか?」と逆に聞かれて、向日葵の会に参加されていたお母さん達も、各々に様々な思いや考えを持たれた1つの話です。
皆さんは、お子さんの昼夜逆転についてどう考えていられますか?
2019年9月7日(土) 「誉めること」
最近の子育ては、誉めて育てるというのが当たり前になっています。
しかし、ついこの前まではそれはなかなか難しいことでした。
あるエピソードをご紹介します。
お母さんが、摂食障害を回復した娘さんに聞いた時の話です。
「小学生の時にこのホールでピアノの発表会にでたこと覚えている?
あなたが弾いた夕焼けこやけに感動したんだよ」
娘さんの返答は「覚えているよ!友達と最後の記念撮影でふざけていたら、写真撮り終わったらすぐにお母さんが皆の前で私のことを怒鳴った!普通、よく頑張ったねって誉めるでしょ!」だったそうです。
お母さんには感動した覚えはあっても、叱ったというその覚えが全くありませんでした。
摂食障害を通り越してきた今になって、やっと娘さんもその時の気持ちをお母さんにぶつけたそうです。
その時を回顧して、親の会でお母さんが話されたことは
「あの当時は、私自身が人の評価や人の目を気にして生きていました。
自分の子供を悪く見せたくないばかりに、人前できつく叱ったのだと思います。
娘の言う通り、誉めることもしてなかったのだと思います。
娘が摂食障害になって、人の価値観に縛られている、こんな生き方は違うと教えてくれたのだと感じています。
今は、娘のことを真っ先に誉めることができるようになった私です」と話をされていました。
誉められないで、指示、管理、命令のもとで生きてきた子供たちは自分に自信がなくなってきています。
不安が膨らむばかりになってきています。
心が悲鳴をあげて摂食障害になってきているのです。
自信がない子供たちに、自信や安心を持たせてあげられるのは身近にいるお母さんです。
毎日の関わりの中で、1つ1つのことを大切にして、様々な場面で子供のことを誉めて認めてあげることをしてみて下さい。
その積み重ねが、子供の自信を回復させ、安心を得てくるのです。
安心で満たされれば、必ず摂食障害の症状も変わってくるし、何よりも心が回復してきます。
日常の関わりを大切にして欲しいと思います。
2019年8月17日(土) 「言葉にするということ」
親子だから、夫婦だから、といってわかり合えているとは限りません。
言葉にしないと、気持ちや考えていること、想いは伝わりにくいということです。
ともすれば、誤解や勘違いのまま伝わっていることもあります。
だから言葉にするのです。
言葉が必要なのです。
会での一例ですが、厳格な家庭環境で育った摂食障害の子供さんが、ずっと抱いていた気持ちを初めて語ってくれました。
「自分は母親に注意されたり怒られたりばかりしている。自分は嫌われている。だから自分も母親には甘えてはいけない。母親のことを好きになってはいけない。一人で頑張らなければならない。誰にも頼ってはいけない。」
一方の母親は「子供の成長を願うばかりに、子供がしたいことにも全てにおいて、親として意見を言ってそれに従わせてきた。親の言うことを聞いていれば確実に歩めると思ったし、間違いはないと思ってやってきた。子供も親の言うことをよく聞いたし、その通りに結果をだしてきた。厳しくしたのは我が子可愛さが故にしてきたことだった。子供は可愛い、可愛くて仕方がない。ただそれを言葉に出したことはなかったが、当然子供もわかっていてくれると思っていた。」
と語ってくれました。
この親子の言葉からもわかるように、わかってくれているはずという考えが、お互いの気持ちのすれ違いを生じさせているのです。
気付いた時がスタートです。
そこから始めれば良いのです。
親も子も、言葉で気持ちを伝えましょう。
気持ちを押し殺して生きてきたのも、摂食障害になった1つの理由でもあります。
いざ気持ちを言おうとしても、今まで言ってきていないのだから、戸惑ったり、自分の気持ちさえも何がなんだかわからなくなっている子供達です。
焦らず少しずつ、自分の気持ちを言いながら、自分自身を見ること、見つめることをしていきましょう。
これは子供達ばかりではありません。
母親も同じです。
自分自身のことを振り返るチャンスでもあるのです。
019年7月20日(土) 「アイメッセージ」
「私は(I~アイ)こう思う。私はこう考える」というように、主語を私にして話すと自然に自分の考えや気持ちを話すことが出来ます。
逆に主語を「あなたは(⚪️⚪️子は)」にすると、指示、命令、管理の言葉が出てしまいがちになります。
会話の基本は、「私は」から始められることをおすすめします。これが、アイメッセージです。
親も子も個々の人格を持った人間です。
皆が各々に、色々な思いや考えや感情があって当然で、それでいいのです。
ご家庭で、まずは、お互いにお互いを認め合いながら、自分の気持ちや考えを言い合えることを大切にして欲しいと思っています。
摂食障害になった子供は、小さい時から、親や周りの顔色を気にしながら、自分自身の気持ちを圧し殺して周囲に合わせて生きてきている子が多いのです。
そうやって生きてきたからこそ、自分で自分の気持ちが分からなくなっていることもあります。
自分の気持ちや心がどうにもならなくなり、摂食障害の症状が出ているのです。
親が関われることに、会話があります。
その時に、親もアイメッセージを使って話すようにしてみると、段々子供も自分の気持ちや考えを言えるようになってきます。
まずは、家庭の中で、安心して気兼ねなく、自分の気持ちや考えを言い合えることがとても大切なのです。
2019年7月6日(土) 「先取り」
子供がやろうとしていることや考えていることを、親が勝手な思い込みで先にやってしまうことをしていませんか?
子供のことを思いやってしている行動が、実は子供の考える力、行動する力を奪っていることにお気付きでしょうか?
子供が、困らないように失敗しないように、スムーズに事が運ぶようにと知らず知らずのうちにやっていることが、子供に何か事が起きたときに、子供自身がどうしていいか、考える力も行動する力も出せなくさせています。
小さい頃から、自分の意思をハッキリと言えて自分で考えて行動できる子供は(そうできる家庭環境にあった子供)、例え困難がやってきても、そこで失敗したとしても自分で解決していく力があります。
それが自己肯定感と、自信に繋がっています。
逆に、小さい頃から人の顔色ばかりを気にして、親の顔色をも伺いながら、自分の考えや意思も伝えられず親の言う通りにしてきた子供には(家庭環境において俗に言う、親のことをよく聞くいい子)、いつの間にか、自分の考えすらわからなくなってきていています。
このことが、自己不在、自己否定、自信喪失に繋がってきていることも否めません。
家庭において、まずは各々皆が自分の考えや意思を言えること。それを聞いている方も否定することなく、皆がお互いにお互いの考えを認め合いながら自分の考えをしっかりと主張できることが大切なことなのです。
子供は親の持ち物ではありません。子供も人格を持った立派な一人の人間なのです。
2019年6月15日(土) 「母親の気持ち」
娘が摂食障害になったときに、お母さんの心の中に出てくる気持ちにはどんなことがあるでしょうか?
勿論、子供の拒食や過食、過食嘔吐という症状をみて、子供のことを可哀想だとか辛そうだとか苦しいだろうとか、色々な気持ちがあると思います。
では、お母さん自身のことについてはどんな思いがわき出てきているでしょうか?
「私は今まで世間一般の人よりも真面目に一生懸命に生きてきた。
人や親に迷惑かけることもせず、したいことは我慢して、できるだけ自身の力でやってきた。
弱味も見せず、弱音もはかず、誰に頼ることもせず頑張って生きてきた。
結婚して、妻として嫁として、母として一生懸命にやってきた。
それなのに、何故、この自分の所に娘が摂食障害になるという、想像すらできない出来事が起こるの!
私の何がダメなの!
何がいけないの!
私のまわりには、気楽にやっている母親ばかりなのに、何でそこの家庭の子供は摂食障害にならないの!
真面目に一生懸命やってきた私の所に何で!」
という気持ちが渦巻いていませんか?
お母さんも一人の人間です。
色々な感情があって当然なのです。
母親には優しくて正しい人物像を求めてしまいがちですが、お母さん自身も生きてきた中で、内面にはもっと怒りや苦しみや悲しみ辛さ、抱えてきたものを一杯持っているはずです。
子供が摂食障害になったときに、子供を治してあげたい。
と願って子供に関わっていくお母さんなのですが、関わっていくうちに自分自身のことも振り返るスタートにもなってきます。
摂食障害は、家族、家庭を代表してその子が病んでくれている。と言ってもいいと思います。
「生きづらい」お母さん自身もそんなことを、心の奥底に押し隠してきて、今その気持ちにやっと気付き始めてきているのです。
子供が病んで教えてくれていると言ってもいいのかもしれません。
お母さん自身も、自分の気持ちをしっかりと見つめて欲しいと思います。
お母さん自身が助かっていくこと、楽になっていくこと、とても大切で必要なことなのです。
2019年6月1日(土) 「認めるということ」
摂食障害本人の言葉です。『誰かに認めてもらえない私よりも自分に認めてもらえない私の方が、ずっとかわいそう』
この言葉には本当に深い心の奥底からの叫びがあります。
「自分に認めてもらえない」という通りに、摂食障害本人は、実に厳しい規制を自分自身に課しています。
物事の結果を100%できたという〇か、0%も出来なかったという✖にしか当てはめることができないのです。
途中の半々位できたというような中途半端な評価は許せないのです。
まぁまぁこのくらいで良しにしようという妥協もできません。
日常生活の何事においても、100か0だけで生きていますから生きづらいのです。
この考え方は、生まれ持った本人の気質にもありますが、それにプラスされた家庭の空気や考え方、育ってきた中での様々な関わりや出来事が拍車をかけてきていると思います。
摂食障害の症状が出始めた時は、尚更この考え方が増幅されてのしかかってきて本人を苦しめます。
常に100%出来る自分、完璧な自分のことしか認められないのです。
いくら回りが、少しくらいオッケーだよ。大丈夫だよ。と言葉をかけても認められません。
自分自身に本当に厳しい本人達なのです。
自分でも許したくても(寛容に受け入れる)、自分のことを許せない(寛容なんて有り得ない)ものなのです。
それが、冒頭の言葉に表現されているのです。
「誰かに認めてもらえない自分よりも、自分に認めてもらえない自分の方がかわいそう」苦しいと思います。
辛いと思います。
そんな考え方にがんじがらめにされて過食、過食嘔吐、拒食という症状が出てきているのです。
2019年5月18日(土)「公開講座を振り返って」
摂食障害だったご本人から寄せていただいたメッセージをご紹介します。
高校一年生の時に拒食気味で、二年生の春に過食嘔吐が始まって、10年近くそこを経験してきた方の生の声です。
(全文)
過食の始まりは高校二年生の時です。
テスト期間中にふとお菓子を食べたら止まらなくなり、あれよあれよと食べてしまいました。
食べている最中は無我夢中で何も考えずにただお腹を満たす感覚でした。
お腹がパンパンに苦しくなった後は、何とも言えない後悔と罪悪感に襲われました。
そして次の日は、自分の食に対するルールを決めて軽食か絶食かを繰り返していました。
自分で吐くことも覚え、更に下剤も乱用していました。
親や周りには絶対にバレたくないと思い、ゴミを隠したり、コンビニのゴミ箱に捨てたりもしていました。
体重が少しでも増えたらバツ。
0,1g増えるのが許せなくて、自分が醜い塊にしか思えませんでした。
周りの目がとても気になり、でも過食は止めたくても止められず、自分だけではどうしようもできませんでした。
本当に毎日が辛くて毎日泣いていて、とにかく今を生きていくのがやっとでした。
そんな時、母が向日葵の会に参加してくれて、荒川さんや同じ子の悩みを持つ方々にサポートして頂きました。
それまでは、
食べちゃダメ、吐いちゃダメ、ちゃんと学校に行きなさい。
と言っていた母も、
食べていいんだよ。休みたかったら休んでいいんだよ。
と言ってくれました。
今の私を認めてくれるような気がしてとても救われました。
そして学校も思い切って休学しました。
とことん食べました。
とことん吐きました。
とことん休みました。
むしろ一緒に過食と共存共栄する感覚でいました。
それまでは勉強や部活動、常に上を目指して一生懸命頑張ってきました。
そのため、あまり母との時間はなかったのですが、休学期間中は一緒にスーパーへ行ったり犬の散歩をしたり、とてもゆっくりと時を過ごしました。
勿論、今まですべてに全力で走ってきたので、ずっと家にいる何もいていない自分が惨めに思える時もありました。
そんな時は休む決断をした自分を褒めてあげることにしました。
そんな毎日を長い間送っていました。
気持ちに余裕が出来たら美容学校へも通いました。
現在思うことは、たとえ今過食嘔吐したとしても、今の自分を認めることが出来ます。
大丈夫です。
今暗闇にいても必ず抜け出せます。
当時は本当に辛くて辛くて、周りが大丈夫と言っても、お先真っ暗としか思えませんでした。
明日なんか来なければいい。一生、過食に振り回される。
将来が絶望的でした。
でも大丈夫なんです。
何年も引きこもって、毎日何回も過食して、暴言を吐いたり暴れたりした私も、今では二人の子供がいます。
美容師もしています。
友達とランチにも行きます。
子供たちと毎日笑って過ごしています。
親身に話を聞いてくれた向日葵の会の皆さん、私と向き合ってくれた親にはとても感謝しています。
今、私はここにこうやっていることが出来て本当に良かったです。
2019年5月4日(土) 「過食嘔吐にかかるお金」
食べ物を沢山食べて吐くことを繰り返す症状が出ている過食嘔吐の時期に、付いて回るのがそれにかかるお金の問題です。
症状が酷い場合には、1日に何回もやっているわけですから、お金がかかってくるのは明らかです。
家庭の生活費まで圧迫してくるのです。
親も子も、そこに焦点をあてがちになりますが、少し考えて欲しいと思います。
食べて吐くのは、言葉に出せないモヤモヤした気持ち、怒りの気持ちや、不満やどうしようもない気持ち、何がなんだかわからなくなっている気持ちを吐き出しているのです。
吐くという行為に隠された心の奥底の叫びがあるのです。
会において発言された摂食障害の娘さんからの言葉があります。
「お母さんは、お兄ちゃんの大学の費用はすぐに出すのに、私の過食のお金はイヤイヤ出している!同じ子供なのに、大学の費用は良くて、過食の費用はダメなの!」
この言葉を聞いて、過食の費用について親も子も直面している課題だと感じています。
会では、そこを通ってきたお母さんからこんな言葉がでました。
「私は娘の過食費用は治療費だと思っています。カウンセリングや入院したと思えば何の違いもありません。」
またこんな声も出ました。
「確かに過食のお金はかかります。勿体ないと思います。でも、今の娘が気持ちを吐き出すために必要なことだと思うと不思議に私の腹もすわってきます。」
家庭其々に、考え方ややり方があります。
色々な考えを会で聴きながらご自分のものにして、娘さんに関わっていくことが大切なのです。
気持ちが言えるようになってくると、必ず症状は変わってきます。
子供の気持ちをしっかりと聴くことをして欲しいのです。
2019年4月20日(土) 「家族の関わり」
摂食障害になった子供の回復に必要なこと。
それは、医師の処方した薬やカウンセリングよりも、もっともっと大切なこと、大事にしなければならないことがあると考えています。
それは、「家族の関わり」です。
家族、特にまずは母親の関わりと言ってもいいと思います。
育ってきた環境や様々な関わりの中で、色々なことを感じながらも自分の気持ちを圧し殺して、人に合わせることを常にしてきている子供達です。
その子供達が思春期を迎えた頃に、どうしていいかわからなくなり、自分の気持ちを出す表現の代わりに食べ物への症状として出てきているのが摂食障害なのです。
家族、母親、父親は、この摂食障害になったことを通して自分達をも様々なことに気付いていきます。
過去のこと、今までのこと、その時々の子供との関わりがどうだったか…
そんなとき、お母さんは自分の関わり方が悪かったからと自責の念にかられがちですが、決してその様なことはありません。
お母さんはお母さんなりに一生懸命にやってこられたはずです。
子供が摂食障害になったことで、これから新たにスタートすればよいのです。
子供との関わりを大切にして、気付いたことをやっていく、関わりながら、失敗してもそれを糧にまたやっていけばいいのです。
子供の気持ちを聴くことを通して、大切に関わっていって欲しいと思います。
お母さんも、自分の気持ちは言葉にしないと伝わらないし誤解されることもあります。
親も子も、言葉にして伝えることをやってみましょう。
2019年4月6日(土) 母親に必要なゆとり
お母さんと子供との関わりの中で、まずは子供の言うことをしっかりと聴くことが大切です。
では、しっかりと聴く為にお母さんに必要なことは何でしょうか?
それは、お母さん自身の心のゆとり(余裕)と、時間のゆとり(余裕)です。
これは多分どなたも経験があると思いますが、例えば子供が学校での事を話をし始めたとします。
時間のゆとりがないお母さんは、頭の中は夕飯しなきゃ、買い物行かなきゃ、明日の準備しなきゃ、あれもこれもやらなきゃ、…ということで一杯なのです。
子供の話を聴くどころではなく、聞き流してしまうことがあるのです。
心のゆとりがないお母さんは、頭の中は人の顔色を伺ってばかりの不安や心配で一杯になっています。お嫁さんの立場なら、義父母とのこと、嫁姑とのこと、妻としてではご主人との関係、仕事をしていれば職場での関係や出来事、心の中に余裕がなくなり子供の話を聴くどころではなくなっているのです。
お母さん自身が目一杯になっていると、なかなか子供の全てを聴く姿勢が保てないのです。
では、そのお母さんの気持ちを助けてあげられるのは誰でしょうか?
それは、他でもないご主人なのです。
お母さんを支えてあげられるのはお父さんの役目です。お母さんが抱えている不安や心配を聴いてあげることが出来るのはお父さんしかいないのです。
解決策や助言や、世間一般の概念などは要りません。ただ聴いてあげるだけでいいのです。
お母さんが楽になれば、ゆとり(余裕)が持てて、しっかりと子供に関わっていけるのです。
どうか、お父さんからはお母さんを支えることを充分にしてあげて欲しいと思います。
「コーヒーいれようか?」「お茶いれたよ」
と、是非お父さんからお母さんに言ってあげてください。
お母さんが助かっていくこと。楽になっていくこと。
そこを大切にされてみると、その雰囲気(家庭の波動)が病んでいる子供に伝わっていき、自然に色々なことが変わってきます。
2019年3月16日(土) 「自分がどうしたいかわからない」
摂食障害の子供達は、自分がどうしたいかという自分自身の気持ちでさえわからなくなってきています。
選ぶことができないのです。
選ぶことにも、物凄いエネルギーを使います。時間がかかります。
どうしてかというと、小さい頃から人の顔色をみて、自分の気持ちや考えは後回しにしてきたからです。
人に合わせる生き方をしてきたからです。
極端に言えば、カラスは黒いのに周囲が白だと言えば、自分は「違う!黒だ!」と言いたいのに「白です」と言いながら、心の中では違う、違う、と思って生きてきているのです。
毎日の生活の中でこんなふうに生きてきていると、自分は本当にどうしたいかというのがわからなくなってくるのです。
「自己不在」ということです。
こうしたいと子供は訴えているのに、ことごとく親の意見や考えを押し付けてこられれば、言えなくなってくるのは当然であり、気持ちでさえわからなくなってきても不思議なことではありません。
自己不在ということについて、子供が摂食障害になって、初めて親も子も気づいていくのです。
親の会では、まず気づくことからだと考えています。
気づいたら、そこからスタートすればいいのです。
具体例をあげるならば、買い物1つにしてもそうです。
どちらの服を買うかとても迷います。
子供が選ぶのをじっと待つ姿勢が親には必要です。
「早く決めなさい」とか「こっちがいいよ」とか、言わないことです。
子供が選ぶのを待つのです。選んだら、親の意見を押し付けずに子供の決めたことを「わかったよ」と受け入れてあげるだけでいいのです。
それを繰り返し繰り返しやっていけば、必ず変化が起きてきます。
2019年3月2日(土) 「人の目を気にする子供達」
摂食障害の子供達は、周囲からの評価をとても気にします。
そして、それを元に自分を評価してしまうのです。
人の目が気になって仕方ないのです。
これは、自分自身に自信がなくなってきているからです。
1つの例ですが、A子さんは小さい時から活発で、勉強もスポーツも頑張って成果を出している子供でした。
家族からは勿論のこと、学校でも先生や友達からも認められている存在でした。
周りの評価が高かった中で生きてきて、常に自分をそこに置いておくことができていたのです。
そんな頑張りにも結果が出せなくなって来る時がやってきたのです。
周囲からの評価で、自分の価値を決めて生きてきた中で、突然起こってくる現実に心はズタズタになってきます。
こんな時に、A子さんの苦しい心の中を話せる母親がいて(誰でもいいのですが、一番は母親といってもいいでしょう)、とことん聴いてもらえることができていたら、A子さんの気持ちも助かっていくのですが、A子さん自身もいい子にしてきていますから、母親に弱音を吐く自分は見せられないし、話せないで平静を装い一人で辛い思いをしていることが多いのです。
そして、手っ取り早くその気持ちを処理できる手段として、拒食であり過食、過食嘔吐という形が現れてくるのです。
「食べ物は裏切らない」と言う子供もいます。
食べ物は何も言いません。
どんな顔色も出しません。
周囲からの目を気にする子供達が、安心して頼ることができるのが食べ物なのです。
心が丈夫な子供は、つまずいても、挫折しても、立ち直り前を向くことができます。
何故なら、ダメな自分も許せるし、それも自分だと受け入れられるからです。
摂食障害になる子供達は、とことん自分をダメと評価します。
こんな自分は生きている価値がないとまで言います。
自信がないのです。
この傷ついた心を温かく優しく包み込んで、安心させてあげるのが、まずは母親ができることであり必要なことなのです。
これは、父親にもお願いしたいことなのですが、更にお父さんからはお母さんを支えてもらいたいということです。
24時間、休みなく毎日子供に関わっているお母さんも辛く苦しく切ないのです。
お母さんを支えてあげるお父さんの存在が家庭には大切なのです。
2019年2月16日(土) 「共感する」
話を聴くことの次にして欲しいことは、共感、です。
子供の話を十分聴く姿勢で、頷きながら聴いていると共感されている感じがあります。
頷くという動作も、首を大きく振ったり小さくふったり、その時の聴き手の共感具合によって違ってきますよね? また、時折、「そうだよね」「そう思ったんだね」「そう思う気持ちも当然だと思うよ」などと言葉を挟んであげると、共感されている感じが増します。
ただ、ここで気をつけて欲しいのは、聴き手(母であったり、父であったり)が、共感もしていないのに取り敢えず共感しておこうとするのは好ましくありません。
これは、直ぐに子供から見破られてしまっています。
親は思ってもいないのに、摂食障害の自分に合わせているだけだ!と… 同じ物をみて同じことを感じて共感できるときに初めてお互いの心が通じ合うと思います。
感じていないのに、合わせて同じことを言おうとするのは直ぐにわかってしまうものなのです。
例えば、子供が好きなアーティストの歌を聞きながら「この歌、いいよねー」と子供が言ってきた時に、お母さんも本当にその歌をいいと思っていたら、「いいよね。お母さんは、この部分好きだよ」と会話も弾むことでしょう。
子供は共感された感じで包まれます。
もし、お母さんがその歌を知らない時は正直に「へえ、この歌が好きなんだ?どんな歌なの?お母さんも聞いてみたいな」と、無理に共感しようとせずに、正直にお母さんの気持ちを伝えた方が、子供も楽だし嬉しいはずです。
「共感する」という気持ちを大切にして欲しいと思います。
2019年2月2日(土) 「気持ちを家庭内で自由に言えていますか?」
ストレス社会と言われる現代です。
子供も学校や習い事、スポーツクラブ、有りとあらゆる場所で様々な人間関係や出来事で、色々なことが起きています。
そこでは楽しいこともあり、嫌なこともあり、心配したり不安になったり、悩んだり切なくなったりすることもあります。
それは成長の過程では必要なことなのです。
ここで気づかなければならないのは、心が健康な子供は糧にしていく力を持っているということ、心が繊細で弱っている子供はそのことが重くのしかかってきて
辛くて苦しいということです。
そんなときに休める居場所が家庭であるのが一番大切なことなのです。
疲れて傷ついて帰ってきたこどもには、特にお母さんがしっかりとその子の話を聴いてあげることが必要です。
待ち構えて、さぁ話してごらん、何があった?では、とても子供は話せません。
また、せっかく話したのに、とかく解決策を親がねってしまい、こうしたらいいとか、こうなるからこうだとか、言ってしまいがちですが、これでは子供も話したくなくなります。
子供の側で、子供の心に寄り添い、子供が話してくれるのを待ちます。
話してくれたら、そうか、そうだったのか、そんなことがあったんだね、と聴いてあげるだけでいいのです。
子供が自分の気持ちをしっかり言える家庭であること、父であること、母であることが大切です。
子供は、親に十分聴いてもらうことができると安心がうまれます。安心で満たされていけば自信がうまれます。自信がうまれれば行動することができます。
家庭は心身共に休める場所、安心できる場所であってほしいものです。
2019年1月19日(土) 「聴くということ」
子供と会話をするとき、一番大切にして欲しいことは「しっかりと聴く」ということです。
長年に渡り親の会をやってきていますが、毎回話題に出てくることの1つに「聴く」というテーマがあります。
子供が今日あったことや、困ったこと、どうしていいか悩んでいること、等々話してくれると、とかく親御さんの側からすると、子供に正しいことを教え導かなければならないと反応してしまいがちなものです。
それも必要なことなのかもしれませんが、子供にとってもっともっとして欲しいことは、「聴いて欲しい」だけのことなのです。
もっとハッキリと言わせてもらえれば「親の意見なんか聞きたくない」のです。
子供は、自分自身の心の内を聴いて欲しいのです。
十分聴いてあげると、子供は子供なりに自分で解決していけるものなのです。
また、その力がつくものなのです。
子供が話をしてきたら、忙しい中でもその手をとめて、しっかりと子供に向き合って話を聴いてみて下さい。
「そうだったんだね」「そう思ったんだね」「へぇ、そんなことがあったんだ?」「へぇ、それからどうしたの?」「それでどう思ったの?」… と、子供が話をしながら子供自身の気持ちも話せるように、親が十分聴く姿勢が大切なのです。
会に参加されるお母さんも「わかっているつもりなのについ私自身の考えや意見を子供より先に話をしてしまいます」と意見が出ますが、そうすると子供はもう話をやめてしまうのです。
「私が話すと説明や言い訳みたいなことが多くなって、しまいに何が言いたいか伝わらないこともあります」と話をされます。
どのお母さんも心当たりがあると思います。
今日から少しずつ、「聴く」という姿勢を心がけてみて下さい。
必ず、子供から話をしてくれます。
子供が心の内を話してきます。
それを全て聴いてあげるだけでいいのです。
聴いてもらうと、心が満足します。
満足できれば安心します。
安心すれば、自信も生まれます。
「聴く」ということは本当に大切なことなのです。
2019年1月5日(土) 「有りのまま、全てを受け入れる」
摂食障害は日常目の前で過食嘔吐や拒食という症状が現れてきています。
これは症状であり、その根底にはそこに隠された気持ちがあるのです。
その気持ちを聴いてあげること、親子共々気付くこと、その気持ちや感じたことをお互いに認め合えることが回復には大変必要なことになってきます。
では、有りのまま、そのまま全てを受け入れるとはどういうことだと思われますか? 摂食障害になる前までは、手のかからないお利口さんタイプの優しい子供だったのに…と大多数のお母さん達がそう言われます。
反抗期もなく、親に口答えすることもなく、思いやりもあり、本当にいい子でした…とも言われます。
…にはお母さんの心の中にどんな気持ちがあるのでしょうか? こんなはずじゃない!こんなことする子供に育てたはずじゃない! と目の前にいる子供をそんなふうに感じる心があるのも確かだと思います。
お母さんも様々な感情が出てきます。
勿論、苦しんでいる我が子が可哀想で、代われるものなら代わりたいと思う程、お母さん自身も切ないのは確かです。
そんな色々な気持ちを見つめたうえで、「目の前にいる有りのままの我が子をそのまま全て受け入れる」ということが大切です。
どんなことをしても、どんなことを言われても、どんな時であっても、我が子にかわりはないのです。
お母さんのそんな姿勢が子供達の病んでいる心を包み込んでいきます。
必ず子供に届きます。
お母さんの限りない愛情を子供たちは求めているのです。
お母さんと表現しましたが、言うまでもなくこれはお父さんでもあり、ご家庭でもありということです。
子供の摂食障害を通して、様々な事柄が起きてきます。色々な気持ちも出てきます。
子供の症状だけに着眼するのではなく、そこに隠された気持ちを聴いてあげましょう。
2018.12.15 (土) 「安心できるということ」
子供が摂食障害になり、今までとはかけ離れた事柄がおこってくるわけですから、親も子も不安と心配で一杯になるのは当然です。
そこに、拒食の症状や過食の症状が出ているのですから、苦しさや辛さ、切なさで押し潰されそうになるのが現実です。
この中で欲しいのが「安心」という気持ちであり心です。
摂食障害の本人である子供が不安で一杯なのに、それより先に親が不安の塊でガチガチになっている状態で子供に関わっても不安は増幅するばかりです。
まずは、親が安心できる心を持てるようになること。そうすると、その安心の空気が子供に伝わっていき、自然と安心で満たされてくるのです。
そうなる為に必要な早道は、今起きている事柄をまるごと受けとめることです。
摂食障害の我が子も、摂食障害になる前の我が子も、どちらも我が子には変わりありません。
お母さんの心配や不安はお父さんに(ご主人)受け止めてもらい、安心して子供に向き合って行きましょう。子供が安心できるようになると、必ず回復への道を進んでいきます
2018年12月1日(土) 「窓を開けて風を入れましょう」
閉め切った部屋の中は空気が流れません。
どんどん汚れた空気がたまっていきます。
家庭の中も同じです。
摂食障害になった子供が「家庭に居場所がない」と、よく口にします。
いくら大きい家でも、自分の部屋があっても″居場所がない”のです。
「そのままのあなたでいいんだよ」と言う心からの想いで子供に向き合ってあげて下さい。
今まで閉め切った家の窓を開けて新しい風を入れてみませんか?
新しい風が吹けば、きっと家庭の中も変化が起きてくるはずです。
子供の摂食障害を治そうとして子供をを変えようとする前に、お母さん、お父さん、ご家族の皆さん、ご自身のことを見つめなおしてみることも大切だと思います。
2018年11月17日(土) 「お母さんが助かることの大切さ」
摂食障害の子供に、常に関わることになるのは主にお母さんです。
摂食障害の本人が辛く苦しい中にいるのは言うまでもありませんが、お母さん自身も本当に辛く苦しいのです。
自分が産んだ我が子の病んでいる姿を見て切なくない訳がありません。
向日葵の会では、そんなお母さんをサポートしています。
お母さんも日々、不安や心配で一杯なのです。
その不安や心配が安心に変わっていくことが、お母さんが助かっていく一歩になるのです。
お母さんの心が安心で一杯になれば、自然と子供にも安心が伝わっていくのです。
2018年10月20日(土)「娘の摂食障害を通して、娘から色々なことを教えてもらいました」
摂食障害の娘さんを抱え、5年の間、家庭内で起こる様々な出来事に途方に暮れていた矢先、去年開催した公開講座「摂食障害を語る」をきっかけに向日葵の会に参加されて1年が経ったご家庭のお父さんの言葉です。
この1年の間に過去5年間の事を「空回りしていた」と表現されたお母さん。
どんなに辛く、苦しく、切ない5年間だったのかと思うと、経験してきた私達母親は誰もが涙します。
通ってきた道だからこそ、お母さんの気持ちが手に取るように分かるのです。
そのご夫婦が、この1年間に向日葵の会に通われることを土台にして娘さんとの関係に様々な変化が起こり、そして回復への道を確実に歩み始められています。
お父さんが振り返って見ていわれた言葉です。
「娘の摂食障害を通して、娘から色々なことを教えてもらいました」
摂食障害は本人だけの問題ではありません。
本人に症状は過食・拒食と言う形で表れていますが、ご家庭やご家族にも課題を投げかけているのです・・・・・
2018年11月3日(土)「子供にとって一番のカウンセラーはお母さん」
拒食で入退院を繰り返しているお子さんを持つお母さんが、娘さんの体重が減ってきている様子を見て、娘さんに言ったそうです。
「○○子、担当のお医者さんにあなたの心配な事や不安なことを話した方がいいのでは? お医者さんでなくてもカウンセラーの方に話を聞いてもらったら?」と・・・
その言葉に娘さんが返したことは、「私が聴いて欲しい相手は医者でもカウンセラーでもない!お母さんに聴いてもらいたいんだ!」
娘さんの言葉は心の叫びです。
幼少期、子供が、「ねえねえ、お母さん・・・」と、話をして来る時、無条件に話を聴いていましたよね? 同じなんです。
いくつになっても子供はお母さんから全てを受け入れてもらいたいのです。